母の場合
☆
残業を終えて家に帰ると、ギリギリ日を跨がないくらいの時間だった。同居している娘のひよりと孫の木春はもうとっくに寝ている時間。息子は今日も遅番だったかしら、あれ、彼女の家だったかしら。こんな疲れた日ほど可愛い孫と子どもたちに癒されたかった。
「ただいま」
眠っている家族を起こさないように静かに家に入ると、リビングの方から光が漏れていた。
「ひより? 起きてるの?」
「ヒャッ!」
乙女かと思うような声を漏らしたのは息子ののどかだった。あんまり可愛いから一瞬ひよりだと思ってしまった。のどかは昔からお化けが苦手で、昼間ならまだしも夜は怖いらしい。ちなみにひよりはお化け屋敷でお化けと仲良くなって出てくるタイプ。
「母さん……おかえりなさい。もう、脅かさないでくださいよ」
「ごめんごめん」
大学生のころに今の職場でバイトをするようになってからは仕事中でも家でも、友達の前でも、いつでも敬語を使うようになった。元々不器用な子だから、使い分けることが難しかったらしい。ほんの少し寂しさを感じるけれど、そこでわがままを言ったらこの子を困らせてしまうから。
「何してたの?」
「えっと、お夜食を……」
そういうのどかの前には空のプラスチック製のお弁当箱と緑茶のペットボトル、そしてポテチが置かれていた。ポテチは未開封だけど開け口がしわくちゃになっている。もしかしてと思ってよく見れば、ペットボトルも開いていない。だけど結露の様子を見る限り、結構な時間そこに置いてあったことが分かる。
「スーパーのお弁当?」
「はい、廃棄になったのをもらってきました。ついさっき帰って来たので、姉さんのお夕飯は食べ損ねちゃって」
「そう。あたしはどうしようかしらね」
冷凍庫を開けて週末に作り置きしておいたタッパーを取り出した。のどかにもこれを食べさせたいところではある。だけど何をどうしたらそうなるのか、タッパーを溶かすか中の食材がカラッカラに乾いてしまうから自分でやらせるのは心配なところ。
レンジのスイッチを押してのどかの様子を見ると、ポテチの袋の口を持ってフンッと力いっぱい引っ張っている。全く開く気配もないけれど。ポテチは一旦諦めたらしいのどかは、ポテチの袋を置いてペットボトルを手に持った。だけどこちらもいくら頑張っても空きそうにない。ちらちらと視線を感じるけれど、もう大人なんだからと見守るだけ。自分から言えるようにならないと。
「のどか」
「はい」
「最近仕事どう? 順調?」
一瞬期待に輝いた目がしゅんとして落ち着く。そしてペットボトルも机の上に置くと、のどかは楽し気に笑った。
「順調ですよ。今日はいつものおばあちゃんが来てくれたんですけど、レシピのことを聞いてくれて。作りためておいたレシピカードが役に立ちました。
「そう、良かったわね」
のどかは料理のセンスが壊滅的に悪い。だけど料理自体は好きみたいで、昔からよくレシピの本を読んでいた。だから知識量だけで言えばあたしよりずっと覚えている。それだけでも仕事の役に立っているなら、きっとのどかのあの時間は無駄ではなかったのよね。
「じゃあ、僕はそろそろ寝ますね」
「そうなの?」
結局ポテチもペットボトルも未開封のまま。開けようとした痕跡だけが寂し気に残されている。
「ポテチ、あたしが食べるから机の上置いておいて。お茶もあたし飲みたいからコップ出してきて」
「あの、僕も飲んで良いですか?」
「ポテチもあたし一人じゃ食べきれないわ」
「じゃ、じゃあ、一緒に食べても良いですか?」
のどかの方があたしより身長が高いし、ガタイだっていい。職場では番重や牛乳の入った籠を一度にたくさん運んだりもするし、そのために毎日欠かさない筋トレも効果を露にしている。それなのにお菓子の袋もペットボトルの蓋も開かないのはどうしてなのかしら。
「何度も言ってるけど、今度こそは自分から開けてって言えるようになりなさいよ?」
「はい、頑張ります」
人の迷惑にならないように頑張ってしまうこの子に伝えたい。そんなことは迷惑でもなんでもない。それに手のかからなかった息子にはもっと迷惑を掛けてもらわないと、親孝行をしてもらうときに申し訳なくなってしまう。
「じゃ、食べましょ」
「母さん、お夜食、レンジに入れっぱなしじゃない?」
「あら。ま、どっちも食べちゃうわ」
一日の最後にこんな可愛い息子と過ごす時間があるのなら、今日は仕事を頑張って良かったわ。
次の更新予定
ギャップ男子、スーパーマン。 こーの新 @Arata-K
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