第17話「フレデリク・レイデュラントの懸念」

「さて、と」


 フレデリク・レイデュラントは朝食を終えたあとつかの間の休息時間を得た。


「さすがに叙勲式は疲れたな」


 ここ一週間ほどは気が休まらなかった。

 王家も参列することが知らされていた公爵位叙勲式。

 終わってみればこんなものかとも思うが、昨日までの自分はそんなこと考える暇もなかった。


「父上、母上、ひとまず私たちはここまで来ました」


 自室に飾ってある家族の写真に語りかける。

 窓から入ってきた爽やかな風がフレデリクの髪を揺らした。


「……ミアハは元気です」


 写真の中の弟は、まだ三歳ほど。

 母の腕に抱かれたルナフレアにいたっては生まれてから一年も経ってない。


「あのころが懐かしいですね」


 なんの憂慮もなかった穏やかな日々。

 このままなんとなく大人になって、もしかしたら父の跡を継ぐのかもしれないと、漠然と思っていた。


「気の抜けた顔をしているよ、昔の私は」


 正当後継者。

 我ながら笑ってしまうあだ名をつけられたものだ。


「私は父上の完全な後継者にはなれません」


 周りは〈万能の長兄〉と持て囃すけれど、それが過分な評価であることは自分自身わかっている。


「武芸はラディカ。竜乗りとしてはミアハ。そして魔術はルナフレア」


 自分の弟妹たちは本当に優秀だ。

 それぞれの分野で特にすぐれた能力を有している。

 才能もあるだろうが、それぞれの努力によるものが大きい。


「特にラディカとルナフレアはそうかな」


 あの事故のあと。

 ラディカとルナフレアはなにかを忘れたがるように鍛練に没頭した。

 気持ちはわからなくもない。

 自分も弟を救えなかった罪悪感で、潰れてしまいそうになったことが何度もある。


「昔から母上は、私にだけは特に厳しく接しましたね」


 それが母の愛であることをフレデリクは誰よりも理解している。


「――助かりました。あれがなければ、きっと私は弟や妹たちを守れなかったでしょう」


 長兄としての責務。

 母が生きていたころはまだしも、母が死んだあとは自分がレイデュラント家を背負わなければならない。

 レイデュラント家は父が死んでからわずかに衰退したとはいえ、まだドラセリア王国では十分な権力を誇っている。


「だからこそ、確固たる地位を守るためのもろもろが必要だった」


 同じ貴族からの牽制。

 権力争いなど古来より人間が繰り広げてきたものだ。

 当然、ドラセリア貴族も一枚岩ではない。


「私たちレイデュラント家は、ドラセリアの中でも特に古い貴族」


 王族よりも先に、はじめて竜に乗った一族とも言われている。

 真偽のほどは定かではないが、そうして代々ドラグーンとしての資質によって地位を得てきた。

 しかし、先のオルネア戦役においてドラセリアに勝利をもたらせなかったことが、その地位に蔭を落としている。


「私たちに守るべき領民がいないのなら、別に貴族でなくても私は構わなかった」


 レイデュラント家には領地がある。

 レイデュラント家の衰退は、すなわち領民の衰退と同義。


「西の国境線にほど近いこの領地は、もっとも敵の目に晒されやすい」


 仮にレイデュラント家が衰退し、ほかの貴族がこの領地を治めることになったとする。

 そして西から敵が攻めてきて、防戦が危うくなったら、新たな貴族はこの領地を捨て石にするだろう。


 ――この場所には、ほかの貴族が命を懸けてまで守るほどのものはない。


 内地から遠い。

 失くしたら失くしたで重要な資源地もなければ、あるのは竜が空に飛び立ちやすい丘一つ。

 丘陵を利用して敵の足止めをしながら、本迎撃の態勢を内地の直轄領で整えれば良い。


 ――だから私は、守らねばならない。


 レイデュラント家が最初に王家より賜った領地。

 そしてレイデュラント家を慕って集ってくれた領民。

 初代レイデュラント公爵が最初の竜騎兵団を率いていた時代、その部下であった者たちの末裔も多く住んでいる。


「……難しいものだ」


 ありがたいことに今でも彼らは自分たちを慕ってくれている。

 家族同然といえばそのとおりだ。


「ミアハはなにを考えているのだろうか」


 家族という言葉を思い出すと、やはりフレデリクの脳裏にはあの白髪の弟のことが思い出される。

 一昨日の晩、四人で食事をしていたときに背中になにかを隠していたのは知っていた。

 おそらく、魔導書だろう。

 ラディカがミアハに願われ、魔導書のたぐいを調達することは今までにもあった。


「ミアハには魔力がない」


 だから『机上の禁術』と呼ばれるレベルの魔術が乗っている魔導書でも、ミアハがそれを自力で発動させることはないだろう。

 とはいえ、可能性はゼロではない。


「術機のこともある……」


 ヨルンガルドが特に力を入れて開発している術機。

 最近では人間の魔力以外に、竜や魔獣の魔力燃料器官を改造してその機構に組み込んでいるという。

 そのうえつい二週間ほど前、『命力』と呼ばれる命の燃料を利用して大魔術を発動させる実験まで行われたらしい。


「きなくさいな……」


 侵略国家とも呼ばれるヨルンガルドのことだ。

 無論それらの技術の行き着く先は兵器だろう。

 次から次へと新たな力を開発し、それを実戦に投入する。

 このうえなく厄介な国だ。


「……ラディカ、見誤るなよ」


 弟がドラセリアの諜報機関員であることは知っていた。

 ラディカから直接聞いたことはないが、たしかなツテを利用してその情報を手に入れた。

 〈竜影機関〉と呼ばれるドラセリアの暗部。

 その機関員は、家族にさえ自分が機関員であることを明かしてはならないという厳しい掟がある。

 ドラセリアの天を往く竜の影に隠れて、静かに、誰にも知られることなく国を支える縁の下の力持ち。


「ラディカ、ミアハはまっすぐだ。私やお前が思っているより、おそらくずっと」


 〈悲劇の子〉と呼ばれるミアハは、ドラグーンとして栄えある未来を期待され、その希望のすべてを奪われた。

 絶望しただろう。

 それは間違いない。

 しかしミアハは、自分たちが思っているよりずいぶん早くに立ち直った。


「私は、ミアハがたまに見せる苛烈な意志を宿した目がおそろしい」


 まるで炎のようだと思った。

 夜中に用があってミアハの部屋を訪れたとき、ミアハは窓から一人で空を眺めていた。

 そしてその瞳の中に、轟々と燃え盛る意志の炎が宿っているのを、フレデリクはたしかに見た。


「絶望したままで一生を終えるような者は、あんな炎を目の中に宿さない」


 なにかを成し遂げようとしている。

 ほかのなにを犠牲にしても、ミアハはそれを為そうとしている。

 あれはただ希望に燃えるだけの炎ではない。


「あれは、みずからの命をも焼きかねぬおそろしい業火だ」


 空。

 ふと見上げると、二日後のドラゴン・レースに向けて空を飛ぶ何体かの竜が見える。


「ドラグーン……か」


 フレデリクは小さくつぶやいてベストの胸元につけた公爵位を表すメダルを指でなでた。


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