こっくり大臣

 扉をくぐれば、すぐに後ろで閉じられる。

 振り返って見れば、大きな石の壁があった。

 岩壁は人の何十倍もの大きさで、上方にはしめ縄がしっかりと巻きつけられている。

 扉の中は大きな空洞で、周囲は固い樹の内側だった。

 ヒノキの香りが君の鼻いっぱいに広がる。

 ここは一本の大木の中だ。

 広さは計り知れない。

 銀月宮が、足を止めている君に、気を使って立ち止まってくれた。

「何度来ても、同じ反応だな」

 君がきょろきょろとしているのを、呆れているのか愛しく思うのか、銀月宮がそう呟いた。

 何度来たところで、神域という場所に飽きる気はしない。

 勿論、生涯でそう何度も来られる場所ではないけれど。

 銀月宮は、黙って左手を君に差し出してくれた。

「長居はできない。早く行こう」

 君は頷いて、銀月宮の手を力強く握った。

 兎達は、とっくに向こうへ駆けて行ってしまって、姿が見えない。

 神域を進むと、二人分の足音がこだまする。

 静かだった空間は、あっという間に終わった。

 人の、いや神々の声が大勢していて、とても賑わう明るい場所に着いた。

 押さないで、とか早い者勝ちだ、とかこれはわらわの物じゃ、とか。

 とにかく絶えない声が、一つの山に群がっている。

 ここはいつもこんな状態だ。

 山のように見える物は、山の幸から海の幸に工芸品や加工品に酒と娯楽まで、様々な物が積み上がっている。

 これは神饌、いわばお供え物で、人の世界から神様に献上されたあらゆる物が、山となってひと塊に集められ、配られていた。

 神々には位があり、上級の神は個々に神饌を選び取り持ち帰ったり、口にしたりする。

 下級になればなるほど、神饌は個別に与えられる事がなくなり、このようなバーゲン状態で神々の元まで渡るのだ。

 銀月宮が見た神饌で一番印象に残った大きな物は、建物、だと言う。

 つまり神社や神殿のような場所そのものが、神饌となっていたらしい。

 君は、まだ見た事は無いけれど、そういう時は元々上級の神々が使っていた祠や鳥居が、下級の神々に下げ与えられるから、もっと凄い事になるそうだ。

 普段でこの状態なのだから、そんな時にはもっと神々の取り合い合戦は、激しくなるのだろう。

 神々には欲望なんて無いものだと思いこんでいたから、君は初めて神饌バーゲンを見た時は、神々が荒々しく怒り、争っているように見えたものだ。

 だがそんな下級の神々でも、神饌の山に見向きしない時がある。

 奉納演舞などが神社の舞台などで始められると、ぴたりと動きが止まって、歌や踊りに釘付けになるのだ。

 銀月宮は、神饌物が全部そういう形態に変わればいいのに、とぼやいていた。

 神饌バーゲンの横を銀月宮と一緒に通り過ぎて、更に奥へ進むと屋敷の縁側に辿り着いた。

 ここは目的の相手が働いている場所だ。

 ざっくりと言うならば、稲荷神社の社殿の中。

 縁側から屋敷に上がると、板貼りの床の部屋に入る。

 ずらりと並んだ文机に、沢山の狐達が座っている。

 彼らは皆お稲荷さまの使いの狐で、文机に積み上がった沢山の書簡に目を通し、筆を走らせていた。

 書き上がった書簡は巻物の形に戻し、すぐに口に咥えて走り、社殿の一番奥に居るお稲荷さまに届けるのだ。

 巻物の中身は、人々の願い事。

 誰かを悪しく言う願いには天罰を、誰かを善く思う願いには恩恵を授ける、らしい。

 お稲荷さまは願いの内容で善悪の二つに振り分け、使いの狐にどうするか指示を出す。

 指示を受けた狐は人の世へくだり、お稲荷さまに言われた通りの行動を起こす。

 善悪のどちらにも割り振られ無かった願いは、保留とされて別の神に回されたり、そのままお稲荷さまが見守ったりする。

 と、これらの仕事内容を教えてくれたのが、今回の目的の相手、こっくり大臣だ。

 こっくり大臣の机の傍には、既に到着していた日卯女と朝兎丸が居る。

 沢山のお狐様の中でも、珍しく人の服を着た白ぎつね。

 頭に銀月宮と同じ烏帽子を被り、平安貴族のような横に広い和服に袖を通したその姿は、ある意味で目立つ格好だ。

「ここでは久しぶりだな」

 銀月宮がこっくり大臣の前まで歩み寄り、一言話しかけた。

「おお、これは銀の宮どの。兎たちから既に話を聞きましたぞ。ご客人がいらっしゃったとか」

 こっくり大臣は少し鼻にかかったような高い声で話すと、君の方にその細い目を向ける。

 君は目が合うと、にっこり笑ってお辞儀した。

「ほっほっほ。真、かわいい人の子よ。そなたも何か願うか。いや、何も言わずとも良い。そなたの願いはいつも同じぞ。分かっておる。少し面白みも無いが、それもそなたの良い所じゃ。して、わしに会いに来てくれたのじゃろう? ほんにほんに、かわいい子よ」

 こっくり大臣は、君を自分の前に座らせると、頭を優しくなでてくれた。

 兎達は君と銀月宮を振り返ると、声を揃えて遅い! と頬を膨らませる。

 君は兎達をなだめようと、左手で二匹の頭をなで、耳をマッサージしてあげた。

 日卯女も朝兎丸も、君の手が心地良かったのか、それぞれ。

「仕方ないなぁ、許してあげる」

「次は無いんだからね、全くもう」

 と言って、君の両肩の上に戻ってきた。

 君は立ち上がって、こっくり大臣の文机の書簡に目を落とす。

 そこに書かれている文字は神々の言葉で、全然読めない。

 神々の使う文字は、銀月宮が一度教えてくれた事がある。

 が、まだ時期が早かったらしく、一文字も覚えられなかった。

 いつかは読めるようになるかもしれないが。

「ああ、この願いを知りたいのじゃな? しかしこれは、あまり善いとは言えぬ願いじゃ。そなたには見せとうないのぉ」

 こっくり大臣は眉をしょぼんと下げて、書簡をくるくると纏めた。

 大臣が教えたくないのなら、仕方ない。

 君は目線を書簡から銀月宮に移した。

「帰るのか?」

 銀月宮の短い問いかけに、君は頷く。

「もう行ってしまうのか? 寂しいのぅ」

「大臣も一緒に帰ろうよ」

「今日はメアリーがお酌してるよ」

 兎達がこっくり大臣に言った。

「なんじゃと? メアリー嬢が? それを早く言わんか」

 こっくり大臣は、たった今丸めた書簡を口に咥えて、四つ足になる。

 大臣の姿が青白い狐火に包まれ、スリムな白狐になった。

 そのまま高くぴょんと飛ぶと、空中を駆けるようにして部屋の奥へ消えていく。

 待つこと数秒で、こっくり大臣は戻ってきた。

「よし、では一緒に参ろうぞ!」

 上機嫌なこっくり大臣は、元の服をきた姿に戻り、二足歩行で縁側へと向かう。

 その後ろ姿は、ふさふさの尻尾が揺れる速さからも分かるくらい、とてもうきうきとしていた。

「大臣ってメアリー大好きだよね」

「オジサンっぽくなるよね」

 兎達の呟きを掻き消すように、銀月宮が大きく咳払いをした。

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