第2話「レイデュラント家」

 青い空一面を、人を背に乗せた竜たちが飛んでいく光景を見たことがある。


 ――きれいだ。


 そしてその光景を、どこかで見たことがあるような気がしていた。


「なにあれー!」

「あれは竜騎兵ドラグーンよ。竜と人の共存の証明。〈竜と人の国〉と呼ばれるこのドラセリアの、象徴ともいえる形」

「みんなこれからどこへ行くのー?」


 そのとき母は、どこかさびしげな笑みを浮かべるだけで、彼らがどこへ向かうのかは教えてくれなかった。


「かっこいいなぁ。……よし! いつかおれもドラグーンになる!」


 しかし〈ミアハ・レイデュラント〉は、その形に強くあこがれた。


「――それならがんばってお勉強しなきゃね」

「えー……勉強はやだなぁ……」

「ちゃんとお勉強しないとドラグーンになれないようお父様に言いつけてしまいますからね」


 そのときの母の言葉の意味を、ミアハはまだよくわかっていなかった。

 その意味を知ったのは、ある悲劇がミアハを襲ったあとのことだ。


 自分の父はあのドラグーンを率いる竜騎兵団の長だった。

 このとき見上げた一群の中に父はいた。

 そして父は、この自国を守るための戦争で――


 その命を落とした。


◆◆◆


「アルフレア様が……戦死いたしました」


 傷だらけの兵士が屋敷へやってきて告げたのは、終戦から三日経ったあとのことだった。


 その日はとても強い風が吹いていて、眠気ねむけまなこをこすりながら出た玄関先は身を凍らせるほどに寒かった。

 ミアハは体を震わせながら、ふと母が泣いているのではないかと思ってその顔を見上げる。

 なぜだか自分よりも、母のほうが心配だった。


「――わかりました。ではすぐに公爵位の継承準備をはじめましょう」


 しかし母は悲しむどころか、いつも以上に冷静な様子で答え、すぐに屋敷中の召使いたちを呼んだ。


「遺言に従い、次の公爵位はフレデリクに継がせます」


 レイデュラント家には四人の兄妹きょうだいがいた。


 長男、【氷の子】、〈フレデリク・レイデュラント〉。

 次男、【雷の子】、〈ラディカ・レイデュラント〉。

 三男、【風の子】、〈ミアハ・レイデュラント〉。

 そしていまだ年端もいかない長女にして末子まっし、【炎の子】、〈ルナフレア・レイデュラント〉。


「しかしフレデリクはまだ公爵位を継げる年齢ではありません。フレデリクがその資格を得るまで、私が公務を代行します」


 父が死んでからの母は、公爵家の執務を代行し、そのうえでなおたくましく四人の兄妹を育て上げた。


 〈悲劇の公爵夫人〉イザベラ・レイデュラントの名前は、またたく間にドラセリア中に伝わった。


◆◆◆


 しかしそんなイザベラも、長男フレデリクが次期当主としてなんの憂慮ゆうりょもないと言われはじめたころ、最愛の夫のもとへ旅立とうとしていた。

 もともと体の弱かったイザベラをして、それは超人的ともいえる半生だった。


「お母様っ!」


 フレデリクがみずからの功績によって王国から子爵位を送られた日の夜。

 まだ九歳だった末妹ルナフレアの目の前で、彼女は糸が切れた人形のように倒れた。


「誰かっ!!」


 式典の会場から戻らない長男フレデリク。

 軍事学校の模擬演習で家にいない次男ラディカ。


「ルナ……?」


 病のため自室で臥していたミアハが、妹の泣き声を聞いて屋敷の廊下に出たとき、すでにイザベラの魂は消えかかっていた。


「ミア……ハ……」

「っ、母さんッ!!」


 ミアハが駆け寄ると、イザベラはしぼり出すように名を呼びながらミアハの頬に手を伸ばす。

 ミアハの頭の中は真っ白で、母を安心させる言葉の一つも出てこなかった。


「……ミアハ、よく聞きなさい」

「そんなことより医者を呼ばないと!」

「ミアハ」


 慌てるミアハを制し、イザベラはゆっくりと告げる。


「あなたは風に愛された子。私に似て体は弱いけれど、あなたにはドラグーンとしてのたぐいまれな才能がある」


 ミアハは生まれつき体が弱かった。

 ほかの兄妹たちは父に似て頑健がんけんだ。

 ミアハだけ母に似ていた。


「ごめんね……強い体に産んであげられなくて」

「そんなこと……っ! っ、ルナ! 侍女たちに医者を呼ぶように伝えてきて!」


 ミアハが妹ルナフレアに言うと、彼女は涙をぼろぼろと流しながらうなずき、屋敷の奥へ駆けていった。


「おれは、母さんのもとへ生まれてこれて幸せだよ……」


 ミアハが母のほうへ向き直り、言う。


「なんでこんなに強くそう思うのかはわからないんだけど、おれは、この家に生まれてこれて本当に幸せなんだ」


 たしかに体は弱い。しかし自分は、家族に恵まれた。

 この幸せに比べれば、病弱という不利などあってないようなものだ。


「そういってくれると嬉しいわ。私もあなたたちの母で本当によかった」


 イザベラは優しい微笑でそう言い、それからまじめな顔になって続けた。


「……これからドラセリアは厳しい時代を生きていくことになる。その中でレイデュラント家が負う役目も今までで一番つらいものになるでしょう。フレデリクならその役目もこなしてしまうかもしれないけれど、その分あの子は誰よりも傷ついていく」


 イザベラは床に手をついて体を起こそうとする。

 四肢ししを震わせてなお立ち上がろうとする彼女の姿は、ミアハにとってもはや人間という枠を超えた別の生き物のように感じられた。


「ラディカはたぶん竜には乗らないでしょう。あの子もまた多くの才に恵まれているけれど、それは空での才能ではない。そしてあの子自身、それをわかっている」


 それからイザベラは末妹ルナフレアが駆けていった方向を見た。


「ルナフレアは……あの歳ですでに『竜の声』が聞こえる。けれど〈竜の喉〉を持たないから、もしかすると竜に乗ることが嫌いになってしまうかもしれない」


 ミアハに肩を支えられてようやく体半分を起こしたイザベラは、そこで大きく息を吐いた。

 たれさがった長い前髪の隙間から抜けた息は、きらきらと輝いているようだった。

 きっとそれが、彼女の命の最期のきらめきだった。


「だからミアハ」


 彼女は再びミアハを見る。




「あなたがレイデュラントのドラグーンになりなさい」




 そう告げたときの彼女の姿は、暴風に揺られてもなお折れることのない雄々しき大樹のようだった。


「あとは、みんな仲良くね。互いを思うことを忘れずに。あなたたちならきっと大丈夫。――愛しているわ、ずっと」


 彼女は今までで一番の優しげな笑顔を見せ、ふいにがくりと頭を垂らした。


「母さん……?」


 声は返ってこない。

 急に重くなった彼女の体。

 ミアハの足と心が軋んだ。


「っ――」


 その日、イザベラ・レイデュラントの魂は天に昇った。

 

◆◆◆


 レイデュラント公爵家は、代々その当主がドラセリア王国の竜騎兵団団長を務める。

 これは単純な世襲に基づくものではなく、事実、レイデュラント家の当主が常にもっともうまく竜を駆ったからだ。


「私が必ず家族を守ります、母上」


 母の眠る墓碑ぼひを前に、氷のような青銀の髪を持った長兄ちょうけいフレデリクが誓った。

 頬には涙のあとがあったが、すでにそれは決意という名の凄絶せいぜつな炎によってほとんど蒸発させられてしまっていた。


「ミアハ、母上は最期になにか言っていたか?」

「……みなを愛していると」


 ミアハが白い髪を風に揺らして言う。


「……そうか」


 ミアハはこのとき、母が自分に言った言葉を明かさなかった。


 ――それを知れば、きっと兄様はおれを止めるだろう。


 このフレデリクという長兄は、外見こそ父に似ているが中身は母に似ている。

 家族のためになにかを背負うことをいとわず、ときに背負いすぎて足腰がきしんでもなお、無理を通して前に進もうとする無尽蔵な気力の持ち主。

 そしてなによりフレデリクは、弟と妹が危険な目に遭うことを誰よりも忌避きひしていた。


 ――所詮しょせん、ドラグーンは軍人だ。


 ゆえに自分がドラグーンになると言えば、たとえ母の遺言であってもそれを止めるだろう。


「ミアハ、これから私は公爵家の執務で外に出ることが多くなる。お前の病弱を利用しているようで悪いが、留守の間、家のことは頼んだ」

「――うん」


 イザベラの死によってレイデュラント家は冬季に入ったとうわさされた。

 先代当主の残した四人の子以外に血族はなく、子爵位をじょされたとはいえいまだ年端としはもいかぬフレデリクに現在の領地を治めることは不可能だろう。

 実際、レイデュラント家は領土の半分を別の貴族に割譲させられた。


 このときミアハはまだ十歳だった。

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