第2話 松田きよかが進歩できるのは、あやに対する愛が基盤

 松田きよかは、デビュー当時、かわいこぶりっ子なってあだ名をつけられていたが、素で見るきよかは、風にそよぐの小さな野花のように自然そのものである。

 なんの気取りもなければ、肩ひじ張った部分もなく、あくまでも自然体であり、まるで自由に空を駆け抜ける妖精みたいである。


 きよかの方から、

「あやさん。さやはちょっぴり、神経質で気にしいみたいな、こだわる部分もあるけれど、仲良くしてあげて下さいね」

 私は思わず、

「とんでもない。私こそ、さやさんに学ぶことは非常に多いです。

 可愛くてきれいなだけじゃなく、礼儀正しくて勉強家で、常にいろんなことを吸収してるんだと思います。

 私もそれに刺激されて、読書を始めたんですよ」

 きよかは

「そう言われると私も母親として、誇りがもてます。

 さやは私よりもしっかりしてるんですよ。

 私が歌詞を間違えたらどうしようと言うと、すかさず

「大丈夫。歌詞が頭に入ってたら、うまくいくわよ」

 私はその言葉にどれだけ、勇気づけられ励まされてきたことか。

 なかには、好奇心半分でさやに近づいた挙句、さやがこんなことを言ってたよと言い触らしたりするいわゆる、さや調査をするような人もいます。

 そういう人に限って、初対面から手を握ったりしてくるんですよ。

 握手でもあるまいし、初対面から手を握ってくること自体が不自然ですものね。

 でもあやさんは、そういうことはやめて下さいね」

 そう言い残し、帰り際には私の大好きなパープルピンクのハンドタオルをプレゼントしてくれた。

「有難うございます。このハンドタオルは、あやさんがもっているグリーンのハンドタオルのと色違いですね」

 きよかは

「そうですね。このハンドタオルを見て、あやを思ってやって下さいね」

 私は、あやふやに頷くことしかできなかったが、きよかのあやに対する母性愛だけは、しっかりと感じられた。 

 きよかはなんの気取りもなければ、肩ひじ張った部分もなく、あくまで自然体である。

 まるでひらひらと空を飛ぶ妖精みたいである。

 さやは、そんなきよかの腕に頭をもたせかけている。


 このさやかへの訪問を、私は誇りある思い出として、一生忘れることはないだろう。


 それから三日後、さやは芸能界に入るために転校することになった。

 なんでも母親であるきよかは、さやの芸能界入りを猛反対したが、人に夢を与えたいというさやの大きな願いを遮るわけにはいかなかった。

 きよかは、スター時代には必ず新人タレントにこちらから挨拶をしていた。

 新人タレントは、いくら丁重に頭を下げても誰も見向きもされず、壁際で震えているだけの居場所のない存在でもある。

 きよかは、いつも心のなかで

「可哀そうに。運よくデビューしたのはいいが、これからいいようのない苦労が待ち受けているに違いない」

と同情の念すら感じていた。

 さやが三年芸能界にいて芽が出なかったら、いつでも戻っておいでというきよかに対し、さやは、石の上にも三年、絶対成功するまでは辞めないというさやの決意に、かつての自分を見た気がしたという。

 私から見て、さやは真面目な努力家ではあるが、きよかのようにあっけらかんとした明るさや図太さがあるわけではなく、どちらかというと線が細い。

 芸能界の荒波に呑まれやしないだろうか。

 私はちょっぴりの不安を感じ、さやに言った。

「さやと離れるのは淋しい。でも永遠の別れじゃないよね。

 今度は、一視聴者としてさやの活躍を見守ってるわ。

 なにがあっても、私はさやの味方だからね」

 さやは、一粒の涙を流しながら、私から無言で背を向けた。

 さやの背中から、ふとはかないものを感じたが、それが的中するときが訪れるとは、そのときは夢にも思っていなかった。


 二年後、さやはゴールデンタイムの学園ドラマの生徒役で出演することになった。

 準主役であるさやの演技を、私は毎週楽しみに見ていた。

 ストーリーは、非行歴のある青年が教師になり、母校に帰って様々な事件を解決するというものであり、さやはその教師のクラスの生徒だった。

 さやの役は、無抵抗な元いじめられっ子だったが、その教師と共に成長していくという重要な役柄だった。

 さやは、転校が多かったのでいじめられた過去があったに違いない。

 しかし、そんなことはおくびにも出さず、いつも自然体であるさやに、私は尊敬の念すら抱いていた。

 

 話を元に戻そう。

 私が、難波グリコ下に行くのは、小説を書く上で、いろんな人の心の痛みを知りたいからである。

 心の痛みを放ったままにしておくと、いくら表面では明朗活発にふるまっていても、孤独になり、今度は自分が人を傷つける方にまわったりするいじめのスパイラルが生じていく。

 特に地方出身者のように、話し相手もなく孤独の檻にこもり、精神が黒ずんでくると、無差別テロのように世間に復讐しようとする犯罪者に陥ってしまう危険性さえはらんでいる。


 自分は地獄、それなら幸せそうな人を巻き添えにしてやろうなんていう、傲慢で極めて自己中心的な考えをもってしまう。

 その前に話し相手になることが必要である。

 そのときは、決して自分の意見や相手に対する批判は無用である。

「あなたのこういう部分が間違っている。私だったらこうするな」

 そんな言葉は、相手を傷つけるだけかもしれない。


 グリ下に集まり、ときには犯罪を犯す人は、自分をないがしろにした世間、いや最も近い家族や学校、地域環境への復讐ではないだろうか?!

 社会的弱者の心の1%でも理解することが、私にできるささやかな社会貢献である。

 そしてそれをネタとして、小説のアイディアを考えたいという希望もあることは事実であるが。

 

 さやはドラマのみでなく、CDデビュー、CMにも進出していた。

 まさに快進撃である。

 しかしさやは、テレビの枠にとどまらず、二十歳になったとき、ミュージカル女優デビューすることになった。

 さやは、かつて私と交換日記をしていた時代とは違う、私など到底手の届かないきらびやかな世界の住人となっていた。

 そんなさやの存在は、飛び立つ季節の鳥のように私にとっては、遠い存在となってしまったが、私はさやから目を離すことはできなかった。


 さやは、ミュージカル女優として主役の座に立っていた。

 オーディションのとき、脚本家に「有名人の娘だから選ばれたのですか」と聞いたことがあったという。

 もちろんその脚本家は、首を横に振った。

「有名人の子供というのは、最初から注目されている。

 だから常に、親を上回る120点でなければならない。

 しかし君は、それに応えるだけの努力家だと見込んだからである」

 実際、さやはそのとき、左足をねんざしていたというが、おくびも痛みを見せず、笑顔でいたという。

 脚本家はそのことに気づいていたのだろう。


 さやが二十三歳になったとき、母親松田きよかと紅白歌合戦でペアで出場することになった。

 ちょうどそのとき、松田きよかは三度目の結婚をすることになった。

 相手は一般人であり、マスコミもそう騒ぐことはなかった。

 さや曰く

「環境の変化にとまどうこともあったけど、私のために毎朝五時に起きて、弁当をつくってくれるママを尊敬しています」

 紅白歌合戦の番組宣伝もあり、さやと松田きよかは、姉妹のように肩を組んでCMに出演していた。

 松田きよか曰く

「私はさやにはうるさいですよ。礼儀正しくしつけてきたつもりです。

 さやは私よりもしっかりしていて、ファッションはさやから学んでいます。

 ちなみに私はピンクや赤などの暖色系のひらひらフリルが好きなのに対し、さやはブルーやグリーンのクール系が好きなんですよ。

 さやは私にとって、いちばんの親友です」

 松田きよかは、さやの存在を誇りに思い、愛しく誇らし気に、頬をすり寄せ、語っていた。

 しかし、親友ということは、さやは松田きよかの顔を潰すわけにはいかないというプライドと責任感が常に潜んでいた。

 このことは、さやに与えられた生れながらの宿命であろう。

 あるときは誇らしく、しかし一歩間違えればまるで奈落のように堕ちて、世間のさらし者にならなければならないという、有名人の宿命であろう。


 松田きよかは、娘さやのことを

「歌詞まちがえちゃったら、どうしよう」

と相談すると、さやはすかさず

「大丈夫。頭に歌詞が入っているんでしょう。あとは歌詞のビジョンを想像して歌えば、松田きよか即効の歌の世界が生まれるはずよ」

と励まして、力づけてくれるんですよ。

 それにさやは、流行にも敏感で、私にアクセサリーまでコーディネイトしてくれる。

 さやがいなければ、私は生きていけないほどです」

 生真面目だが、少し気弱な部分もあるさやは、ミュージカル女優として、今はもはや松田きよかの存在を超えつつあった。


 そんなさやが行方不明になったというニュースが報道されたのは、その翌年、さやが二十四歳になったばかりの冬だった。

 




 

 


 

 

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