第29話「その灰はどこへ」

「病だったのだ」

「病? 竜族が?」

「普通の病ではない。人が、竜を殺すために意図して作り上げた病だ」


 そんなものを作れる人間が存在するのか。

 ルナフレアはその聡明な頭脳でもってまっさきに最悪の事態を考えた。


 ――そんなものを仮に人に使われたら。


「呪術、と呼んだ方が適切かもしれないな。かの〈魔導の国〉ヨルンガルドがそれを生み出した」


 なんということだ。

 もっとも所持させたくない国がそれを保持している。

 侵略帝国と強力な致死性呪術。


「ルナフレアは知っているか? かの国が黒い鱗の竜を配下に収めているという噂を」


◆◆◆


 ヨルンガルドとはドラセリアの勃興と同時期に世界に現れた国家である。

 周辺諸国の中では歴史は深いほうだ。

 一時代前、多数の都市国家が生まれては消え、また生まれては消えた時代の前に出来上がった国。


「ヨルンガルドの最初の領土はあまり恵まれた土地ではなかった。作物は育ちにくく、自然の恵みは数少ない。ただ、彼らは屈強だった。そして最初の帝――初代ヨルンガルド帝はその部族の中でもっとも強い人間だったそうだ」


 より原始的に、より野性的に。

 彼らはもともと、戦乱荒れ狂う北の大陸より逃げ落ち、この西の大陸に根を下ろした民族の末裔だという。

 彼らにとって土地とは奪うものであった。

 住む場所がなければ奪い、食料がなければ奪い、技術を習得できなければそれを持っている部族を屈服させ、利用した。


「もっとも厄介なのが、ヨルンガルドがただの蛮族の集まりではなかったということだ」


 北の大陸はいまだに戦乱が続いている。

 彼らは狂っているとまで揶揄やゆされた。

 しかし驚くべきは、製鉄や建築術、また、魔術にいたるまで、技術的には北の大陸がもっとも進んでいること。

 寒さの厳しい大地で、なおも戦いを続ける彼らは、屈強で、そして知能も高い。

 まるで戦いこそが人類の進化に必要なのだと声高に叫んでいるようで、ルナフレアは北の大陸があまり好きではなかった。


「ヨルンガルドは北の熾烈な戦乱に敗北し、生き残るためにこの西の大陸へやってきたが、彼らは屈強なばかりでなく、非常に好奇心旺盛で、そしてさまざまな才覚に恵まれていた。――彼らは未発達だったのだ。生まれたばかりの赤子のように、なにも知らなかっただけ」


 平和ボケしていた西の大陸ではじめて勝利の味を知った彼らは、急速に進化した。

 おそるべき速度で。

 いまもっとも西の大陸で発展しているのは、間違いなく彼らである。


「まだ多くの竜が野生で空を飛んでいたころ、ヨルンガルドは空戦戦力を得るために竜を手に入れようとした。そのための切り札として用意したのが、その呪術だ」

「竜だけを殺す病?」

「そう。〈竜死の病〉と呼ぶ」

「わかりやすいですね」


 聞けばそれだとわかる名称にしたのは、それこそ竜を震えあがらせるためだったのかもしれない。


「竜死の病にかかった竜は、舌に特徴的な斑点ができる。一個の魔法陣のような斑点だ。その斑点が出てからおよそ半年で死に至る。彼――私の知る『ミアハ』は、ドラセリア建国後、使者としてドラセリアへやってきたヨルンガルドの特使にその呪術をかけられた」

「特使? ドラセリアはヨルンガルドと親交があったんですか?」


 ルナフレアが驚いた顔で訊ねると、セルマは苦笑した。


「威圧外交のための特使だ。いわゆる脅し要員だな」


 親交ではない。

 彼女の表情と言葉から、ルナフレアは考えを改めた。


「ドラセリアは勃興と同時に西の大陸の覇者に名乗り出た。名乗り出る気はなくとも、人間界においては世界最強とも言える戦力を勃興と同時に得ていたから」


 竜族と共存することによって生まれた国家。

 たしかに、一夜にして世界最強の戦力を手に入れたといっても過言ではない。


「ただ、わかるとおり、そもそも最初から竜が兵器として活用できるのであれば、ほかの民族もそれ目当てにもっと早く協力を申し出ていただろう」

「たしかに」


 そうできない理由があったのだろうか。

 ルナフレアがふと考えようとしたところで、セルマが人差し指をあげてほのかに笑いながら言った。


「簡単なことだ。初代ドラセリア王は、当時白い竜の一団を率いていた『ミアハ』と約束をした。――けっして竜を人間界の戦争で利用しないと」


 なるほど。

 あるいは『ミアハ』はそれを最低限の条件として最初から提示していたのかもしれない。

 考えればすぐにわかることだ。

 圧倒的な竜族の力を、人間界の私利私欲のために使おうとする者はいくらでもいる。


「ただ、それではあまりに竜たちに有利だ。竜たちは強靭だったが、そもそも彼らは滅亡を察知して人間との共存を目指していた。自分たちには不可能なやり方で、自分たちの滅亡を食い止めてもらうために。自分たちからはなにも差し出さないのに、一方的な救いばかりを求めるのは、どこか浅ましい」


 それが力を持つ者であればなおのこと。

 生物としての気位が高い竜族が、そんな『施し』のようなやり取りを是認するとは思えない。

 たとえ折れることを決めた彼ら白い竜たちでも、そこまで堕ちることは認めなかっただろう。

 

「だから、白い竜たちは自分たちを『抑止力』として使うことを認めた。いや、むしろ進言したといったほうがいいか。『自分たちを使ってくれ』と。そのかわり、知恵を貸してほしいと」


 そうしてドラセリアは竜と共存した。


「ヨルンガルドはまさしくその力に目をつけたんですね」

「そうだ。まっさきにドラセリアへ特使を送ってきたのがヨルンガルドだった。建国から半年後のこと。あまりに早い来訪だ」


 そしてヨルンガルドの特使によって、白い竜の王、ミアハは病に伏せった。


「まさか、半年で竜死の病を作り出したんですか?」

「いや、おそらくもっと前から試作していたのだと思う。かの呪術は、とても半年やそこらで開発ができるようなものではなかった。構成術式は机上の空論と呼んでも差し支えないほど複雑かつ難解。加えて、あれは竜の生体式をじっくりと調べなければとても開発できるものではない」


 セルマの表情は暗い。


「少なくとも竜であったころの私には、とても再現できるようなものでなかった」


 机上の空論と揶揄するほどの大術式。


「どうにか防げればよかったんですけどね……」

「そうだな……」


 しまった、とルナフレアは思った。

 いまさらどうこういってもしかたのないこと。

 それに誰よりもそれを防ぎたかったのは、このセルマだ。


「ヨルンガルドを迎えるにあたって、準備が足りていなかった。ヨルンガルドという強者を、なおも私たちは見誤っていたのだ」


 すべてにおいて先を行かれていた。

 半年という短い準備期間。

 たった一人でやってきた特使への油断。

 竜を味方につけているという驕り。

 すべてが重なって、彼は死んだ。


「そのミアハは、灰になったんですか……?」


 ふと、ルナフレアはさきほどのセルマの言葉を思い出す。


 死んだ白い竜は灰になる。


 そして新たな魂がそこに入り、新たな白竜として生まれ出でる。


「……ああ、だがそこから別の白竜が生まれることはなかった。少なくとも、私が生きている間は」


 その灰はまだこの空のどこかをさまよっているのだろうか。

 ルナフレアはふと、窓の外の蒼穹をまた眺めた。

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