第四章 あの竜空へ、もう一度

第37話「進む者たち」

 スタートはまばらだった。

 ドラゴンレースにおいては明確なスタートラインというものが定められていない。

 はじまりの花火が上がる前に越えてはならないラインは存在するが、そこを越えさえしなければどこにいてもいい。


「アルマージ、先頭に立たなくてもいい。まずは良い風避けになる竜を見つけろ」


 フレデリクとアルマージは、最初に飛び出た十頭ほどの竜にわずかに遅れる形でラインを切る。

 さらに何頭かの竜がまるでフレデリクたちを挑発するかのように横すれすれを通って先へ飛んでいったが、フレデリクはそれに構わなかった。


 ――ドラゴンレースは長い。


 最初に王城の周りを大きく一周し、それから中層空域を飛びながら王国南西の渓谷地帯を目指す。

 基本的に障害物が存在しないなだらかな空の道だが、渓谷に近づくにつれてやや飛翔の難易度はあがる。


「渓谷の終端付近には気をつけろ。渓谷の終端にある絶壁に打ち上げられた乱気流がある。気を抜くとすぐに錐もみにされて雲の上まで吹き飛ばされるぞ」

「無論、承知しておりますとも。わたしはドラセリアの竜ですからね」


 ドラセリアの領土内には渓谷と山岳、それと深い森林と豊富な自然地形がある。

 大地は人の領域。

 そうした自然地形にはたいていどこの国でも人の手が入っているが、ドラグーンを生業とするドラセリアにおいてはその上空の地形――通称『空形』と呼ばれる場所にも入念に調査がなされている。

 当然それはドラセリアに住む竜にとっても同じことで、彼らはドラセリア領空域の特殊空形についてはほかの国の竜よりも熟知していた。


 ――空の形は人の目には見えないが、その実は大地の形と同等か、あるいはそれ以上に複雑な顔を持っている。


 季節ごとの風の流れ。

 独特な地形から吹き上げる恒常風。

 その日の温度によっても、空の道は形を変える。


「海に出る前に十分に高度を下げるように。海岸付近の高空は魔物が住んでいるからな」


 海風は特に気性が荒い。

 ドラセリア南端にある海への入口には、交易の要衝として王都の次に栄えている街があるが、何度か貴族としての視察で出向いた際、屈強な船乗りたちに海のすばらしさとおそろしさについて聞いた。

 

「もうしばらくすると昼ですから、海陸風が強く吹いているかもしれませんね」

「夜に吹く海際の陸風よりはマシだ。あれはなかなかにおそろしいからな」


 温まりやすく、冷めやすい陸上。

 温まりにくく、冷めにくい海上。

 それらの比熱によって起こる海陸風は、無論空の道にも反映される。


 フレデリクは夜に吹く陸から海へ吸い込まれるような風――通称『陸風』が昔からあまり好きではなかった。

 夜の、まるで魔物でも潜んでいそうな真っ暗な海に吸い込まれていく風は、フレデリクの幼心を何度も脅かしたからだ。


「――さて」


 と、フレデリクは周りをみやる。

 前、やや離れた位置に最初に飛び出した十頭ほどの竜。

 その背に乗る竜乗りを見ると、どれも国外の竜乗りらしい。

 これみよがしに他国紋章が刻まれた旗を鞍に差す者もいれば、独特の民族衣装に身を包む者もいる。


「ラディカの言っていたことが気になるが、そう簡単に尻尾は出さないか」


 フレデリクは先頭集団の最後尾に位置しながら、周囲を観察することにした。


◆◆◆


 その頃、ドラセリア王城。


「――はじまったな、セルマ」

「はい、お父様」


 最終的なゴール地点、王城のバルコニーがある一室に、ドラセリア王とその第一王女たるセルマがいた。


「そういえば、ミミアンの姿が見えないようですが……」

「あれはレースに併せて開催されるお祭りが気になると言って街に出た」

「街に? お父様はそれをお許しになったのですか?」


 大きな机に座って臣下たちが出した紅茶を啜ろうとしたところ。

 そっけなく答えた初老のドラセリア王にセルマは目を丸くしてたずねる。

 そこには少し、抗議の色もあった。


「行きたいというのであれば、止める理由はあるまい」

「お父様はこのドラゴン・レースがドラセリア王族にとってどれだけ危険な伝統であるかおわかりのはずです」


 セルマは怒りとも怪訝とも言えない雰囲気をたたえて続ける。


「まあ、我々の命を狙うとすればこのときだな」

「そんなときにどうしてミミアンを……」

「今、この国にとって必要なのはあれではなくお前だ」


 瞬間、セルマの怒気は頂点に達しかけた。

 もともと気の長いほうではない。

 しかしそれにしてもあんまりひどい言い草ではないか。


「お父様は間違っています。古き王の在り方にこだわりすぎている。たしかにわたしは王位継承者ではありますが、ミミアンとてそれは同じ。そして仮にわたしが王位を継承し王になったとしても、ミミアンはなくてはならない存在です」

「王はひとりでなければならない。権力や権威というものは分散させてはならないのだ。分散すればいずれそれが国の弱点になる」


 ドラセリア王は昔からそうだった。

 王国というものの在り方に強い自論を持っている。


「であればミミアンはどうでもいいと、そうおっしゃりたいのですか」

「――口を慎め、セルマ」


 王の威圧的な眼光がセルマに向けられる。

 しかしセルマはそれにひるまなかった。


「竜を救った初代ドラセリア王の心はどこにいったのですか。助けを求めたすべての竜を救おうとした我らの建国王の理念は」

「あれは人であって竜ではない。建国王とて竜に力があったから手を差し伸べた」


 違う、逆であるべきだ。セルマは思う。


「近しい人間をこそ救おうとする理念を持つべきです。でなければ国家は崩壊します。打算だけでは生きられない。だからドラゴン・レースだって行われるのでしょう」

「……」


 伝統は権威を引き連れる。

 しかし忘れてはならないものがある。

 それはもっと根本的な、国家の理念だ。


「わたしが男として生まれれば良かったのですね」


 もしくは、その逆、ミミアンが。


「黙っていろ、セルマ」


 ドラセリア王が灰色の眼に強い光を乗せてセルマを睨む。

 セルマはその視線を受けてようやく口を閉じた。

 ひるんだわけではなく、もうなにをいっても意味がない、と思っての閉口だった。


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