大阪難波グリ下で出会ったビッグアイドル

すどう零

第1話 グリ下長老が元ビッグアイドルと出会った 

 大阪にはご存じの方もいらっしゃると思うが、歌舞伎町に似た繁華街の難波がある。

 難波の駅から少し離れた橋の近くには、グリコの看板が大きく掲げられ、夜になるとネオンが輝く。

 両手を広げているグリコの男性が、イエスキリストの十字架と似ていると思うのは、私だけだろうか?

 アクセサリー部門で人気ナンバー1は、常に十字架だというが、やはり人は十字架に救いを求め、十字架を頼りにしているのだろうか?

 コロナ渦のせいで不況になり、家庭もうまくいかなくなった未成年のたまり場となっているが、それに群がるハゲタカのような大人が存在しているのも、また事実である。


 ここに来ると、私と同類の人に会える。

 そう思って、つい向かったというよりも、たどりついた場所がグリ下だった。

 私、偏差値中級程度の商業高校に通う十七歳女性高校生。

 グリ下で十七歳というと、最年長とまではいかなくても、二番目の長老のような存在である。

 あとはたいてい、私よりも年下で、家出や不登校の未成年が多い。

 なかには、義理の親と折り合いが悪く、家庭から逃げるようにして、家出をした子もいる。

 

 まあ、私は家庭の不幸をそう味わったことがないので、その苦しみはわからない。

 私の場合は、大好きな元アイドル、今はミュージカル女優の松田さやが自殺したショックが原因で、人の心の痛みを理解したいと思い、たどり着いたのがこの難波にあるグリ下だった。

 

 松田さやは、ビッグ歌手である松田きよかの一人娘として生まれた。

 誕生したときから、マスコミの注目の的だったというのは、松田さやに課された運命というよりも、宿命だったに違いない。

 さやが小学校の運動会のときは、なんと総勢百人のマスコミに取り囲まれ、他の父兄から苦情の波が寄せられた。

 

 私が松田さやに出会ったのは、中学二年の頃だった。

 私立中学から転校してきたさやは、私の隣に座り、私に軽く会釈した。

 私はそのときはまだ、さやの存在を知らずにいた。

 単に可愛くてきれいで、礼儀正しい少女という感想しか抱かなかった。

 のちのそれが、松田きよかの娘だと知ったときは、仰天した。

 そういえば、首を傾けながら笑う仕草が、きよかに似ていた。


 私ー本条あやは、生まれつき難病で身体が弱かったせいもあり、極度の人見知りであった。

 それも加え、当時流行っていた、クラスのグループ学習ー現在はパソコンの存在により、それも消滅してしまったがーについていけなかったり、体育祭の衣装を貸してやるという善意の申し出をお断りしたばかりに、クラスから半ば疎外されるという孤独な存在となってしまっていた。

 貸してやるというのをお断りするということが、そんなに腹立たしいことなのだろうか? 

 それでは、返却できなかったらどうなるのだろう。

 謝って済む問題なのだろうか?

 今だに、それが疎外される原因になっていたとは、私には理解できない。


 そんな私にさり気なく声をかけ、授業中当てられると小声で答えを教えてくれたのが、ほかならぬ松田さやであった。


 私はさやの誕生日に、自作の作詞を贈った。


   「白いスイートピー」

 天国へ向かう道に あなたは生きてきたのよ

 いろいろな傷を隠し 強く羽ばたいていく


 なぜあなたはこの世を スーッと消えてく

 足跡も 残さないまま


 きれいなまま 汚れることも知らないで

 天使の羽根を つけたまま 光の粒

 まき散らして


 涙が枯れ果てたとき あなたを追いかける


 さやはこの詩を読んだとき、苦笑しながら言った。

「とってもきれいな詩ね。私もこういう生き方をして、天国へと旅立つことができたら」

 私は答えた。

「この詩は私の詩でもあるの。この世に汚れることなく、きれいなままの姿で天国へと旅立つような生き方がしたいな」

 私とさやは、顔を見合わせて頷き、

 さやは「すごい。もの書きの才能だしまくりよ」と言ってくれたことが、励ましとなり、私は今でも作詞や小説をサイトにアップし続けている。


 さやと出会って二週間後、私達は交換日記をしあう仲になっていた。

 さやの新しい感性は、私に刺激を与えてくれた。

 日常生活をかくよりも、お互い書いた作詞や小説に、これからどう発展していくか楽しみですという有難い感想をさやから頂いた。


 さやは読書好きだったのだろう。

 私のストーリーを詳細に読み込み、理解しようと努めてくれていた。

 どうして主人公はこんな行動にでたのかなという疑問点、またあるときは、このキャストのセリフの意味を、わかりやすく書いた方がいいという辛口というところまではいかないが、忠告コメントもあり、お互いがお互いのファン第一号だった。


 さやが中学三年に進級するとき、またもや六度目の転校をすることになった。

 しかし、その割にはさやの成績は中の上を保っていたことは、ひとえにさやの努力の賜物としかいいようがない。

 松田きよかが再再婚することになったので、さやは、きよかの母の介護をしながら、同居するという。

 幸い、きよかの母は、孫であるさやを我が子同然に可愛がっていたが、必要以上に甘やかすということはなかった。

 もし、今ここで甘やかしてしまったら、さやは崩れてしまうと思ったに違いない。


 私は、さやの家に呼ばれた。

 さやと松田きよかの共通の好物だという大麦クッキーを持参して出かけた。

 松田きよかは大物スターだが、マスコミと闘ってきたという一見図太い見かけによらず案外肌が弱く、アレルギー持ちだと聞いていた。

 

 ベルを押すと、なんと松田きよかがすっぴん顔に、洒落たホームウェアで出迎えてくれたには、少々驚いた。

 しかしさすがに大スターだけのことはある。

 スタイル抜群で、立居振舞もどことなく垢ぬけている。

 私から挨拶をして頭を下げた。

「さやさんと同じクラスの本条あやです。

 いつもお世話になっております」

 すると、松田きよかが

「あやさんのことは、さやから聞いていますよ。

 素敵な歌詞を書く人なんですね。といっても、拝見させて頂いたことは一度もありませんがね。

 まあ、私も作詞をしますので、クリエイティブな楽しさはわかりますよ」

 いきなりさやは、私が作詞した松田きよかの替え歌を歌い出した。

 光栄なことに、松田きよかとさやの親子から、拍手がおこった。


 私は、奇跡が起こったのではないかと思った。

 お世辞混じりかもしれないが、なんと松田きよかが私の歌詞に反応して下さっている。

 プロの作詞家の素晴らしい歌を、歌い続けていたにも関わらず、ぺーぺーの素人の私の歌詞に、親子ともども拍手をして下さっているという、信じられない現実。 

その瞬間、私は物書きになろうと決心したのだった。


 松田きよかが笑顔で言った。

「ようこそいらっしゃませ。今日はさーやの好物を、さーやと合作でつくりました。お口に合うかどうかわかりませんが、一度カルシウムたっぷりのスープを食べてみて下さい」

 あやがもってきたスープ皿は、木綿豆腐とチーズと煮干しを細かく刻んだグラタンだった。

 別の皿には、トッピング用に海苔やゴマ、かつお節、ポン酢の瓶が置いてあり、三皿めは、なんとうどん屋のように天かすが盛られていて、まるで洒落たレストラン風である。

 一口食べると、薄味であるが、煮干しのだし汁が聞いているが、チーズで臭みが消えている。

 松田きよかが、笑顔で言った。

「私達は、揚げ物は年に一度しか食べないことにしているんです。

 その代わり、ゴマや天かすで油分をとっているんですよ。

 ねえ、あやちゃん」

 娘のあやはこっくりと頷いた。

 まるで、きよかママの伝授を受ける生徒のようである。

 

 私は思わず

「スターさんって、常に前進していかねばならない。

 だから、料理の味も工夫して変化をもたせてるのですね」

 あやは答えて言った。

「そうね。飽きられたらそこでストップだというわ。

 でも、ママは私に対する愛情だけは昔も今も変わってはいないわ」

 その言葉に、きよかママは目を細めていた。


 


 


 


 

 

 

 



 

 

 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る