第12話「見上げた空に」

『しかしお前、私を見ても驚かないのだな』

『竜なんて見慣れてる』

『野生の竜もか?』

『それは珍しいな。でも驚くほどのことじゃない』


 少し経って体を起こしたミアハは、改めて白い竜を見た。


『同じ色だ』

『ふむ、言われてみればそうだな』


 白い体表に金の瞳。

 ミアハは白い髪に同じ金の瞳。


『ひどい偶然だ』

『口のまわる小僧め』


 竜は少し楽しげに笑った。


『小僧、名をなんという』

『お前から名乗れ。おれを不躾に呼んだんだ、おれからすれば貸しがある』

『そこまでいくともはや感嘆に値する。翼を失くしたといえど、私は竜だ。今ここで起きあがってお前を食うこともできるのだぞ』

『じゃあそうすればいい。お前のはらわたをぶち破って出て来てやる』

『――』


 一拍。

 二人の間に緊迫した空気が流れた。

 竜を相手に堂々と啖呵を切るミアハをほかの人間が見たら、間違いなく狂人だと思うだろう。

 ミアハは基本的に穏やかで、あまり怒ることがない。


 しかし、かといって大人しいわけではなかった。

 むしろ幼いころは兄妹の中でもっとも好奇心旺盛で落ち着きがなかったくらいだ。

 年を重ねたことやいくつかの悲劇を経たことが、ミアハに独特な落ち着きと、そして竜相手にもひるまない独特な胆力を宿らせた。


『――クハハ!』


 と、今度は竜が間違いなく大笑いをした。


『いいだろう。その無謀さに免じて私から名乗ってやる。私の名は〈ゼスティリア〉。原点にして頂点、白竜族の末裔である』


 白竜。

 ドラセリアにもほかの竜乗り国家にも、白い体表の竜はいない。

 今この竜――ゼスティリアが言ったように、白い体表の竜は竜族の祖として知られ、そして今ではすでにほとんどが滅んだとも言われていた。


 ――あと、ドラセリア建国に助力したのは白竜だったとも。


 ミアハは祖国に伝わる歴史をふと思い出す。


『まあ、わたしはわたし以外の白竜に会ったことがない。気づいたときには竜になっていて、気づいたときには独りだった』


 白い竜は一般的な繁殖を行わないという。

 また、白竜は総じて前世の記憶を持つとも言われていた。

 白竜は、天寿を全うして灰になった別の白竜から、不死鳥のように再構成されて生まれる――と言われている。


『だが、そんなわたしでも白竜としての矜持は知っている。これがわたし自身の記憶によるものなのか、この体に入っていた前の魂の記憶なのかはわからぬがな』


 ゼスティリアそう前置いて続けた。


『われわれ白竜は、生態系最高種としての矜持を貫く。けっしてどの種にも負けぬ。そして――黒竜を討ち滅ぼす』


 黒竜もまた、人の国には存在しない。

 白竜と違って絶滅したとまでは言われていないが、めったに姿を現さない。

 彼らもまた白竜と同じく竜の中でも最も古い種と言われているが、実際に白竜と黒竜、どちらが先なのかはいまだに定説がない状態だ。


 ――黒竜は、一番人間の伝承の中の竜に近い。


 超然、厳然とし、なにものにもなびかず、争いとなればその圧倒的な力で破壊をまき散らす。

 ドラセリアに伝わる話によると、かつて竜族全体の滅びの道が露見したとき、白竜は人との共存の道を説き、黒竜はなにものにも属さない独立姿勢を選んだという。


『あれらは絶望した竜なのだ。我ら白竜族と同じくどの竜族よりも先に滅びの道に気づいた。しかしやつらは他種と共存する道を認めず、挙句の果てにすべてを懸けて破壊をまき散らすことにした』

『どんな理屈だ』

『理屈などない。ただ自分たちが敗者となることを認めたくないだけだ。竜こそが至高、竜こそが世界の覇者であり、最後に生き残るのは黒竜である。そう信じ、自分たちの脅威となり得る存在をかたっぱしから破壊することにした。それが無理なことだと頭でわかっていながら』


 なんて融通の利かない者たちだろうか。

 ミアハはむしろ彼らの思考の帰結に感嘆の息を漏らした。


『駄々っ子じゃないか』

『まさしく。だから白竜はやつらを止めようとした』

『え?』

『結果がこのありさまだ。白竜は私を除いてもういないだろう』


 ゼスティリアはそう言って目を閉じた。

 まるでかつての出来事をその瞼の裏に映しているかのように。


『というかお前、そろそろ名乗れ』

『ああ、悪い悪い』


 ゼスティリアの話にいつの間にか夢中になっていたミアハは、自分がまだ名乗っていないことに気づいて答えた。


『ミアハ。ミアハ・レイデュラント。この森がある国の貴族だ。――名ばかりだけど』

『ほう、貴族。存外いい身分なのだな。私にもそういう地位にあった記憶がある。これはおそらく、竜として生まれる前の記憶だろう』

『本当に前世があるのか』

『ある。鮮明ではないが、竜として自我が芽生えたときにはすでに竜ではないときの記憶があった』

『前世は竜じゃないのか?』

『違うだろうな。その記憶の中の景色は、空を見上げているものばかりだ』


 なるほど、とミアハは思う。

 たしかに前世も竜であれば、地上を見下ろすことはあれど、空を見上げることはあまりなかっただろう。


「じゃあ、おれと同じだ」


 ふと、そこでミアハは笑った。


「おれもずっと、空を見上げてる」

「ほう」


 そしてもう一つ。


「おれの中にある前世の記憶も、空を見上げていた」

「なに?」


 ミアハ・レイデュラントには前世の記憶がある。

 それは例の悲劇のあとに突如として蘇った記憶。

 ゼスティリアと同じように細部は鮮明ではないが、自分が生きてきた中でけっして見たことがない光景が残っていた。


「きっとおれは、もっとずっと昔に、この世界に生きていた」


 ゼスティリアはここにきてはじめて少し狼狽えたような顔を見せる。

 一方のミアハはほのかに笑みを浮かべていた。

 それは過去に思いをはせる老人のようでもあった。


「おれが見上げていた空にはさ――白竜の群れがいたんだ」

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