第48話
お店に着き、まだ照明のついていない薄暗い売り場で、上から下へはたきをかけ、鏡を磨き、商品整理をした。
今日が最後の出勤日。
思い返せば、入社してすぐこの店に配属され、人見知りの私は、新会員も取れず、売上も悪く、毎日凹んでいた。
そんな私が、エレベーターの前でビラ配りをやらされたり、買い物中の人に声をかけて、化粧品会員に勧誘したり、お正月は、大声を出して福袋を売った。
そのおかげで、私は度胸が付き、新会員も取れるようになったし、誰とでも話せる明るい人間になれた。
あさりスパゲティを知ることもできたし、
素敵な出会いもあった。
だからこの店には、感謝しか無い。
そんな思い出に浸っていると、店内の照明がつき、開店準備の音楽が流れ始めた。
従業員は5分間、来店のお客様に挨拶をするのが決まりになっていて、私は所定の位置にスタンバイした。
『それでは開店します』
店内放送と共に、自動ドアが開けられ、お客様は、足早にドアを抜け、目的地に向かう。
私は、とびきりの笑顔で、行き交う人達に
「おはようございます。いらっしゃいませ」
と、挨拶をした。
――「すみません」
「はい、いらっし……やい……ませ……えっ?」
後ろから声がして振り向くと、そこにはマスターが立っていた。
「驚かせて、すみません。どうですか?怪我は周りの人にバレてないですか?」
マスターは心配して、私の様子を見に来てくれた。
「今のところは、警備の人にも、従業員にも気づかれていません」
「それは良かった……あの……これ、ありがたく使わせていただきます……不足の金額はクレジットカードで払えますか?」
マスターは、私が南さんに渡していた商品券を、私に見せた。
「はい、カードと併用できます」
「おばさんに、口紅を買おうと思います。この色と同じ物を頂けますか?あと、おじさんには、このトニックを。それと、いつものシャンプーを2本下さい……」
マスターは、化粧品のカタログを広げて、 欲しい商品を指差した。
「こんなにたくさん、いいんですか?」
「おじさんとおばさんに、何かあげたいと思っていたので、どうせなら、弥生さんの売り上げに、なればと思いまして」
私は、マスターの心遣いに、大人な魅力を感じた。
「じゃあ、会計後に、サービスカウンターでラッピングしてもらいますね」
「あぁ、他に欲しい物があって……僕が直接レジに持って行って、まとめて払います……いいですか?」
「もちろん。いいですよ」
私は、化粧品を買い物カゴに入れて、マスターに渡した。
「あっそうだ。残念なお知らせがあります」
私は首をガクンと下にさげ、がっかりした態度を見せた。
「えっ?……なんですか?どうしたんですか?何があったんですか?」
マスターは、慌てふためき、さっきのまでの、大人の魅力は消え、小学生の様な慌て振りだった。
「なんだと思いますか?」
私はわざと、ため息をつき質問をした。
「えーと、僕の家の鍵を無くした……とか?」
「ブッブー。残念。答えは、今日、"チロルの家"に行けなくなった……でした」
「なんだ、そんなことか」
マスターは、呆れたような顔をした。
「『そんなことか』じゃないですよ。私、かなり楽しみにしてたんですよ……。でも、引き継ぎノート見たら、エステの予約が立て続けに入っていて……お昼はお手入れ室で、おにぎりです」
マスターは、不貞腐れている私に対し、はにかんだように笑い、
「それなら、仕事終わってから、"チロル"来ませんか?」
と、提案してくれた。
「えっ、でも閉店している時間ですよね?」
「特別に閉店後、あさりスパ作ります」
「ほんとですか?行きます。食べたいです」
あさりスパゲティを想像した私は、唾を飲み込んだ。
「では、また」
マスターはそう言うと、買い物カゴを持ってレジ方面に消えて行った。
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