第4話 さやは神と共に人の心を救うグリ下歌手となる

 テレビでの露出が減少した今、もう未成年者の半分は、きよかの存在を知らないとしても、不思議ではない。

 たまにマスメディアに登場する、ただのベテラン歌手おばさん、芸能界の大御所として見られているかもしれない。

 しかしなんといっても、腐っても鯛ならず腐りかけてもきよか。

 昔からの根強いファンが、離れることなくしっかりとついている。

 クリスマスのディナーショーは、なんと五万五千円にも関わらず、二か月以上も前から完売であり、これはきよかならではである。

 きよかは、アメリカではジャズのCD一位に輝いたが、余り日本では評価されなかった。

 きよかは淋しさと同時に、芸能界における自分の位置を考えざるをえない状況に追い込まれていた。


 そんなとき、娘のさやがお忍びでなんと難波グリ下にたびたび訪れていることを知った。

 きよかは最初反対したが、さやは、中学時代からの親友あやなが、グリ下で自殺したので弔いたい、そして世間のことをもっと知りたいという願望から、今はグリ下に行くことを許してほしいと懇願した。

 あやなは、身体が弱く一生完治することのない難病に見舞われ、友達の少ない子だったので、さやは、あやなの母親からも友達になってくれてありがとう、できたら一生付き合ってあげてほしいと頭を下げられていたという。

 しかしお定まりのパターン、グリ下出身の口のうまい詐欺師のような男にひっかかり、自らの難病に対する絶望感から、自死の道を選んだのだった。


 あやなの両親から、死を知らされたとき、さやはなんともいえない淋しさと絶望感、そして自分はなんの力にもなってやれなかったという無力感とふがいなさに悩まされた。

 さやは、いつもきよかの娘として、きよかの顔に泥を塗るわけにはいかないという誇りと、重い責任感を背負って生きていた。

 そのことをきよかに話すと

「いいのよ。さやにはさやの人生がある。もし私の顔に泥を塗ることがあっても、私はさやが生きててさえいれば、それでいいの。

 さやは私のことより、自分の人生を生きてほしいの」

 さやは決心したように言った。

「私は今まできらびやかな世界の住人であり、世間の辛さなど知らずに育ってきたわ。でもスターでい続ける期間は、若いうちだけ。

 新人が入り、時代が変わると私はかすんでしまう。

 それよりも、これからは、人の心を救う歌を歌っていきたいの。

 たとえマスコミが面白おかしくフェイク記事をかきたてても、一人でも自殺防止に役立つことができたら、本望よ」

 きよかは、さやの成長に驚いていた。

 もう世間知らずの温室育ちのさやは、そこにはいなかった。

 まるで大木のような強い意思をもった、たくましいさやの魂を垣間見た気がした。

 

 さやは今、グリ下で一人、自ら作詞作曲したゴスペルをアカペラで歌っている。


 主あなたを愛します あなたは私の主です

 主が強ければ なにも恐れることはありません

 我が主イエス 我が主イエス 

 我が主イエス あなたを愛し続けます

   

 そこにはかつての華やかなスポットライトがあたることもなく、かわりにネオンが頭上に輝いているだけである。

 歌番組の司会者の代わりに、不良たちの好奇に満ちた視線、ポカンと口をあけた地雷系ファッションの若い女性、なかには聞えよがしに

「きよかの娘アイドルさやも堕ちたものね。本当は借金まみれだったりしてね。

 もしかして、私達の仲間になりたいのかな?」なんて事実無根の心ないことを言う人もいるくらいである。


 さやは、鋭い視線を感じるようになっていた。

 いかにも人相の悪い、腕にはなんと女性のヌード姿の刺青をいれた三十歳くらいのチンピラまがいの男性が、こちらを敵意ある視線でにらみつけているのである。

 相撲のしこを踏むようなどっすどっすというポーズで、さやの方に向かってきた。

 しかし、さやはそんな妙な脅しまがいに負けるわけにはいかない。

 そう、私には主イエスがついているのである。恐れる必要などないのだ。

 そうすると、チンピラまがいはあきらめて去っていった。

 ゴスペルの歌声のあるところ、天使が飛ぶというが本当であると、さやは確信した。

 一週間、さやは毎日、雨の降る日もグリ下で歌い続けた。

「姉さん、歌うまいね。もっと歌ってよ」と拍手をしてくれる若者もでてきた。

 さやは今までの恋の歌とは違う、充実した喜びを感じていた。

 恋なんていう感情は、いずれは消え去ってしまう。

 いくらヒットチャート一位でも、ときと共に過去のものとなってしまうという不安と恐れから、解放されるときが訪れた。


 さやは今、神様を讃美する歌を歌っている。

 このことは、神様から聖霊の力を与えられたという確信が得られた。

 もちろん、いわれなき中傷の声もある。

 アイドルの売名行為、落ち目になる前になにか突飛なことをしでかした、偽善に違いないという侮辱的な中傷。

 挙句の果てに、裏にはなにか大きなからくりがあり、それが金儲けへと繋がっていくに違いないなどという飛躍的な嘘。

 世間はなにか新しいことをすると、自分の都合と眼力が嵩じて、事実無根の勝手なことを言い出すものである。


 松田きよかが歌手として、六年間二十四曲にわたり、連続一位という金字塔を打ち立てたのは、やはり根底に愛と赦しがあったからに違いない。

 きよか曰く

「芸能界っていいこともたくさんあるけれど、同時に苦労も多い。

 こんな苦労は私だけで沢山。

 私は生まれ変わっても歌手でいたいが、子供が歌手になりたいと言い出したら、どんなことがあっても猛反対します」

 そういえば、きよかはキリスト教の女子高出身であり、毎日お祈りをしていたという。

「神様、今日もありがとうございました。明日も幸せでありますように」

 きよか自身は、この幸せという意味がわからないまま、毎日お祈りを欠かさなかったという。


 きよかは故郷では家族と友人の愛に包まれて育てられ、いじめにあったことなどなかったという。

 夜中に仕事から帰宅して、待っててくれる母親に愚痴をこぼしても、母親の答えはいつも一つだった。

「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」

 きよかは、母親によって赦すということを学んだに違いない。


 歌手として成功し、スキャンダルをモノともせず、逆手にとってビッグになったのは、人の妬み嫉みを神から与えられた愛の力で跳ね返したからだろう。

 きよかは、お嬢様育ちから芸能界というきらびやかな世界で成功した。

 しかし、世の中にはきよかの想像もできない、底辺の世界で生きている人もいる。

 そんな人のつぶやきを、救う歌を歌っていきたい。

 これが、世間に対する私の唯一の恩返しである。

 私もいずれは、一般人として生きていかねばならない。

 このことが、その序奏かもしれないと覚悟した。

 

 そんなとき、サプライズな情報が入ってきた。

 なんとクリスマスディナーショーの五万五千円もするチケットが、発売二か月未満で売り切れたというのだ。

 なかには、親子連れで来てくれる人もいる。

 ああ、歌い続けてよかった。

 これからは、今までのように恋の歌だけでなく、社会的弱者のために歌っていきたい。

 その思いが通じたのだろうか。

 グリ下の会衆は、この頃は静かにきよかの歌を聞いてくれている。 

 きよかは、初めて社会的弱者をテーマにした歌を披露した。


    「闇の中で神が蘇った」

 涙が枯れ果てた後に 残されたものは

 酒の匂いのする ひびの入ったグラス


 世の中の欲望に身を任せ 心を売り渡し

 魂まで奪い取られる前に

 私は 狂人という道を選ぶしかなかった


 少女の頃聞いた讃美歌にふと 心が蘇った

 神様は決して私を見捨てはしない

 私は思わず 手を組んで天を見上げていた

 神様 どうか救って下さい 

 そして あなたの道を歩ませて下さい

 アーメン


 松田きよかは、プロの歌手として連続一位を六年間継続したという金字塔を打ち出したのは、やはり母から教わった赦す心があったからであろう。

 きよかは故郷では、家族と友人の愛に包まれて育てられてきたが、世の中はきよかのように恵まれた人ばかりではない。

 歌手として成功し、スキャンダルをモノともせず、逆手にとってビッグになったのは、人の妬み嫉みを愛の力ではね返してきたからである。


 今度は、私がグリ下に集まる社会的弱者のために、愛を与えるときが訪れた。

 これこそ、神の導きだろう。

 今のきよかは、ソプラノのような高音をだすことが難しいので、高音はさや担当であり、これでさやとデュエットできる。

 世の中から犯罪を失くすために、これ以上悲しみを増やさないためにも歌い続ける。

 これからは、今まで応援してくれたファンへの恩返しの道を歩みたい。

 このことこそが、 ファンを犯罪から守る一筋の道に違いない。

 

 END

 


 

 

 

 

 

 


 







 

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大阪難波グリ下で出会ったビッグアイドル すどう零 @kisamatuma

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