優しい その手で

第2話  優しい その手で

3月に入ってから、私は休み明けに毎週有給休暇を取った

気を遣わせたくなくて、母にも兄弟妹にも

「仕事が暇で休みやねん」

とか言ってたけど、少しでも長く母の側に居たかった


この頃の母は、それでも、まだ立って歩いてた

ゆっくりだけど、洗い物したり、洗濯したり

お風呂も入ってた


いつだったか、銀行についてきてと頼まれて

一緒に商店街まで出かけた

私の腕に掴まりながら ゆっくり ゆっくり歩いた


時々、立ち止まっては 私の腕に痛いくらい

ぎゅっとしがみついていた


弱々しい母を見ていると 泣きそうになって

「いい天気やね」とか「桜まだ咲かへんね」とか

「沈丁花のいい香りがするよ」とか

たわいのない言葉をかけて誤魔化した


結局 母の具合が悪くなって銀行には行けなかった



3月21日

この日の夜、音楽活動の一時休止を決めた妹の

最後のLIVEに行った

私の友達も観に来てくれた

妹は母に観て欲しかっただろう

母も行きたかっただろう


“明日も愛させて”を歌う妹を見て泣いた。


この歌を泣かずに歌える妹は凄いと思う




3月22日

夜から実家に泊まった

台所の椅子に座って伏せている母を一人にできなくて

側でうつらうつらしてた

かえって母に気を遣わせていた事に今更気付く

母は私の為に2階に上がった

あの階段を登るのが辛かったに違いないのに……

今ならわかるのに……!


次の日 母は一度も下に降りてこなかった

その時の私はそれを深く考えてなかったんだけど


ごめんね……


もう、動けなかったんだよね……


誰か この日 この時の私を殴ってほしい


次の日

私は時々2階に様子を見に行って

下でずっとテレビ見てた

……本当に私は馬鹿だ


なんで もっと……!


ごめんねお母さん

馬鹿な娘で本当にごめんなさい




3月24日

朝 パニック状態の妹から電話

泣きながら「早く来て」と…


この日が どんな風に過ぎて どんな風に終わったか どうやって次の朝を迎えたのか


殆ど思い出せない


憶えているのは

とにかく電話を切ってから、取るものも取り敢えず家を飛び出して 実家に駆け込んで 2階の寝室に入ったら

ヒーターやストーブに囲まれて 毛布に包まって

異常な位 ガタガタと震えている母の姿


妹は泣きながら母の身体を擦っていて

私を見て「お姉ちゃん…!」って…

私は どうしてた?

何を思って 何を考えてた?

全然 思い出せない


ただ 泣いてた気がする


父と母の古くからの知り合いが3人

手助けに来てくれた

病気の知識のある人達で ずっと母を気にかけてくれていたから とても心強かった


母はこの2、3年下痢が続いていて

最後の1年は一時間おきに御手洗に籠もる状態だった


皆が見守る中 御手洗に行きたいと

父に支えられてなんとか歩いた


この時が 母が自分の足で歩いた最後


御手洗から出てきて 崩れる様に横になった母を見て


「もう、起きて自分の足で御手洗に行くのは無理だろう」


知人のひとりがそう言って 母におむつにしてはどうかと聞いた


あんまりだと思った


そんな辱めを受けさせたくはなかった

母の性格からして それは絶対に嫌だろうと思った


でも


母はおむつをする事を承諾した


ああ………もう……本当に限界なんだ……


知らせを受けて早退してきた弟が

妹と一緒に世話をし易い様にと介護用の着物やおむつを買ってきてくれて

皆には部屋を出て貰って

私と妹で着替えさせて おむつを当てた


「これで御手洗に行く苦しみから解放される…有難う」

母が小さく言った


「……汚いのに…ゴメンね」


「そんなん、気にせんでええよ 全然汚くなんかないよ お母さんだって反対の立場やったら気にせえへんでしょ?」

母は 小さく 小さく 頷いた


でも、そんなの気安めだって分かってる

呆けた訳でもないのに 子供に下の世話をされるなんて嫌に決まってる

それでも そうせざるを得ない自分が歯痒くて

悔しいだろう

そして そんな姿を他人に見られるのも嫌だろう

知っている人達なら 尚更だ


母は私達が想像もできないような

そんな苦しみに耐えてきた人だ

幼い頃は病気で苦しみ 22才で父と結婚してからは

父の精神的な虐めで 苦しんできた

私達が幼い頃 父は私達子供に母の悪口を吹き込み

そのせいで 私達は長らく母が大嫌いだった


母はそれでも ずっと私達を 愛してくれていた


神様


母は まだ 苦しまなければいけませんか?

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