第7話「氷の長兄」

「珍しいな、ラディカが帰って来ているなんて」

「なんで兄貴までルナフレアと同じこと言うかね」

「方々をほっつき歩いているお前が悪い」

「へいへい」


 長兄フレデリク・レイデュラントは、青みがかった銀の髪と精悍な顔つきが特徴の偉丈夫である。

 椅子につく所作一つとっても優美で、理想の貴族そのものと貴族界でもよくうわさされた。

 無論、女性人気も高い。 


「おかえり、兄さん」

「ああ、今戻った、ミアハ」


 室内着に着替えてリビングにやってきたフレデリクに、ミアハが片手をあげて声をかける。

 フレデリクはほのかな微笑を浮かべてそれに答えると、早速ルナフレア特製の料理に手をつけて目を丸くした。


「また腕をあげたな、ルナフレア」

「でしょでしょ! 結構がんばったんだから!」


 末妹ルナフレアもデザートの下ごしらえを終えたのか、今は一緒にリビングで食事をしている。

 フレデリクの褒め言葉にまんざらでもなさそうに答えていた。


「しかし久々だな、兄妹全員がこうして食卓に揃うのも」

「そうだね」

「全部ラディカ兄様のせいだけどね!」

「いやいや、たまにだからいいんじゃねえか。いつも揃ってたらありがたみがねえだろ?」


 ルナフレアの鋭い視線にラディカがあたふたしながら答える。


「はは、まああながち間違いでもないがな。で、今回はどこへ行っていたんだ」

「そんな遠くじゃねえよ。〈魔導の国〉ヨルンガルドに行って最新鋭の術機を見学してきたくらいだ」

「またお前は……」


 答えを聞くやいなや、フレデリクがフォークを置いて額を押さえる。


「おい待てって兄貴。ちゃんと身分は隠してたし、ホントにただ観光してきただけだぞ?」

「今あの国に行くことがどれだけ危ういことか、お前もわかっていないわけではあるまい」


 フレデリクがこれだけ悩ましげな声をこぼす理由を、無論ミアハもわかっていた。


「あの国は以前、このドラセリアと敵対した国だぞ」

「わかってるって。でも今は和平を結んでるじゃねえか」

「表面上はな。あの戦争で勝算の薄かったドラセリアが、どうにかしてもぎ取った和平条約だ。しかし立場は対等とは言えん。〈ヨルンガルド〉がさらなる力を蓄えれば、いつ反故ほごにされるかわかったものではない」

「おいおい、条約の反故ってそんな簡単にできるもんじゃないだろう」

「どうかな。今この西大陸でヨルンガルドに対抗できる国はそう多くない。もう一歩ヨルンガルドが発展すれば、まったく手がつけられなくなる。国際条約に違反したとて、誰がそれを声高に責められようか」

「次は自分たちかもしれない、ってわけか」


 二人の兄が不穏な会話をしている中、ミアハは黙々と料理に手をつけながらじっと話に耳を傾けていた。

 内容は学園に通っていない自分でもよくわかるものだ。

 むしろこの場でその話題についていけない者はいない。


「でも、そんときはそれでいいじゃねえか。親父の仇を討てる」

「安易な戦争志向はやめろ、ラディカ。戦は一人でするものではない。多くのドラセリアの民が犠牲になるのだ」


 長兄フレデリクが鋭い目つきでラディカを見る。

 その諌めるような視線の力強さといったら、並大抵の貴族では心臓を握りつぶされるのではないかというほどの迫力だった。


「わかってるよ、兄貴。だからそんなこえぇ顔すんなよ……かなわねえな」


 次兄ラディカはフレデリクの視線を受けて両手をあげる。

 実質の降参宣言だ。

 これが当主亡き今までのレイデュラント家を支え、母亡きあとの兄妹たちをまとめてきた、長兄フレデリクの若き威厳だった。


「ちょっと、お兄様方、せっかくの食事の場を物騒な話題で汚すのはいかがなものかと思うのですが?」

「あ、いや、すまんルナフレア。そのつもりはなかったのだが……」

「ラディカ兄様もフレデリクお兄様を心配させるようなことは控えてください」

「へい、ごめんなさい」


 そして唯一の女性として、さらに若いながら三人の兄の尻を叩く術を持っているのが末妹ルナフレアだった。


「ミアハお兄ちゃんくらいです、ちゃんと食事を楽しんでいるのは」


 そう言われたミアハだが、正直言えばまっとうに食事を楽しめているとは言えない心中だった。

 話こそ聞いているものの、頭の中はさきほどラディカから受け取った魔導書でいっぱいである。


「え? ああ、うん、貴族たるもの食事は優雅にって母さんも言ってたしね」

「……そう言いつつこぼしまくってるけど」

「片足がない影響かな……」

「さすがに今それを使われてもわたしはうろたえないからね」


 わざとらしくブラックジョークを返してみるが、どうにも通じそうにない。

 ミアハは諦めて殊勝に顔をうつむけた。


「ミアハ」

「うん、なに? フレデリク兄さん」


 と、そこで長兄フレデリクがミアハの方を見る。

 青い瞳にはやはり曇り一つなく、まるでその瞳の光はこちらの心のうちをすべて洗うかのようだった。


「近々私の竜を見て欲しい」


 それはフレデリクが竜を使って大きなことをするとき、決まってミアハに頼むことだった。


「わかった、いいよ」

「助かる」

「ドラゴン・レースも近いからね」

「ああ」


 ドラゴン・レース。

 それはこのドラセリア王国において最も栄光を勝ち取るのに適した催しごと。

 その名のとおり、竜を使ったレースのことである。


「私は明日、正式に王陛下より公爵位を授かるが、本当に〈レイデュラント公爵〉となるためにはこのレースに勝たねばならん」


 世界各国より竜乗りがやってきて、ドラセリア領土を命一杯に使った縦横無尽のコースを群を為して飛走する。

 優勝賞金は莫大。

 しかしなによりも得難いのはその名誉である。


「ドラゴン・レースで優勝した者がドラセリアの竜騎兵団の団長を務める。これはこの国の伝統だ」


 竜乗りの国としても知られるドラセリアでは、竜騎兵団員の選抜にあたってこのドラゴン・レースを利用する。

 参加者を国内外に分けていないのは、ドラセリアの竜乗りの国としての誇りの表れ。

 同じドラセリア人ならまだしも、他国からやってきた竜乗りがドラセリアの竜乗りに勝つことはあってはならない。

 竜乗りとしての力が高いのは、ドラセリア人としての義務である。


「代々レイデュラント家はこのドラゴン・レースで優勝してきた。だからこその公爵位。そしてドラグーン輩出の名門。私がここで負ければ、レイデュラント家はやはり没落するだろう」


 レイデュラント家はその栄光のすべてを竜乗りとしての力でもってもぎ取ってきた。

 そしてどの代の当主たちも、誇り高きドラグーンとしてドラセリア王家に忠誠を尽くしてきた。

 レイデュラントの名を持つ者は、常に最高の竜騎兵ドラグーンでなければならない。


「大丈夫。兄さんならできるよ。竜のことはおれが見ておくから、安心して」

「――頼んだ」


 フレデリクはミアハにうなずきを返す。


「じゃ、おれはそろそろ部屋に戻るよ。ドラゴン・レースも大事だけど、まずは明日の式典に遅れないようにしなきゃ」

「お兄ちゃん、あとで部屋に行ってもいい? 学園の宿題でわからないところがあって……」

「今日はダメ」

「ぶー」


 杖をついてリビングを出ようとしたところで、ルナフレアに声を掛けられる。

 しかしミアハは彼女の提案を断った。


「ルナフレアにわからないところなんてないだろ」

「あるんだけど……お兄ちゃんはわたしをなんだと思ってるのかしら……」

「そりゃあもう、レイデュラント家はじまって以来の天才?」


 ミアハがおどけたように言うと、やはりルナフレアは頬を膨らませた。


「お兄ちゃんに言われても皮肉にしか聞こえないんだけど」

「おれは凡人さ。することがなくて本ばかり読んでるから、無駄な知識があるだけ」


 しかもその知識に偏りがある。


「おれは竜についてしか知らないよ」

「嘘ばっかり」


 ルナフレアは頑なに認めようとしなかったが、ミアハが微笑を浮かべながら部屋を出ていくのを見て、宿題について教えてもらうことを諦めたようだった。


「おやすみ、お兄ちゃん」

「うん、おやすみ」


 食事のあとはあまり顔を合わせない。

 風呂に入る順番は執事や侍女たちによって完璧に管理されているので、鉢合わせることはなく、兄妹が互いの部屋に行くことも減った。


「さて、と」


 ミアハは部屋から出てすぐに背中に隠していた例の魔導書を取り出して脇に抱える。


「隠し事をするのがずいぶん板についてきたかな……」


 苦笑して、夜の訪れた屋敷の中庭をゆっくりと横切っていった。

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