第47話
私は歯磨きを終わらせ、部屋に戻ろうとした。
マスターはソファーに座り、何か考えているようだったので、声をかけず階段を上がった。
「弥生さん、ちょっと待って!」
マスターは私の足音に気が付き、私を呼んだ。
「僕が手当てしたら、嫌ですか?」
「嫌では無いですが……マスター、無理してませんか?」
「……このままやらずにいたら、絶対、おばさんに怒られそうで……」
「そうですね……」
恥ずかしい気持ちはあるけれど、一生懸命考えて、決断したマスターの気持ちを考え、私は怪我の手当をしてもらう事にした。
「弥生さん、僕の隣に……座って下さい」
「は、はい」
言われるまま、マスターの隣に座ると、今にも身体が触れそうな距離間に、緊張し、ガチガチになった。
でも、それがバレたら、マスターはもっと意識してしまう。だから気取られないように、平気なふりをし、「よろしくお願いしまぁーす」と明るく話した。
「頭のこぶからやりますね」
マスターは、優しく私の髪をかきあげた。
私は、どこを見たらいいのか迷い、一瞬、マスターと目があってしまった。
するとマスターは、慌てて目をそらし、こう言った。
「弥生さん、すみません……目を閉じてもらえますか?恥ずかしいから……」
私が目を閉じると、静まり返った空間に、マスターが道具を使う音だけが聞こえてきた。
『ガチャガチャ』『コロン』『ガシャン』
その音は、薬を倒したり、道具を落としたり、マスターの緊張が、触れる指先を通じて、私の身体に伝わってくる。
私は、マスターをリラックスさせてあげたくて、魔法の言葉を口にした。
「私はかぼちゃ、かぼちゃです」
「かぼちゃ?……僕は今、かぼちゃを攻撃する、虫を倒すために、薬を撒いていると思えばいいんですか?」
「はい、その通り」
マスターはクスクスと笑い、心なしから、指使いがスムーズになった。
「次は指の処置しますね」
マスターは、私の手を優しく握り、指を握られた私は、意識してしまい、顔が火照り出した。
どうしよう……恥ずかしくて、言葉が出ない。
このまま会話が続かなければ、緊張がバレる……
私は、何かを話さなければと思い、場を持たせるため、"聞きたい事リスト"の⓶番を質問しする事にした。
「マスター、今、犬のチロルの話、聞いていいですか?」
「あ、……はい、いいですよ」
「チロルは何歳ですか?」
「――13歳かな?」
「出会いは?」
「僕が大学生の時、おじさんが連れてきました」
「マスターが、おねだりしたんじゃないんですか?」
「なんか、店の常連客が事故で亡くなって、葬儀に行ったら、チロルが玄関にいて……玄関の入り口で、毎日飼い主待ってたんだって。それ見たら、親を亡くした僕に思えたらしいです」
「おじさん、優しいですね。――散歩は南さんがしてるんですか?」
「昔はおじさんがしてたけど、今はおばさんが散歩に行っています。僕も仕事が終わった後、たまに連れて行きますよ」
「私も、チロルと散歩したいなぁ」
「いつでもどうぞ」
目をつぶっていても、マスターの笑顔が目に浮かんだ。なんか……楽しい。
「弥生さん、終わりましたよ」
「ありがとうございます」
目を開けると、爪は透明な防水用テープが巻かれ、仕事に差し支え無いようにしてくれていた。
「あっ、もうこんな時間」
時計を見たら8時30分を過ぎていて、私は慌てて玄関に走り、ヒールを履いた。
「弥生さん、これ、家の鍵です……あと、時間があったら、お昼、食べにきてください」
マスターは私を追いかけ、鍵を渡してくれた。
「ありがとうございます。必ず行きます」
私は鍵を握り締め、家を出た。
そしてバスに揺られながら、鍵を見つめ、なんか、恋人同士の気分になった。
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