とある小雨が降る土曜日、火宮六花は自宅から5駅離れた先、駅からさらに15分ほど歩いた先にあるマンションの下に立っていた。傘を畳んでマンションの狭いエントランスに入ると慣れた手つきで部屋番号を入力した。しばらく待つとインターホンからはくぐもった男の声がして自動ドアのロックが解除された。


 エントランスを通り抜けてすぐにあるエレベーターの横、ドアの向こうにひっそりと存在する階段を迷うことなく登り始めた六花は2階に着くと1番奥の部屋までまっすぐ歩く。六花がインターホンに手を伸ばした瞬間、ガチャリと鍵を開ける音がしてドアが開いた。その隙間から顔を覗かせた氷室陽斗はドアを抑えて六花を部屋に招き入れた。



「お邪魔します」


「はいはい、いらっしゃい」



 服は普段着に着換えられて、シャツはピシッと皺ひとつなくアイロンがけされている。それなのにぴょこんと跳ねる後頭部の寝癖。決まり切らないその姿に六花はクスリと笑う。


 短い廊下の先、窓際に置かれた炬燵の傍にある緑色の座布団の隣りに持っていたカバンを置くと、六花は廊下の途中の狭いキッチンで手を洗う。その間にトースターでトーストを焼き始めた陽斗は六花を振り返った。



「朝食は食べてきたよね?」


「うん、食べたよ。お茶か紅茶かどっちにする?」


「麦茶、冷蔵庫で冷えてるから」


「はーい。じゃあ私もそうしよ」



 流しの下にかけてあるタオルで手を拭いた六花は、前に備え付けられている食器棚から2人分のコップを取り出した。冷蔵庫から取り出した麦茶を注いで炬燵に持っていくころ、トースターがチンッと軽快な音を立てて少しずつ静かになっていく。



「あつっ」



 ちょんちょんとトーストをつつくようにしながらお皿に移した陽斗は、1度キッチンに戻ってブルーベリージャムを満遍なく塗った上にスライスチーズを1枚載せた。それを持ったまま、緑の座布団に座って陽斗の様子を眺めていた六花の隣に置かれていた青い座布団にドカッと座ると、お皿を炬燵の天板に置くことなく食べ始めた。六花がテレビをつけて朝のバラエティー番組を見始めると、陽斗は黙ってそれを一緒に見ながらトーストにかぶりつく。


 3分経たないうちにパンくずが散らばるだけになったお皿を洗いにキッチンに向かった陽斗は、キッチンから横目に六花を見た。さっきまで陽斗だけに注がれていた視線はテレビに出ている推しアイドルに釘付けで、陽斗は蛇口の水と一緒にため息を流した。


 キッチンから戻った陽斗が青い座椅子に座り直して六花を見つめても、六花の視線は陽斗には向かない。陽斗もチラリとテレビに目を向けると、プレゼントに込めることができる意味、という特集が組まれていた。時計には『この先も一緒に時間を過ごしていきたい』、ネックレスには『絆を深めたい』『永遠に一緒にいたい』という意味があるとかなんとか。特に興味を持つこともなく後頭部をガシガシと掻いた陽斗は部屋の隅に転がされたまま充電されていたスマホを拾って大学の先生から配布されている授業の資料に目を通し始めた。


 それから10分は2人に特に動きはなかったが、テレビがCMに入ると六花はパッと視線を陽斗に向けた。身体を引いてチラッと後ろからスマホを覗くと、そっと元の体勢に戻ってスマホをいじり始めた。近所のショッピングモールのホームページを確認しながらお気に入りのブランドの服や靴のセール情報を端から順に確認していく。春雨の降る季節の変わり目はセールのオンパレード。大学生の六花には見逃せない情報ばかりだ。


 テレビの音が響くだけのワンルームで度々視線を相手に送る2人の男女。その視線がぶつかることはなく、ただ時間が流れて行った。



「六花、今良い?」



 陽斗が先に口火を切ると六花はすぐにスマホから顔を上げて、視線を逸らされたスマホはノールックのまま床に放置された。それを見た陽斗もスマホを床に置いて六花に向き直る。



「今日どうする? 雨だし花見は諦めるにしても、どこか行きたいなら早めに決めて行った方が良いだろ」


「じゃあ、ショッピングモール行きたい!」



 六花が嬉々として答えると、陽斗は顔を歪めて首を振った。



「それなら陽菜とでも行った方が楽しいだろ」



 陽斗が自身の妹であり六花の親友である陽菜の名前を出すと、六花は唇をムッと突き出した。



「どうしてそんなこと言うの?」


「俺はショッピングモールとか好きじゃないし。そんな奴と行ってもつまらないだろ」



 陽斗がそう言って視線を逸らすと、六花は静かに目を伏せた。そして横に置いてあったカバンに手を掛けるとそれを持って立ち上がった。



「じゃあ今日は、陽菜とショッピングモール行ってくる」



 震える声でそう言い放ってそのまま玄関に消えていった背中を1度も見ることもなく陽斗はため息を1つ吐く。玄関のドアが自然に閉まるいつもは静かな音が、今はやけに大きく響いた。


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