第3話

 ――――――峠をバイクで走っていたら、急な凹凸で数秒間宙に浮いてしまった。

 20世紀後半に日本の各地作られたはいいものの、整備された主要幹線道路にニーズを奪われた悲しき峠道。

 しかも居住ブロック同士を移動するならば、極限まで高速化したレール車両を利用すればいい、ということに誰もが気が付いてしまい、補修は10年単位で一切なし。獣道と大差ないまでに荒れ果ててしまった。

 かつては走り屋なんてはた迷惑な(あまり人の事は言えないが)存在がいたらしく、無駄に減速させる為の対策が仕込まれたせいでその凹凸具合は馬鹿馬鹿しいところまで来ている。

 とはいえ4輪自動車の免許取得ですら廃れ切っていて、日本の中心である居住ブロック1(旧東京都)ですら1つしかない講習所に通わないといけないなんて、自動運転が基本な現代で手動運転オンリーの骨董品バイクが爆走できる道路はこんな忘れ去られた悪路しかあるまい。

 たまーに土砂崩れで道が通れなくなっているのはご愛嬌だ。

 

 俺、有明刻は、正直なところストレス発散でただ風を浴びる為だけに、こんな苦行のような行為で貴重な土曜日を潰そうとしていた。

 梅雨も明けて日中の気温は上がり始めている。昼前でこれなのだから、これ以降はもっと酷いことになるだろう。

 首元を緩めて多少風を取り入れているとはいえ、それは微々たる抵抗だ。

 せめてシールドを上げて走りたい。もっと言えば警察なんていないんだしヘルメットを外して全力で風を受けたいが、おびただしい数の羽虫と道路まで伸びた枝葉によって、そんな欲を出せば自殺行為に変換されてしまう。

 

 ふと、通知音。首に下げた携帯端末に、着信が届いた音だ。

 端末を軽くタッチすると、仮想ディスプレイが目の前に展開する。

 そこに映ったのは、まだ幼さを感じるが、快活さが滲み出た男の顔。


『おーっす、きざむ~』


 菊咲伴炎きくざばんえん

 大学の同期で、幼小中高とずっと同じ学校に進学してきた友達………………幼馴染?だ。

 

『なんじゃい。』

『サークルの誘いじゃい。どうせ目的地もなくバイク転がしてるだけだろー?ならとりあえず今日だけでいいから一緒に走ろうぜ~』


 こいつとは、共に中高と陸上部に所属していた。

 ばんえんはかなりやる気のある陸上サークルに入り、未だに競技レベルで走り続けている。

 しかし、かつて短距離のタイムで無駄に競ってしまったことで、未だに俺へのライバル扱いが抜けていないのか大学では無所属を宣言したというのにたまに練習の誘いが来る。

 しかし講義終わりや大学の中庭ボーっとしている様な平時なら兎も角、今は快適?な全力全開前進フルスロットル大暴走真っ最中。

 ブレーキなんて概念、存在しない。


『断る。』

『夜は俺んちでみんな集まって、疲れて腹ペコな状態でレッツ、カリーパーリーだ。』

『…………………………………………………………それはどんなカリーですか。』

『インダァスカァリィ~~~超本場仕様9種類、ナンは焼きたて随時補充、水分少な目炊き立てご飯、諸々お代わり超自由だ。』

『超行く。』

 

 ブレーキもそこそこに、車体を横滑りさせ急制動をかける。

 ずががががっ、っという嫌な音と共にブーツの底が削れるが知ったことではない。

 この危険かつあちこちにガタが来る行為を、人は○田スライドという。

 滑らかなギアチェンジにより、即座に後方へと向きを変えて急加速する。

 

 アクセル全開、いや、限界なんか突破しろ、デルタホイールブラスター号!!!(今命名)

 カレーを求める我が心、一切の曇りなし。

 今の俺ならば、光の速度すら超えられるのではないだろうか。

 見せてやろう、我が透き通る世界を!!!

 オーバー・クリア・カレーマインド!!!!!!

 完璧に舗装されたサーキットでも出ないようなタイムを叩き出し、俺達が通う大学の駐輪場へと滑り込んだ。


 

 なんやかんやで、練習は終わった。

 現役の頃からの筋肉の変化で崩れたフォームに四苦八苦しながらも、なんとか現役の大会で成績を残すような化け物連中に食らいついた。

 最速でシャワーを浴びて俺だけ出発。行きの時に擦り切れて使い物にならなくなったブーツを廃棄して間に合わせを購入するため、ショッピングモールへと急行。

 ショッピングモールは前日起きた悪の組織の襲撃のせいで復旧工事中で縮小営業だというのに、それでも娯楽を求めて人が溢れていた。

 そんな人混みに若干苛立ちつつ、ブーツを無事に換えることに成功。

 もはや慣れ親しんだ市民の皆様の手動運転への白い視線を無視して、ばんえんの家へと(法定速度は守りつつ)急ぐ。

 しかし、急ぎすぎてモノレール帰宅のばんえん達を追い越したらしい。

 ばんえんの住むマンションの前でバイクに跨り、ぽけーっとすること20分程。

 ようやくばんえん御一行がご到着した。


 ばんえんの家に入るなり猛烈なスパイスの匂いが漂ってきて、昼飯を抜いた俺の腹を攻撃してくた。ぐぎゅる!っとか、ぐごっ!とか、そんな無様な被弾音を鳴らしつつ、中へと進む。


 皆が酒を手に取るが、運転が控えている俺は飲むことはできない。一応バイクだけで配送サービスを頼むことはできるが、業者が来るまでの待ち時間がもったいない。結局適当なオレンジ系の爽やかさが売りのジュースを手に取る。

 

「それじゃ、みんな。今日も練習お疲れ様でした~!

 今日のカレーはいつも通り、我が母君の直伝のレシピを参考にマネージャー陣が作ってくれてます。感謝して食す様に!

 それじゃ、乾杯!」

 

 ばんえんの乾杯の音頭と同時に、目を付けていた緑のスープが入っている鍋へとワープする。

 ささっと皿に黄色いライスを盛り付け、スープを注ぐ。

 山積みのナンを2枚確保したらもうここには用はない。颯爽と部屋の端にある椅子へと向かう。

 

 鼻に突き刺さるスパイスの香りが心地良い。

 一先ずルーだけ口に入れれば煮詰められたほうれん草が強く主張してくる。強いスパイスの刺激の中にさっと振られたチーズが後味のよさを醸しだす。

 ライスと共に食べればぱさぱさした米の中にルーがよく混ざって、旨味を維持しつつルー単体だけの重さを和らげてくれる。

 調子に乗ってライスだけでルーを平らげてしまい、ナンが手持ち無沙汰になってしまった。

 

 しかし、このルーは味として美味しいは美味しいのだが、少しインパクトに欠ける。やはり運動した後はもっと動物性たんぱく質の豊富な肉々しいルーを選択するべきだったと少し後悔してしまった。

 口の中を洗い流す為にジュースを口に含んで遊ばせ次のルーを何にしようかと考えていると、皿を持って近付いてくる影があった。


「きざむ先輩、今日はお疲れ様でした。」

「ん、お疲れ。」

「よかったら、次はこちらをいかがですか?」


 黒髪を後ろで束ねた彼女は、確かくどう……ゆき?とか言う陸上サークルのマネージャーだったはず。とろんとした目尻と柔和な笑顔でかなり清楚で優しい印象を受ける。黄緑を基調にしたロングスカートが、若干ゆったりとしつつもしっかりと肉の付いた体のラインを醸しだすシャツと共にそれを強調している。

 今年入って来たばかりの新人だけに、酌が如く色々と気回しをしているらしい。

 皿の中を見てみれば、挽肉であろう肉の粒が混ざった赤みがかったスープの中に、更に大き目に切られた鶏肉が浮いている、The・肉!といったルーが真ん中に鎮座する白米を囲んでいる。

 まさしく、今俺が求めていたカレーがそこにはあった。


「ありがと。」

 

 しっかりと煮込まれて軽く突いただけで崩れそうなほろほろの鶏肉を一口。

 美味い。

 中までしっかりとスープが染み込み、肉汁の様な錯覚を与えつつ嚙むたびにカレーとしての刺激が迸る。

 とはいえ香り高く辛さもしっかりとあるが、手を止める程の物ではない。嚙み砕けば直ぐに飲み込み、また次の一口を、また次の、と続いてしまう、そんなスパイスの奇跡的な配合っぷりで、気が付けば皿は空になっていた。


 食い終わったことで次はどうするかと顔を上げると、すぐ横にくどうがまだ居座っていることに気が付く。

 談笑の邪魔にならないように離れ小島の椅子に座ったはずだが、わざわざどこかの椅子を持って静かに隣に座っていたらしい。どういうつもりか、覗き込むようにしてニコニコと笑っている。


「どしたの。」

「食べっぷりがあまりにもすごかったので見入っちゃいました。

 ちなみにそのルーは、私が作ったんですよ?」

「さいでっか。

 ………………おいしかったよ。」

「にひっ………………っと、それより、次のお皿持ってきますね。」

「いやいいよ、そんな気ぃ回さないで。所詮わしゃ外様じゃ。」

「いえいえ、私が好きでしてるので。」

 

 奇特なやっちゃ、とやけに上機嫌に跳ねる彼女を見送る。

 手持ち無沙汰になったのでどうしようか、と思っていたが、気付けば肘置きに刺していたシリコンコップが新しくなっている。

 一杯飲んだ如きでコップを変えるのももったいないな、なんて貧乏性が発動しつつも、ありがたくジュースで無聊を慰める。

 そんなことをしていると遠くの方で談笑していたばんえんが、高校からの付き合いのいつメン4人を引き連れてやってきた。


「落ち着いた?」

「ただの次待ち。」


 流石に4歳からの付き合いだ。

 俺の食事中に話しかけても会話する気がないのをよくご存じで、タイミングを見計らっていたらしい。

 そのまま特に不快感を表すでもなく隣の席に腰を下ろす。


「楽しんでる?」

「うめぇ。」

「ならよかった。」

 

 こいつばんえんとこいつの家族には大いに世話になった。

 家にいたくなかった俺は、こいつの家に入り浸っては、馬鹿みたいにゲームして、サッカーをして、キャッチボールをして、追いかけっこをして。

 そんな生活をしていたから、俺の実家の味を問われれば、日本の料理雑誌では必ず名前がのるレストランのメインコックである、ばんえんの母親の料理の味だ。

 対価として無駄に舌が肥えてしまって日常食への感動が減ってしまった気がしないでもないが、少なくともそれを継承しかけているばんえんのおかげで大分助かった。

 ばんえん自身は大学で学んでいる通りに霊力ハートバーン系の研究員志望らしいが、素直に母親の元で料理の道に進めばいいのに、とは思ってはいる。

 そんなこいつだが(おそらく)酒のカップを呷りつつ、俺の手元を見てにへらっ、と気持ち悪い笑いを浮かべた。

 

「そのカレー、くどうさんが作ったんだぜ。」

「聞いた。」

「あ、そう?どうだった?」

「どうって、うまかったけど、逆にどって?」

「べっつにー?なんでもなーい。」


 何故か無駄に楽しそうな声色で返された。

 なんやこいつ、なんてわざとらしくジト目で軽く睨む様に眺めていると、急にいつメンの一人の雷子に耳を引っ張られる。


「いたい。」

「痛い、じゃないよ。

 作ってもらったご飯にもうちょっと大きなリアクションを取るとかできない訳?」

「お前は一体、俺に何を求めとんのや………………」

 

 高校からの付き合いだからもう4年以上になるだろうか。

 確かにらいこは小言臭いところはあるし色々と神経質ではあるが、俺がこんな調子で飯を食っているのを知っているだろうに、これまでは何も言っていなかったのに急に言い出されても困惑するしかない。

 堪忍袋の緒が切れたにしてもあまりに唐突すぎるし、これまでもそんなに不快感を前面に出された覚えもない。

 

「まあまあ。らいこも、そんなにピリピリしないの。

 悪いね、ちょっと昨日いろいろあってさ。」

「別にええけど。」

「よくないわ!」


 同じくいつメンのせんじの仲裁も、らいこはなんのその。

 知らんとこでのストレスを俺で発散するのはやめてほしい。


 「らいこ先輩?なにしてるんですか?」


 と、そんなことをしているとくどうが戻って来た。

 今度は黄色がかったルーのカレーを片手に持っている。


 「いやっ、ごめん、なんでもない………………」


 それでらいこがすごすごと引き下がるのもよくわからないが、ひとまず平穏は訪れたらしい。

 

「ま、ごゆっくり~」

「結局お前は何しに来たんだ。」


 気持ち悪い笑みを浮かべたままばんえんが去っていく。

 去った瞬間他のサークルメンバーに囲まれている時点で明らかに

 

「さっ、どうぞきざむ先輩。これも私が作ったんですけど、さっきのよりもいい感じに仕上がってますよ。」

「ん。」


 手渡された皿からスプーンを一掬い。

 とろみの強い日本風カレーだった。ひとまず口に入ってきたのは大き目に刻まれたじゃがいも。

 日本風カレーなんて本来ならばさして変化を付けようがないというのに、じゃがいもニンジンタマネギ。具材それぞれがが絶妙な硬さに調整され、複数日置いたような部分と、野菜本来の味わいを感じる部分とが共存している。ルーの味も中辛をベースに追加でスパイスを入れることでキッチリと締まった味わいも楽しめる。

 

「うめえ。」

「よかったです。」


 なんだかんだで気が付けばこの日本風カレーを3皿も食してしまった。

 ふと、仮想ディスプレイが視界の右下に展開されていることに気が付く。夢中になっている間にメッセージが来たようだ。

 

 ――――――――――ああ、嫌だ。本当に最悪だ。


「ごめん、すぐ帰る。」

「え?あ、はい………………?」


 メッセージを確認したら、それだけくどうに言い残して席を立つ。

 中身の少なくなったカレー鍋の周りで談笑していたばんえんも、こちらに気が付いた。


「悪い。」

「そんなに慌ててるって、きょうこちゃん絡みだろ?片付けとか気にしなくていいから、早く行ってやれ。」


 周りの面子に若干睨まれつつ急いで部屋を出てバイクに跨る。

 法定速度なんて関係ない。

 裏道ショートカットなんでもござれ。

 最高速度で、帰路に付いた。

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