第27話「白竜と黒竜」
「お兄ちゃんの……こと?」
かつてのミアハであればドラセリア国内でそれなりの話題性をあげたが、ミアハが〈悲劇の子〉となってからずいぶんと久しい。
事件の当初であればまだしも、いまさらになってセルマがミアハを気に掛ける理由がルナフレアにはわからなかった。
「あの、失礼ですが、どうして王女殿下がお兄ちゃん――ミアハ・レイデュラントのことを?」
ルナフレアが心底不思議といった顔で訊ねると、セルマはその美貌に少し恥ずかしそうな色を乗せて言った。
「昔、彼に助けてもらったことがあるのだ」
そんなことあっただろうか。
少なくともルナフレアの記憶の中にはない。
するとセルマはふいに遠い過去を思い出すような顔をして言った。
「ずっとずっと、昔のことだ。もしかしたらまだルナフレアが生まれていなかったころのことかもしれない」
「あの……王女殿下?」
まったく話の意図がつかめない。
もしかしてからかっているのだろうか。
ルナフレアがさらに首をかしげると、セルマも「まあそうなるだろうな」と困ったように笑った。
「ひとつ、おとぎ話をしよう」
「おとぎ話?」
「そう、たとえば――あるいは、『もしかしたら』の話だ。本当にそういうことがあったのかもしれないし、やっぱりどこまでいっても幻想の話かもしれない」
そう続けるセルマの顔は、しかしとてもおとぎ話をするような顔ではなかった。
微笑を浮かべている。
咲き誇る薔薇よりも美しい笑み。
しかしわずかに
それは垂れた花弁をみずから刺してしまいそうなほど、むしろ長く鋭く感じられた。
◆◆◆
「あるところに、一頭のさみしい竜がいた。黒い鱗を持った竜だったという」
「黒い鱗……」
「……そうだな、この話をする前に少し竜についておさらいをしよう」
「おさらい?」
「そう。なにぶんそのおとぎ話は古き竜の滅亡を題材にしているからな」
そういってセルマは話しはじめた。
「竜は古き時代、たった一度だけ滅亡の危機に瀕したことがある」
理由は単純だった。
「食料が尽きかけたのだ。竜族とはこの世界の生態系において頂点に位置する。今ドラセリアにいる竜は、人族の作った竜食によって食べるものに困らず生きていられるが、昔はそうではなかった」
竜は大きい。
そして力も強い。
当然、その体に見合った食料が必要である。
「竜は雑食だ。たいていのものは消化できる。しかしやはりというか、肉食こそが体には合っていたな」
まるで自分のことのようにセルマは言った。
「そして古き時代は竜の数が多かった。それゆえに生態系は竜族によって徐々に縮小し、やがて取り返しのつかない一歩手前になって――彼らは気づいた」
このままでは餌を失くした竜族もいずれ絶滅する。
「そのとき竜族の中には二つの意見があった」
一つ、このまま自然の成り行きに任せて滅ぶべき。
「竜族は生まれたときから圧倒的だ。だからなのかもしれないが、彼らは強烈になにかに焦がれるようなこともない。それは生命に対してもそうだ。言うなれば、冷めている」
セルマがカップの中の紅茶に視線を落とす。
「世界の観察者、と彼らを評する書物もあるが、あながち間違いではないだろう」
彼らは自然のなりゆきのまま、食いたいときに食い、それで餓死していくのならそれもまたよしとした。
「加えてその意見を掲げた竜の中には、竜としてのプライドを語る者もいた。いまさら自分たちが我慢をしてほかの種族を
結果として滅びるのならそれまで。
だが竜は最後まで頂点にあろう。
世界中のすべての動植物を食いつくしてから、最後に滅びればいい。
「そしてそんな中でもう一つ、こんな意見が出た」
――他種族との共存を目指そう。
「そのとき、共存すべき対象としてあげたのが人族だ。人族は竜と比べればひどく弱い。だが彼らには知恵と技術があった。竜は絶大な魔力を持つが、それを活用するための技術には人族ほど優れていない。争いとなればその絶大な魔力にものを言わせて大雑把な魔術で人を葬り去れるが、それ以外の魔術では人に及ばなかった」
人は生活のために魔術を使う。
「人族は魔力という代替燃料を使って、生きるのに必要な食料をすら術式で表現する技術があった」
だから、彼らを庇護するかわりに竜の存続に手を貸してもらえばいい。
「最初にそれを言った竜は、白い鱗の竜だった」
「今度は白い鱗……」
今ではほとんど見ることのない白竜の姿を、ルナフレアは脳裏にぼんやりと描いた。
「じゃあ、その対極となる最初の『絶滅主義』を出したのは黒い竜だったり?」
「察しがいいな、さすがは学園一の才女と謳われるルナフレア・レイデュラント」
「えっ? い、いやぁ、セルマ殿下に褒められると照れるなぁ……えへへ」
照れくさそうに頭をかくルナフレアを、セルマは愛おしげに見つめた。
「ルナフレアの言ったとおり、最初の『絶滅主義』を掲げたのが黒い鱗の竜だった。ちなみに彼らは竜の中でも特に力の強い竜だ」
「竜の中にも序列みたいなものがあるんですね」
「もちろん。白と黒は原点。しかし頂点がどちらであるかは決まっていなかった」
「へえー。でも、そんなことを言うくらいなら、とっくに一度くらい白竜と黒竜で争っててもおかしくなさそうですけど」
「黒竜は好戦的でプライドも高いが、馬鹿ではない。自分たちが争えば星が荒れ、もっと大きな視点で見たときに竜族全体の死期が早まることは理解していた。――しかし」
セルマがふと暗い表情を浮かべる。
「どうせ滅びるのであれば、もう遠慮する必要はない」
セルマの口から出た言葉を聞いて、ルナフレアは次の展開を察した。
「まさか……」
「そう、そのときはじめて白と黒は争った」
二つの意見を掲げる白竜と黒竜のもとに、各部族が旗を掲げ、し烈を極める戦いを繰り広げた。
「山が消え、川は干からび、動植物の半分が死滅した」
「うわぁ……」
「しかしそれでもなお戦いは終わらなかった」
「ほ、星が死ぬぅ……」
ルナフレアは自分のことのように頭を抱える。
「だから、白竜はある決断をした」
「決断……?」
「そう。――彼らは既存の竜族から離別することにした」
竜族という種全体で助かる道を、彼らはそのとき捨てた。
「あるいはいくじなし、と思うかもしれない。けれど私は彼らを勇敢だと思う。なぜなら彼らはその『休戦』に際して、同族の命の半分以上を
「……え?」
差しだした。
命を。
つまるところ――
「自害したのだ。黒竜に降伏の意を示すために」
勝ったものが正義。
原始的、そして生物において根源的に変わらぬ野生界の掟。
「黒竜たちがそれを提言した。二度と凄惨な争いが起きないように、明確な頂点を決めるべきだろうと。そのうえで離反するのであれば、特に追及もしないと」
ルナフレアはその話を聞いて暗い気持ちになった。
人間に置き換えて考えていたのかもしれない。
それがややもすれば人族間でも起こり得ることを、彼女は頭の隅で正しく理解していた。
「なんか、話がすごく大きな方にいっちゃってる気がしますけど、最初に言っていた一頭の黒い竜は?」
「ああ、その黒竜は仲間外れにされた黒竜なのだ」
「仲間外れ?」
「そう」
セルマがわずかに間をあける。
なぜだかその静寂が痛かった。
「その黒竜は、明確な頂点が決まったあとも、唯一白竜側についた
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