第11話「隻翼の白竜」
『来い、私のもとへ』
「え?」
馬車の中で揺られていたミアハの耳が、知らない竜の声を捉えた。
と、次の瞬間。
「うわっ」
ミアハの身体が見えない力に引っ張られる。
身体が浮き、そのまま馬車の窓から飛び出して街道の隣に群生していた森に突っ込む。
「ミアハ様ッ!?」
「ちょっ――」
ばきばき。
枝が体に当たって折れる音がする。
それでもミアハの体は止まらない。
『む、やはり人間というのは脆いな』
『誰だか知らないけど、加減、しろ……っ!』
ミアハの視界は安定しない。
ぐるぐると目まぐるしく動く景色と、体を打つ木枝の感触に我慢しながら、ミアハはついに目をつむった。
「ミアハ様ッ!!」
遠くで侍女の声が聞こえる。
しかしそれもやがて聞こえなくなった。
――この森ってどこまで続いているんだっけか……。
国境線までは行かない気がするが、だいぶ深い森であったことを思い出す。
そのうちミアハは体の痛みに耐えきれず気を失った。
◆◆◆
「痛い……」
目を覚ましたときには深い森の奥にいた。
鬱蒼とした青い草木の生い茂る泉が目の前にある。
「どこだ、ここ……」
杖はない。
立ち上がることもままならないので首を回して周囲を窺う。
『傷は治しておいた』
すると、また竜の声がした。
振り向くとそこに、体中を苔に覆われた白い竜が一頭。
「うわ」
『竜語で喋れ。お前の竜語は聞くに堪えないが人語よりはマシだ』
もうずいぶんと動いていないのだろう。
その白い竜は鱗には苔が生えていた。
『お前か、俺を引っ張ったのは』
『そうだ』
『へたくそな魔術だった』
『はっ、口の減らない人間だ』
ミアハは自分をこんな目に合わせたお返しに皮肉をお見舞いし、ようやくその竜の方に向き直る。
そこで竜の方がミアハの身体的特徴に気づいた。
『ほう、隻足か』
『悪いか』
『いや、もの珍しいと思ってな』
これまで隻足であることをなじられたことは何度もある。
だからこそ学園や社交界には出なかった。
慣れてはいるが、だからといってなにも感じないわけではない。
『それに、私と同じだ』
『え?』
そう言われ、ミアハは竜の体をよく見た。
前足、後ろ足、どちらもある。
視線を上に移し――そこでミアハは気づいた。
『お前……隻翼なのか』
『戦いで失った。……おそらくな』
翼は竜にとって命と同義である。
空を飛べなくなった竜はたいてい間をおかず死ぬ。
地にいても竜は十分に力強いが、飛べない竜は竜狩りを生業とする者たちにとっては格好の的だ。
『死んだも同然。そう思って森の奥で眠っていたら、目を覚ましてしまった』
『奇跡だな』
竜はぎょろりとした金の瞳をミアハに向ける。
縦に細く割れた瞳孔。
その瞳が物語る迫力は、まるで自分が蟻にでもなったかのような感覚をミアハに覚えさせた。
『怯えるな、人間。私はもう動く気力を失くした。死を受け入れ、ここで何年かもわからぬほど眠っていた。体は堅く、翼もないので飛ぶこともできない』
『よく今まで誰にも見つからなかったな。まあ、たしかにこの森に人は寄りつかないけど』
森の深部となればなおさら。
行商街道というわけでもなければ、特に珍しい植物が取れるわけでもない。
ドラセリアには竜が多く住むため、普通の獣も寄り付かない。
『再び眠るまでの間、暇つぶしと思ってお前を呼んだ』
『なんて迷惑なやつだ……』
勝手にもほどがある。
ミアハはぐしゃぐしゃと髪をかいてため息をつく。
『帰せ、おれは帰ってやることがある』
これからフレデリクの当主就任式典がある。
朝のうちに昨日の頼みごとを終えて、そのまま式典へ参加しようと思っていた。
『断る。だが止めもせん。帰りたければ勝手に帰れ。その足でこの鬱蒼とした森を越えられるというのならな』
竜がにやりと笑う。
ミアハにはその竜の表情がよくわかった。
『なんて意地の悪い竜だ。全然竜らしくない』
『竜なぞこんなものだ。わたしが言うのだから間違いはない』
そうかもしれない。
竜はなにかと超然とした存在に思われるが、その実人間とたいして変わらない。
たしかに力は強く、その点で超俗的であることは認めるが、他愛のない冗談も言うし、人間とよく似た理由で争ったりもする。
昔は厳かな竜に憧れたこともあったが、竜の言葉が聞こえるようになってからその幻想は吹き飛んだ。
――むしろ長く生きてる分皮肉屋が多い。
『……はあ。帰ったらまたルナに怒られる』
ミアハは大きなため息をついて地面に大の字に寝転がった。
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