第36話「空の割れる音」

 そしてドラゴンレースの開幕が近づいた。


 スタートの時点でおよそ三百もの竜が集まり、参加者を背に乗せて宙に滞空している。

 王城の周囲を色とりどりの竜が舞う光景は、まさしく壮観だった。


「アルマージ、調子はどうだ」

『ええ、とても良いです。フレデリク様はいかがでしょうか?』

「私も万全だ。案ずるな」


 その無数の竜の中に、日光を反射してきらきらと輝く青い鱗を持った竜がいた。

 飛びぬけて大きいわけではないが、美しく整ったフォルムは竜の中でも特に美しい。

 その背に乗るのはドラセリアの竜公爵ことフレデリク・レイデュラントである。


「そういえばアルマージ、今朝はミアハとは話さなかったのか」

『いいえ。ここのところミアハ様は竜舎にお出でにならないもので』

「……珍しいな」


 フレデリクとアルマージは王城の周りをゆっくりと回遊しながら言葉を交わす。

 フレデリクは『竜の耳』を持っていない。

 ゆえに、アルマージの竜語を聞きとることはできない。


「最近外出が多いからドラゴンレースに向けて竜たちの世話でも焼きに行っているのかと思ったんだが」

『よいではありませんか。ミアハ様が積極的に外にお出になるようになったのは喜ばしいことです。もしかしたら新しい目標でも見つけたのかもしれませんね』


 しかしフレデリクとアルマージは、まるで本当に会話をしているかのように互いに言葉を投げかけた。

 そうやっておくすことなくこうだと思った言葉を投げかけられるのは、アルマージが首を振ったりして見てわかるリアクションを取るからでもあったし、なによりこれまでに何度も、ミアハという通訳を通して会話をしてきたからだった。


「はは、お前はまるで人のようだな」

『そうでしょうか?』

「それも、そこらへんの人間の貴族にも劣らぬ気品がある」


 アルマージは竜としては雌に当たる。

 フレデリクも人間の女性に接するようにアルマージと接するし、実際、アルマージはほかの竜と比べてあきらかに気品があった。

 

『かいかぶりです。所詮わたしは竜ですから。人のまねごとをして、こうして得意ぶっているだけです』

「そうかな」

『そうです。それに、竜にこのような気品はいりません。竜としての気品とは、すなわち絶対的な力によって表されるものです。その点では、わたしなんかは二流。昔の白竜様や黒竜様たちからすれば、鼻で笑われるようなものでしょう』


 圧倒的な強さというのは、他者を寄せ付けない独特の気品のようなものを往々にして引き連れる。

 触れられざるもの。

 触れてはならぬもの。

 そういった意味では、むしろ着飾った人間の気品よりも原始的で、かつ、真に迫るものがあるのかもしれない。


「アルマージは、人と共存する道を選んだことを後悔しているか?」


 ふと、フレデリクはアルマージに訊ねた。

 

『いいえ。わたしは白竜様たちの理念にしたがって、こうして人と共存する道を選んだことを後悔したことは一度もありません。事実、わたしたちはドラセリアの民たちによってこうしてまだ生きていられます。それに、人と共存することで見えたさまざまな価値があります』


 アルマージは一度だけゆっくりと眼を閉じた。

 その仕草で、フレデリクはアルマージの言わんとすることをなんとなく察した。


「……そうか。仮にお世辞であってもありがたいよ」

『ふふ、あなたはもう少し素直になった方がいいかもしれませんね』


 アルマージがゆっくりと高度をあげながら笑う。

 柔らかな空の風がフレデリクの氷色の髪を揺らした。


『しかし、わたしたちは人と共存することによって原始の竜としての力は失くしてしまったかもしれません。もともと竜はもっと大きな体をしていたし、こうして誰かを背に乗せるような飛び方をしていなかった』


 すると、アルマージがフレデリクの手のあたりに魔法陣を展開した。

 そこには文字が書いてある。


「おまえ、いつの間にこんな魔術を――」

『つい最近です。先日ミアハ様がいらっしゃってくださったときに、この魔術を完成させてくださいました』

「ミアハが?」

『そうです』

 

 あまりきれいな文字ではない。しかし魔術の式のように連なっていく文字列は、たしかにアルマージの言葉を表していた。


『あまり長くは続きませんし、こうして落ち着いた状況でなければ使えません。でも、これでやっとあなたと好きなように会話をすることができる。ミアハ様はずっと、このわたしのささやかな望みのために力を尽くしてくれていました』


 人が竜に魔術を教える。

 その光景に、フレデリクはおかしさとうれしさを同時に覚えた。


「私もうれしいよ、アルマージ」


 フレデリクがアルマージの背を優しくなでる。


「――そろそろスタートの花火が上がりますね」


 アルマージに言われ、フレデリクは意識を周りに向ける。

 気づけば周りの竜や人がわずかに殺気立っていた。

 王城のバルコニーに王国宰相と思われる中年の男がいる。

 男は天に手を掲げ、そこに魔法陣を編み込んだ。


「無事に戻りましょう。勝つにしろ、負けるにしろ」

「……ああ、そうだな。ミアハに礼を言わなければなるまい」


 王国宰相の編み込んだ魔術は間をおかずに事象となって現れる。

 それは小さな光の玉だった。

 見えない力によって空に撃ち出された光の玉は、やがて高空にて弾ける。

 空に光の花が咲いた。


「行きましょう」

「――レイデュラントの名のもとに」


 炸裂音に続く歓声。

 その日ドラセリアが人の声に揺れた。

 そして次にやってきたのは――


「これが、空の割れる音か」


 無数の竜がその翼で一斉に大気を叩くことによって起こる、爆裂音だった。

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