第6話「金髪の放蕩次男」

「お兄ちゃん! ラディカ兄様も帰って来たって!」


 ミアハがリビングでぼうっとしていると、料理を手に持ってやってきた末妹ルナフレアが嬉しげな顔で言った。


「珍しいね、ラディカ兄がもよおしごとの前日にちゃんと家に帰って来るなんて」

「それだけ明日の叙勲式典が重要ってことでしょ!」


 ルナフレアの持ってきた皿の上に乗っているのはガーリックソースの掛けられた羊肉のソテー。

 香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。


「わたし、ラディカ兄様を呼んでくるわね!」

「いや、たぶん呼びに行かなくても勝手に――」


 そう言いかけたところで、リビングの扉が勢いよく開いた。


「よーう! 元気にしてるか! 俺のかわいい弟妹たちよ!」


 快活な声音とともに中へ入ってきたのは、毛先が外跳ねした金髪を持つ美貌の男子だった。

 貴族然とした服装に身を包みつつも、部分部分で着崩していて不思議と堅苦しさはない。

 顔に浮かべた笑みは社交界の令嬢たちに『春の暖かなそよ風のよう』と評されるような爽やかなものだ。

 これで女癖が悪くなければ、天下無双の美男子であったことだろう。


「やあ、ラディカ兄」

「お! ミアハ! 元気かこの~!」


 適当に挨拶をすると、ラディカはミアハへ駆け寄ってその頭をくしゃくしゃと撫でた。

 長兄のフレデリクとは違うが、この次兄もなかなか兄妹思いだ。


「うん、元気元気」

「ホントかー? ていうかなんか最近、お前のオレに対する扱いが雑な気がするんだけど気のせいかー? 兄ちゃん寂しいー!」

「気のせい気のせい」

「そっかー、お前がそう言うならそういうことにしておくかー」


 ――ちょろい。


「ラディカ兄様……」

「お、ルナ! また一段と綺麗になったな! えーっと……何年振りだっけ」

「ちょうど二年ぶりです。今までどこをほっつき歩いていたんですかっ……!」


 ミアハと違ってルナフレアはラディカと会うのがずいぶん久しぶりだった。

 というのも、ラディカには放蕩癖があって、たまに家に帰って来てもすぐにどこかへ行ってしまうのだ。

 ミアハはいつも家にいるのでそのたびに顔を合わせるが、ルナフレアは日中学園などに行ってしまうため、なかなかその瞬間に居合わせることができなかった。


「まあなんだ、その、あれだ、いろいろだ。いいじゃねえかー、生きてるんだし」

「そういう問題ではありませんっ……!」

「ひゅー、おいミアハ、ルナってこんなに性格キツかったっけか?」

「時の流れだよ」

「おう……時の流れってのは残酷だな……。昔は寂しいとすぐに泣きながら『兄様、兄様ー!』って駆け寄って来たのに」

「ラディカ兄様!!」

「へい、なんでもございません、ルナフレア嬢」


 飄々とルナフレアの口撃をかわしながら、ラディカはミアハの隣の席につく。

 これが食卓の定位置。

 ミアハの正面は長兄フレデリクで、次兄ラディカの正面が末妹ルナフレア。

 母が生きていたころはいわゆるお誕生日席に母が座っていた。


「そういや兄貴は? 主役がいないじゃねえか」

「今日は王様のところだってさ」

「へえ。明日の打ち合わせかなにかかな」


 しばらくしてルナフレアがラディカの分の食事をテーブルにもってくると、ラディカは勢いよくそれらを口に頬張りながら言った。


「そうなんじゃない。一応、明日の式典には第一王女が来るって話だし」

「そっかー。あの王女様かー。美人なんだよなぁ……」


 女に関しては抜け目がない。国内一の情報通かもしれない。

 たとえそれが自国の王女であろうと、忌憚きたんのない意見を持つ次兄ラディカ。

 そんなラディカが美人だというからには、無論それは間違いがないのだろうとミアハは内心で納得する。


「ミアハ、昔少し遊んだことあるんだろ? お袋に連れられて王城行ったときに」

「そうだっけ」

「忘れたのかよ……ある意味すげえな」

「だって一回や二回の話だし……。うーん、会ったこと自体はなんとなく覚えてるんだけど……」


 ミアハは幼いころにその王女に会ったことがあった。

 女しか生まれなかったドラセリア王家の長女。

 紺の髪が美しい、少し気の強そうな少女だった。


「あのときは父さんが死んだすぐあとで、王様も結構気を使ってくれていたからね。……あ、思い出した」


 年が近いという理由で連れられたドラセリア王城の中庭で、たしか鬼ごっこをしていた。

 王女はとてつもなく身体能力にすぐれていて、一度も鬼を変えることができなかった苦い思い出がある。


「お転婆って話だったけど、今じゃ立派にお淑やか令嬢って感じだな」

「見たの? 最近はあんまり外に姿を見せないって話だったけど」

「あったぼうよ。俺を誰だと思ってる。美人と聞きゃ地の底までも見に行くぜ」


 どういう手段を使ったのかはわからないが、さすがに違法なことはしていないだろう。

 いかに女好きとは言っても良識は弁えている兄だ。


 ――たぶん。


「地の底ってのは冗談として、実はたまたま社交界に出てきたことがあってな」

「珍しいね。あとちょっとホっとした」

「なににだよ……」


 羊肉のソテーをフォークで口に運びながら、ミアハがなにげなく言う。


「でも、誰とも踊らなかったな。あれはもはや視察に近かったぜ」

「社交界を視察っておもしろいね」

「まったくだ」


 ラディカは頬いっぱいに含んだ肉を呑みこんだあと、水をかき込んで一息つく。


「あ、そうだ。お前に頼まれてたもん、手に入れたぞ」

「え?」


 急に変わった話題と、手に入れた、という言葉にミアハが目を見開く。


「ほらよ」


 それは数か月前、とある目的のためにラディカに探すことを頼んでいた一冊の魔導書だった。


「手に入れるのに結構苦労したぜ。ていうか、今までのお前の頼みごとの中じゃ最高に難易度が高かった。ま、俺だからこそ手に入れられたようなもんだな!」


 それはすすけた青色の革表紙をしていた。

 ざらざらとした手触り。

 しかし紙は白いままで、中のインクもまったく削れていない。


「――ありがとう」

「おう」


 ミアハは身体が弱く、片足もないためあまり外に出ることができない。

 だから、外のものが欲しいときはたまに帰ってくるラディカにお願いをした。

 長兄フレデリクに言えばたいていのものは取り寄せてもらえるが、それがものの場合、フレデリクのチェックに引っかかって取り寄せてもらえなくなる。


「兄貴には言うなよ。あと、なにに使うのかは知んねえが――無茶なことはするな」


 ふと、ラディカが真面目な顔でミアハを見ながら言った。


「うん、わかってる」

「……そうだといいがな。お前は昔から少しネジが飛んでるところがあるから」


 失敬な、と思いつつ、ラディカの言わんとするところもまったく自覚していないわけではない。


「夢中になってるときだけだよ」

「お前はずっと小さいときからドラグーンに夢中だろ」


 ラディカだけはその話題にも臆面もなく触れてくる。

 それがラディカの良いところであり、そして自分のことを心の底から心配しているがゆえのことなのだろうと、ミアハもわかっていた。


「ハハ、さすがにその夢はもう諦めたよ」

「……」


 いくばくかの沈黙が流れ。

 ハッとしたようにミアハが声をあげようとしたところで、リビングの扉がまた開いた。


「お兄ちゃん! 兄様! フレデリクお兄様が返ってきた!」


 デザートを作ってくると厨房に戻っていたルナフレアが、満面の笑みを浮かべて二人のもとへやってくる。


「おーう、タイミング良いのか悪いのか」

「絶妙じゃない!」


 ラディカががしがしと頭をかきながら言って、すぐにミアハの耳元でささやいた。


「それは背中にでも隠しとけ。たぶん兄貴に見つかったら没収される」

「うん、わかった」


 ミアハはルナフレアの視線が外れたところでそそくさと服の中に魔導書を隠す。

 こういうのは慣れたものだ。

 ミアハとラディカは昔からフレデリクの目を盗んでよく悪戯をした。


「着替えてからリビングに来るって!」

「りょうかーい」


 ラディカが手を振り、残っていた羊肉を一気に口の中に放り込む。


「いつでもばっちこいだぜ」

「少しは食事の余韻を楽しみなさいよ……」


 ルナフレアのジトっとした目もなんのその。

 ラディカはごくりと喉を鳴らして羊肉を呑みこんだ。


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