傘
部屋を飛び出した六花はエントランスに着いてから傘をさそうとして、何も持っていない手を見つめた。しばらくぼうっと手を見ていたが、ため息を吐くと同時に雨の中を駅の方へゆっくりと歩き出した。傘もささずに歩く姿に周りの好奇の目が向けられるが、だれも声を掛けることなく、そして六花もその視線に気が付くことなくぼーっと歩いた。
一方部屋に取り残された陽斗はしばらくの間、窓に当たる雨を眺めていた。パインッと鳴ったスマホにピクッと反応すると、誰に見られているわけでもないのに咳払いをしてからPINEを開いた。しかし、妹の陽菜から届いたメッセージだと分かると内容を見ることなくスマホを炬燵の上に置いた。
「はぁっ」
大きくため息を吐いたと同時に再び部屋にパインッと受信音が響いて、陽斗は嫌々スマホを手に取った。しかし陽菜以外からのメッセージは届いていなくて、陽菜からのメッセージも1件しか届いていない。眉を顰めながら陽菜から届いたメッセージを開く。
『おにい、お家デートだろうとお外デートだろうと、ちゃんと六花のこと見てあげるんだよ? 今の時期くらいしか勉強以外のことをちゃんと考える余裕ないんだから』
「お前はオカンか」
メッセージを読むなり呟くように突っ込んだ陽斗が頭を抱えると、またスマホがパインッと鳴る音が響く。今度は確かに自分のスマホが鳴っていないことを確認した陽斗が緑の座布団を退かすと、半分隠れるように置き忘れられていた六花のスマホが出てきた。通知が鳴ったことで明るくなった画面には、仏頂面の陽斗と自撮りをしているにも関わらず弾けるような笑顔を浮かべる六花が写っていた。
「あー、もうっ!」
それを見た陽斗が大きな声を出しながらガシガシと後頭部を掻いて勢いよく立ち上がる。隣の部屋からゴンッと壁を叩く音がしたが、陽斗は気にする様子もなく短い廊下を走って玄関に向かった。
「嘘だろ」
玄関に置かれたままの黄緑色の傘を見た陽斗は慌てて靴を履いて、勢いよく玄関のドアを開けた。しかし靴を履いたまま膝立ちになって、キッチンの反対にある脱衣所まで行くと1枚のタオルを手に取った。
六花の傘とスマホ、そしてタオルを持って階段を駆け下りた陽斗は、エントランスで六花の傘を開いて駅のある方に向かって駆け出した。
バシャバシャと跳ねる水しぶきが自分の服を濡らすことには構うことなく走る。途中、傘が風に煽られると傘を閉じてまた必死に走り出す。乱れる息を気にすることなく走る陽斗の目が見開かれると、一層スピードを上げてふらつく背中に追いついた。
「六花!」
陽斗がその肩を掴んでグイッと引き寄せると、ぼーっとしていた六花はグラッとふらついてその腕に収まった。
「はると、くん?」
震える声に何度も頷く陽斗が酷い息切れのせいで何も話すことができないまま六花を抱きしめると、六花の腕も躊躇いがちにその背中に回った。
「くしゅんっ」
六花のくしゃみが沈黙を破り、陽斗はその頭にポケットに押し込んでいたタオルを被せた。傘もささずに走っていたせいでタオルも少し濡れていたが、六花は口元を緩ませてそのタオルに触れた。
「ありがとう」
小さく呟かれた声に陽斗はまたコクコクと頷いて荒く息を吐く。その姿にクスリと笑った六花は陽斗が持っていた自分の傘を陽斗の頭上で広げた。
「ごめんね。これさして帰って? 私は大丈夫だから」
そう言って立ち上がろうとした六花の腕をガシッと掴んだ陽斗は、笑う膝に何とか言うことを聞かせて立ち上がると六花を傘の下に引き込んだ。
「俺が、大丈夫じゃ、ない」
途切れ途切れに紡がれた言葉に呆れたような表情を浮かべた六花は陽斗の身体を支えながら、来た道をゆっくり戻り始めた。傘の中ではどちらも何も言わなくて、ヘロヘロになった陽斗の荒い呼吸の音に雨が傘を叩く音が混じって聞こえるだけだった。
マンションが見えてきたころ、傘の中でパインッと軽快な音が鳴ると陽斗は少し回復してきた身体を少しだけ捩ると、ズボンの右のポケットに入れていた六花のスマホを取り出した。
「忘れてたやつ。何件か通知来てるっぽい」
そう言ってスマホを差し出す代わりに傘を受け取って、縮めていた身体を伸ばしてまっすぐ立った。スマホを受け取った六花はロックを解除して通知を確認すると、すぐにスマホをカバンに仕舞おうとして手を止めた。スマホを手に持ったままの六花を先にマンションのエントランスに押し込んだ陽斗は、傘を閉じてエレベーターの上ボタンを押した。
チンッという音と同時に開いたドア。陽斗に促された六花が先に乗り込んで、2人を乗せたエレベーターは2階で止まった。廊下を黙って歩いた陽斗はズボンの左のポケットに手を突っ込むと、深いため息を吐いた。その音に六花が肩を跳ねさせたことには目もくれず、陽斗はポケットから出した何も持っていない手でドアノブを下げた。何の抵抗もなく開いたドアに六花が目を丸くして陽斗を見ると、バツの悪そうな顔をした陽斗は六花を部屋に押し込んでから自分も中に入る。
中から鍵を掛けながら下駄箱の上に置かれた籠に入ったままの鍵を見て、陽斗はふーっと長く息を吐いた。
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