第28話「その竜の名は」

 たった一頭、白竜の意見に賛同した黒竜がいた。

 

「その黒竜はまた違う意味で頭が固かった。白竜が降参するときにも、なお黒竜勢力に噛みつこうとしていた大馬鹿者だ。そいつは竜の中では幼く、いわば子どものようなものだった。聞き分けがなかったんだな」

「わたしは嫌いじゃないですけどね、そういうガッツある人」

「ふふ、そうか。――少し照れるな」


 ――ん?


 ぼそりと小さな声でつぶやいたセルマの言葉を、ルナフレアの耳は捉えていた。


「ともあれ、最終的にはその黒竜も白竜たちにいさめられてしぶしぶ引き下がった。それからは唯一黒い鱗を持ちながら白竜たちと共にいき、人との共存の道を探しはじめた」

「もしかしてそれがドラセリアの誕生の由来だったりするんですか?」

「ああ。――いや、すべてもしかしたらの話だ」


 セルマが思い出したようにつけ加える。


「……うーん。でも、これはなんとなくなんですけど、すぐに協力者が見つかってめでたしめでたし――とはならなそうな気がしますね……」


 ルナフレアが思案気にうなった。


「そのとおりだ、ルナフレア。その一頭だけまぎれた黒竜が、人との共存の道を探すにあたってたいそう邪魔になったのだ」


 白竜はもともとほかの動植物に優しかった。

 自分たちの力が強大すぎることを理解し、配慮をして、ときにはあえて爪を隠して他種をいつくしんだ。

 それは人族にも同じで、ゆえに彼らだけであれば協力者はすぐに見つかるはずだった。


「しかし黒竜は、白竜とは逆に他種にたいしてひどく暴虐的に振る舞っていた。思想が合致しているからといっても見た目の影響力というのは強大だ。同じ人間でもわかり合えないことが多いのに、なぜ人と竜が言葉だけで正しくわかりあえようか」

「そうですね……」


 話し合いで世界に平和が訪れるのであれば今こうなってはいない。

 ルナフレアにもセルマの言いたいことは痛いほどわかった。


「黒竜がいることで、人は白竜たちに協力することに尻込みした。だから、あるときその黒竜は姿を消すことに決めたのだ」

「……」


 少し、悲しい。

 ルナフレアは自分が同じ立場だったらそうすると思った。

 けれどやはりどこか、寂しい決断だと心が痛んだ。


「そうすれば万事がうまくいく。そしてその竜は姿を消した」

「……」

「――だが」


 セルマが逆接の言葉を繋げる。


「うち一頭の白竜が、その背中を猛然と追ってきたのだ」

「えっ?」


 セルマが急にトーンを変えて、まるでおもしろおかしい喜劇を語るかのように言った。

 想像したその状況とセルマ自身わけがわからないといった表情に、ルナフレアは思わず笑ってしまいそうになる。


「それはもう、すごい形相だった」


 『なぜ逃げる』

 『いや、私がいると邪魔になってしまうから』

 『だめだ、戻れ』

 『このままではなにも変わらない! 私はいないほうがいい!』

 『命令だ。戻らなければ引きずってでも連れて帰る』


「うわぁ……なかなかの王様気質ですねぇ……」

「はは、しかしその黒竜は救われた気がしていたという」


 『おれたちは家族だ。鱗の色は違えど、仲間を思いやる気持ちは同じだ』

 『しかし……』

 『もう誰も失いたくない。大丈夫、なんとかなる』


「根拠はないけど言い切るあたり、ちょっとお兄ちゃんと似てるかもしれない」

「変わらないな」

「え?」

「いや。――やがて黒竜は文字どおりひきずるように連れ戻され、そしてその三年後、ドラセリアが生まれた」


 セルマがようやくというふうに一息をつく。


「無論、そこまでの道のりも平坦ではなかった。建国してからも七難八苦という感じで、何度か黒竜たちが襲ってきたこともあったという」

「うわぁ……」

「しかし、私を連れ戻した白竜が、たいそう献身した。黒竜の前で自害した竜の中には、当時の白竜の王もいたのだが、彼はその王のあとを継いで新たな白竜の王となっていた」

「竜族にも王とかあるんですね」

「ああ、だが人の世ほど小難しくはない。竜は強さこそがその王たる証。これは白竜でも同じことで、王を継いだその白竜は群れの中でも断トツに強かった。彼が黒竜との争いのはじまりから生まれていれば、結果は変わっていたかもしれない」

「あれ? 争いの当初はいなかったんですか? その王様」


 ルナフレアが意外とばかりに目を丸くする。


「白竜は生まれ方が特殊なのだ。これは竜の間でもいまだに解明されていないことだが、白竜は『なにかの生まれ変わり』として生まれてくるらしい」

「生まれ変わり?」

「竜は寿命で死ぬと灰になる。そしてある竜が死ぬと、その灰から新たな竜が生まれることがある。そうして生まれた竜は、みな白い鱗を宿し、そして――」


 を保持していると言われる。


「大なり小なり、だがな。ほとんど覚えていない者もいれば、はっきりと覚えている者もいた。そしてその前世はさまざま。だからこそ彼らは、他種に対して慈しみの心を持つことができたのかもしれない」

「はー、なるほどー」


 そこまで聞いて、ルナフレアは一度深呼吸した。

 それから空気を命一杯吸い込んで、こう言った。


「ところでいまさらなんですが、それはおとぎ話じゃなくて本当の話ですよね?」


◆◆◆


 蒙昧もうまいである、と言われればそれまで。

 ルナフレアとて最初は疑いの気持ちしかなかった。

 このセルマという王女は、こう見えて実は頭がお花畑なのかもしれない。

 いや十中八九そうに違いない。


 だが話を聞いているうちに、ルナフレアの中には確信ばかりがつのっていった。

 まるで自分のことのようにおとぎ話を話すセルマの顔には、感情が乗っている。

 細部の心理描写が、妙に真に迫っている。

 いっそこの話が彼女の持つ記憶そのものだとしたほうが、しっくりきた。


「それに今さっき、『私を連れ戻した白竜』ってはっきり言いましたし……」

「……」

「わたし、昔から兄様――二男のラディカ兄様――が『おれの前世は狼だったんだぜ! かっこいいだろ!?』っていう幼さ全開の冗談を聞いて育ったんですけど、それとはあきらかに一線を画すっていうか、妙に真に迫るっていうか」


 むろんラディカの前世は狼などではないだろう。

 良くて犬だ。

 格好はつけるが尻尾に感情を隠しきれない間抜け面がよく似合う。


「い、いや、これはドラセリア王族に伝わる伝承で、小さなころから耳にタコができるほど聞かされたせいで――」


 セルマがそれまでのどこか超然としていた居住まいを完全に崩して言い訳を重ねはじめる。

 その姿を見てルナフレアはむしろ安心した。

 この王女も年相応の少女なのだと、このときはじめて実感した。

 と同時、急にセルマに対して親近感が湧いてくる。


「仮にこれが本当の話だと言っても、おかしい人間だと言われるのが関の山だろう……」

「んー、ちなみになんですけど、その白い竜の王様には名前とかありました?」

「……」

「……」


 セルマが顔を両手で覆って固まっている。

 耳まで真っ赤だった。

 少しして彼女は指の隙間からちらりとルナフレアを見て小さく言った。


「笑わないか……?」

「はい、笑いません」


 たぶん。


「ミ」

「ミ?」

「……ミアハ」

「……」

「……」

「ぷっ」

「あっ!」


 思わず笑ってしまった。

 さすがにまずいと思ってすぐ引っ込めたが、腹筋が疲れる。

 セルマは大きく頬を膨らませていた。

 あの妖艶で、たまに近寄りがたく感じたかの王女の姿はもうない。


「笑わないと言ったではないか……」

「あ、ごめんなさい」

「ま、まあいい」


 セルマは襟を正して紅茶を少し口に含む。

 それから一息ついてこう言った。


「小さいころ、一度だけルナフレアの兄を見た」


 それはフレデリクのことでも、ラディカのことでもないだろう。


「白い髪と金の瞳。そのときあの竜のことを思い出した」

「同じだったんですね」

「ああ。――そして、名前まで」


 ただの偶然。

 むしろその竜と同一であることのほうがありえない。

 白い竜はなにかの転生の果てなのかもしれないが、その竜が再び人に転生するかもわからない。

 ――いや。


「人には、転生するのかもしれないですね」


 もし今の話が本当に彼女の記憶なのであれば、ありえないことはないかもしれない。


「ああでも、そもそもその竜が死んでるとはかぎらないか……」


 竜は長命だ。

 もしその白い竜たちが人との共存を成功させ、こうしてドラセリアを生み出したのだというなら、そもそもまだ生きている可能性がある。


「いや」


 しかしセルマはまっすぐな瞳でこう言った。


「彼は死んだ。――私の目の前で」


 そのときの彼女の悲しみの表情だけは、けっして作り物ではないと、ルナフレアは確信できた。

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