第16話「魔術について」
レイデュラント兄妹が叙勲式典の後、再び一堂に会したのは一日後のことだった。
「……」
「……」
場所はレイデュラント公爵家。
正式に公爵の住まう屋敷となったその建物のリビングで、二人の男が正座している。
「まずラディカ兄様にお訊ねします」
「はい」
「フレデリクお兄様の叙勲式のとき、どこにいらっしゃいましたか」
「それは、あの……あれだ、会場に向かう途中ですげえ美人な街娘を見つけちゃって……つい」
「あ?」
「ひっ」
ルナフレアに問い詰められいるのは次兄ラディカである。
公爵叙勲式の際、三男ミアハと同じくラディカは会場に姿を現さなかった。
ひとたび社交界に顔を出せばその美貌と生来の女好き気質でまたたくまに両手に華を抱えるラディカ。
しかしその力は会場にたどりつくことなく、手前の街通りであえなく発揮されてしまったらしい。
「嘘ですよね?」
「えっ、う、うん。あ……ほんのちょっと本当かなぁって……お兄ちゃんは思うんだけどな?」
ラディカは滝のように流れる汗に顔面を濡らしながら、いまいち判然としない言い訳をする。
「百万歩、いえ、千万歩譲ってお兄様が通りすがりの街娘に手を出したというのは許しましょう。しかし、フレデリク兄様の記念すべき叙勲式に顔を出さないというのは、万死に値すると思うのです」
ルナフレアの目にはいっさいの光がない。
冷徹に、一切の温情さえなく、今にも次兄を睨み殺さんばかりの迫力であった。
「すみませんでしたッ……!!」
「はあ……」
勢いよく土下座するラディカを見て、ルナフレアはようやくため息をつく。
それから、今度は隣に座っていたミアハを見て再び訊ねた。
「それで? ミアハお兄ちゃんは? なにか言い訳ある?」
「ルナ……目が怖い」
「気のせいよ」
ミアハは片足でバランスを取りつつ床に座っているが、すでに足がしびれてきているのか眉がぴくぴくと動いている。
「おれだってちゃんと会場に向かおうとしてたんだ。朝にアルマージのところに行って、そのあと会場まで馬車で送ってもらう予定だった」
「知ってる」
「じゃ、じゃあ――」
「でも、アルマージのいる竜舎を出たあと、馬車の中でみずからで開発した魔術を発動し、あろうことか制御不能に陥って西の森の奥深くへと姿をお隠しになったというではありませんか。というかいつの間に魔石を隠し持っていたのですか?」
「いや、あれはその、なんというか、出来心といいますか……魔石もその……いろいろあって……持っちゃってたなぁって……」
「いろいろ言いたいことはありますが、そもそもなぜ、一家の一大記念日に、馬車の中で得体の知れない魔術を発動させたのですか。ましてや新術なんて」
「申し開きもありません……」
「ちなみに叙勲式には陛下もいらっしゃいました」
「はっ? マジかよ」
「マジです」
ラディカが「やっちまった」と言わんばかりに天を仰ぐ。
「陛下がいらっしゃって、なぜ最も身近にいるべきレイデュラント家の弟たちが出席していないのでしょうか」
そこまで言われるとぐうの音も出ない。
ラディカもミアハも下を向いて大粒の汗を流し続けた。
「まあまあ、私たちらしくていいじゃないか、ルナ」
と、そこで救世主が現る。
コーヒーを飲みながら一部始終を観察していた長兄フレデリクだ。
「よくはありません、フレデリクお兄様」
「叙勲式は無事終わった。私は正式に公爵になったし、こうしてまたみなで朝食を食べられている」
「俺は食えてねえけどな」とラディカがぼそりと言うが、ルナフレアの一瞥ですぐに口をつぐんだ。
「ミアハ」
「あ、うん」
フレデリクは手に持っていたカップを机に置くと、椅子から立ち上がってミアハへ歩み寄った。
「魔術を発動させたんだって?」
「……ごめん」
「……ふむ」
フレデリクはミアハと同じ位置にまで屈んで、ゆっくりと息を吐く。
「いや、私もお前を強く縛りすぎていたかもしれない。ミアハにはルナフレアとはまた違った魔術の才能がある。お前は術式を編むのが特別にうまい上に、かぎられた時間内でとてもすばやく式を編む」
ミアハには魔力というもっとも重要な一点をのぞいて、周りより優れた魔術の資質があった。
魔力がない以上それを活かすことはあまりできないが、『条件さえ整えば』ルナフレアをも超える魔術士になる可能性を秘めている。
「それはつまり、世に言う『机上の禁術』を発動させられる可能性を持っているということだ」
机上の禁術とは、理論上確立されてはいるがほとんどの人間には発動させることができない大魔術群を指す。
魔術は構成術式を編みこむ段階で、一定の速度を必要とする。
あまりに長い間事象にならないままの術式を空間に描写していると、それが霧散してしまうのだ。
強大な事象を起こそうと思うほど、構成術式は複雑になる。
そうすると、事象の発現にこぎつける前に描いている途中の術式が消えてしまい、一からやり直しとなる。
「頭の中で術式を構成する速度、それを投影する精度、お前は昔からそういうものが兄妹の中で一番すぐれていた。そしてお前は足を失ってからさらに、術式を編む鍛練を愚直にこなしてきた」
比類がない。
しかしそれは力にはならない。
強大な魔術は、やはり発動の際に相応の魔力を必要とする。
ミアハは『机上の禁術』を描写しきることができても、それに十分な魔力を込めることができない。
「私はお前が心配なんだ」
「うん、わかってる」
「はは、そうだといいんだがな」
フレデリクは困った顔でため息をついて、それからミアハの頭を優しくなでた。
「お前がやりたいというなら魔術の鍛練自体を止めはしない。しかし、私はお前がそうまでして魔術の鍛練をする理由を、いまだに教えてもらったことがない」
「……」
ミアハが魔術を鍛練するのにも当然理由がある。
しかしそれを人に明かしたことはない。
だがフレデリクは勘付いている。
それが長兄としてどの兄妹よりも優れていると言われる、並外れた観察眼と心を読む力の結実であった。
「ラディカ」
「へい、なんだい兄貴」
ラディカはぎくりと肩をあげてフレデリクを見る。
このときラディカを見るフレデリクの目は、少し鋭かった。
「大きな魔術にはリスクがある。お前もわかっているな」
「あ、ああ……」
大魔術は、魔術として完成させるためにえてしてマイナス志向の術式を挟みこまれる。
そういう『対価的術式』がなければ、複雑な機構を有する大魔術の回路を繋ぎ切れない。
術式の織り成す結果は、必ずしもすべてが人にとってプラスの効果を持つとはかぎらなかった。
「複雑であればあるほど対価的術式回路が使われる。そうしないと線と線を繋ぎ切れなかったり、言霊が相反して効力を為さなかったりするからだ。無論、言われなくてもわかっているだろうが」
「……」
「ミアハが私に言いづらい願いをお前が叶えてくれていることはありがたい。だが、ミアハを思うなら踏みとどまるべきところは踏みとどまれ」
「あらぁ……バレてーら……」
おそらく昨日の魔導書の件はフレデリクにバレている。
だからこそラディカは小さくつぶやき、ミアハは下を向いた。
「ミアハも考えなさい。私はこれ以上兄妹が悲しむ顔は見たくない」
「はい、ごめんなさい」
長兄としての威厳。
一癖も二癖もある兄妹をまとめるレイデュラント家の当主。
その迫力に押され、ラディカとミアハは謝ることしかできなかった。
「まあ、もしおもしろい魔術ができたら私にも教えてくれると嬉しいが」
と、最後にフレデリクは茶目っ気を出して言った。
「ちょっと! お兄様!」
「はは、冗談だ、冗談」
最後にルナフレアが三人の兄を一斉に説教して、ひとまず朝食の席は終わりを告げた。
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