第40話:「お前/あなたは絶対に守り抜く」

≪ノエル視点≫


 ディアロフト大森林方面へ向かう馬車は、幸いなことにすぐ捕まえられた。

 今日は晴天で穏やかな気温だが、ノエルの気持ちは焦りと不安でいっぱいだった。


 仕方のないことだが、ゆっくりと進む馬車の速度がもどかしい。


(ヴァニさん……!)


 彼に迫っている危険というのは十中八九、ここ数日ずっとギルドで噂になっている森の悪魔──"フォルミードー"と名付けられたという怪物によるものだろう。


 率直に言えば、そこに向かうのはかなり怖い。

 曲がりなりにも仲間だった【烏蛇】と一緒に戦っていたときはそうでもなかったが、一人で活動するようになってからは、魔物と相対するのがどれだけ危険で恐ろしいことかが身に染みて分かったから。

 

 この前ギルドに逃げ込んできたハンター。

 ……たしかセオドアという男性。


 彼はフォルミードーに出遭ってしまったせいで仲間を喪い、腕を欠損し、腹部にも重傷を負ってしまっていた。

 強い魔物と戦えばあれぐらいの傷を負うことを、あの時ノエルは初めて自分の目で認識したのだ。

 しかし、そんなレベルの相手と渡り合える力をノエルは持っていない。


──『今、彼に最も必要なのは貴女の存在です、ノエルさん。貴女こそが"鍵"となるでしょう』


 あのアストルという女性の真意も謎だ。

 "鍵"というのが何を差すのかも気になるし、何故ヴァニがノエルを必要としているのかも理解できない。

 ノエルがいなくったってヴァニにとっては何も問題ないだろう。

 それどころか、自分がヴァニの元に行ったせいで邪魔になってしまうかもしれない。


 それを考えると、勢いのままに取った今の自分の行動に少し後悔の気持ちが芽生える。


「でも……私は私の心に従うんだ」


 ノエルはそんな胸中の不安を打ち消すように、一人宣言した。


 発言した内容自体は完全にアストルの受け売りだ。

 けれど、その言葉はノエルの心にスッと深く入り込んでいた。

 

 ノエルは絶対にヴァニを助けたい。

 それが自分にしかできないことなら尚更、何としてでも彼を守る覚悟がある。

 それはノエルの心からの想いだ。


 ……けれど、不思議な感覚だなとも思う。


 ヴァニは確かにノエルにとって大切な存在で、これからもそうでありたい。

 きっとヴァニも、ノエルのことを大切な存在だと思ってくれているはずだ。


 しかしヴァニとは、まだ約一週間前に知り合ったばかりの関係性。

 いくら大切だと想える相手だとしても、そんな付き合いの浅い人間のために今、ノエルは自分が死ぬ危険も承知の上でヴァニを助けに行こうとしている。


 その行動は愚かだと言われても仕方ないというのは自覚している。

 冷酷かもしれないが、普通ならあんな謎の女性の言葉を真に受けて、ヴァニの忠告すら無視して、本当に役に立てるかさえ分からない危険な場所にわざわざ自分から行く必要なんてない。


 だって死ぬのは怖いことだ。

 きっと痛いし、暗いし、苦しいし、怖いし、寂しい。

 まだまだやりたいことだって沢山あるし、いつか死んだ後にもし"廻天の揺り籠ルクルム・テラマリス"で両親と再会できたなら、そのときは『私もお父さんやお母さんみたいな立派な魔法師になれたよ』と笑顔で報告したい。


 それなのに死への恐怖を受け入れ、願う未来全てを潰しかねない行動を取ろうとしている自分の心情は今、完全に相反している。

 

「何でだろう……? どれだけ怖くてもヴァニさんを助けたいっていう理由、心では何となく分かってるのに、言葉で表せないこの気持ち……。まるで、私の中にもう一人の私がいるみたいな……」


 二律背反。矛盾撞着むじゅんどうちゃく。パラドックス。

 呼び方なんて何でもいいけれど、今のノエルの心境を表すならまさにそんな感じだ。

 今しがた言葉に出したように、もう一人の自分が心の中にいるような感覚。


 その"もう一人の自分"はヴァニの無事と彼を守ることを強く願っている。

 ノエルの抱く恐れを全て打ち消す勢いで。


「……ううん、きっとそうだよね。怖がっているのは私の心の弱い部分で、今抱いているこの気持ちの方こそ私の心の本音の部分なんだ」


 そう言ってノエルは自身で納得し、視線を馬車の外に向ける。

 そうすると、空に何かの影が見えた。


 その影はぐんぐんとこちらに近付いてくる。


「んなッ!? アレは──!?」

「どうしたんですか!?」


 同じものを目撃したらしい御者の男性が素っ頓狂な声を上げ、只事ではないと判断したノエルは御者に声を掛ける。


「わ、分からんです! でもこっちに向かってきてる! ありゃ魔物かもしれねえ!!」

 

 そうこうしている内にそれはもうすぐそこまで迫ってきており、逆光によって姿は見えないが鳥のような大きな翼が確認できた。

 それはノエルたちが乗っている馬車の進路を塞ぐように地面に降り立ち、顔をこちらに向けてじっと見つめてくる。


 その生物の見た目はとてつもなく巨大なユキヒョウ。

 恐らくこの馬車よりも大きいだろう。

 青緑色の幻想的な丸い瞳でこちらを──正確にはノエルを捉えており、その背中には二対の白いケツァールのような翼が生えている。


「ひっ!? な、なんでいこいつは!? あっち行け! しっ、しっ!」


 巨大なユキヒョウは彼を必死に追い払おうとする御者には目もくれず、のそのそとこちらに近付いてくると、荷台に乗っていたノエルのローブの首の部分を優しく咥え──その背に乗せた。


「…………え?」

「ちょ、ええっ! お客さん!? 大丈夫かい!?」


 ユキヒョウからは特に敵意や害意は感じられない。

 それどころか何か丁重に扱われている気がしたノエルは、御者に声を掛ける。


「えっと、とりあえず悪い子じゃなさそうなので大丈夫だと思います! でもどうすればいいか分からなくて……」

 

 ノエルがそう言った途端、ユキヒョウは翼を羽ばたかせて再び空に舞い上がった。


「お客さん!?」

「わわっ! ちょっと、ちょっと待って!」


 そうこうしている内に地表は遠ざかり、馬車はあっという間に豆粒のようなサイズになって。しかし空高く飛行するユキヒョウの背から飛び降りるわけにもいかず、ノエルはあたふたとする。


 だがその進行方向やユキヒョウの態度を見て、ノエルはある推測を立てた。


「もしかして……森まで連れていってくれるの?」


 当然、その問いに言葉による答えは返ってこない。

 だが翼の生えたユキヒョウは流し目で一度だけちらりとノエルを見ると、そうだと言わんばかりに更にスピードを上げて飛翔した。


──ディアロフト大森林の方へ向かって。




◇◆◇




《ヴァニ視点》


『ハァァァアアアアアア……フゥゥゥウウウウウウウウウウウウ……!』


 あれから幾度とない猛攻を凌ぎ、フォルミードーは現在どこかへ身を隠している。  

 興奮に息を荒くしながらこちらを観察しているようだ。

 かなり巧妙に隠れているからか、目視するための目印がありながらも見つけることはできていない。


『アハハハハハハハハ! お前に私ヲ見つけルことハ絶対にできナい! 見つけテみろ…………!』


 などと煽ってくるが。


「はぁ……。こそこそ隠れて煽ることしかできないのか? 随分小心者なんだな、お前。いいからさっさと出てきて俺を殺せばいいじゃねえか。そうしたいんだろ? なら吠えてねえで早くやれよ。ああ、できないからビビってんのか」

『ウガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 黙れェェェェェェエエエエエエエエエエエエエ! 俺ヲ恐れロォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ!』


 鼻で笑いながら挑発し返してやると、フォルミードーは面白いくらいに激怒しながらこちらへ突っ込んできた。

 

 どうやら木の遥か上の方に張り付き、枝葉に紛れてこちらを監視していたらしい。

 そりゃあ見つからないよな。ボルトが目印になるって言ったって、そんなに距離が離れてたら視力が相当良くないとあんな小さいボルトが肉眼で見えるわけがない。


 だが今は別だ。愚かにもこちらへ向かって急降下してきてくれているおかげで、ヤツに付けた目印はしっかり機能している。


「罠だの俺の反撃だのを警戒して隠れたりする割には、少し煽られたくらいでブチギレて馬鹿みたいに突撃してきたり……狡猾かと思えばガキかってくらい低能だったり……ほんと、矛盾の塊みたいなヤツで救いようがねえよな、お前って」

『ギャォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

『アォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』


 フォルミードーは二つの叫喚を同時に上げながら、落下の勢いを含めて俺を圧殺しようとしてくる。だが、今回の俺にはフックショットがあることを忘れないで欲しい。


「はい、残念っと」


 先端から鉤付きのロープフックが勢いよく発射されて木に絡みつき、もう一度トリガーを引くと今度は逆にロープが勢いよく引っ張られて素早く木の方へ移動する。

 それを利用してフォルミードーの攻撃を回避してやると、フォルミードーはまた苛立ったように叫んだ。

 

『シィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!』


 そしてまた一直線に樹上の俺目掛けて跳躍してくる。

 俺は普通に木から飛び降りてそれを回避。それを見るなりすぐさま進路を反転させて追ってくるフォルミードーを見て、俺は心の中でほくそ笑む。

 

 順調、順調。このまま大人しくついてこいよ。


「へいへい、鬼さんこーちら、手の鳴る方へ」

『ヴォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 怒り狂い男の声で野太い咆哮を放つフォルミードーを無視して、俺は今度は地面すれすれの位置調整で別の木へフックショックを使って移動。

 

 フォルミードーは愚直にそれを追いかけてきて──


──ドォォォオオオオオオン!!


『グゴァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『ギィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイ!』『グルルァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!』

『アガァァァァアアアアアアアアアアアアアア!』『オノレェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!』

 

 事前に俺たちが設置していたブービートラップに見事に引っ掛かって爆発。

 リフリアが自慢げに語っていた通り、流石は技術部門による巨大な魔物用の罠だ。

 俺は爆風で被っていたフードが外れる中、ニヤリと笑った。

 

 今のフォルミードーはうるさいだけで、もはや敵じゃない。

 種も仕掛けもほとんど割れてる上に、姿が見えない問題だってボルトの目印のおかげである程度解決してる。

 おまけに脚のダメージが未だに大きいらしく、フォルミードーの機動力は大きく削がれているし、今のブービートラップのせいで更に体にダメージが蓄積されただろう。


 唯一問題なのは、こいつが俺と同じで死なない存在なんじゃないかという疑問点。

 俺のように死んだら完全に回復して復活するのではなく、あくまで仮死状態には陥るが何度でも息を吹き返す仕様だと思われるが……。


 どうにかしてそこの攻略法に解を出さないとヤツの討伐は不可能に思える。

 だが、幸運なことに解が出せなくとも殺すための対抗手段を俺は持っている。

 

 まぁ問題なのは、そのためには"力"を使う必要があることで、フォルミードーもスピードが落ちているとはいえ暴れまわっている以上、こちらも"力"のリミッターを何段階か解放しないといけないから周りに被害が出ることは確実ということくらいか。


 もっと弱体化させて、例えばもう一度仮死状態かそれに近い状態に追い込めれば話は別だが……とはいえそれはもう別にどっちでも構わない。

 今日に至るまでの間、もっと厳密に言えばフォックスが殺されかけたあの時から既に次こそは必ずこのバケモノを殺すと決めていたのだから。

 

 だから、後はセザールからの連絡が来て周囲の人間の安全が確保され次第──


 丁度そこで通信が入る。

 

『ヴァニさん、ファナシアですッ!』

「随分焦った様子だが、何かあったのか?」


 連絡を寄越してきたのはファナシアだった。

 初対面の時から先程森の入口で別れた時までずっと纏っていた淑女のような雰囲気はそこにはなく、焦燥して取り乱したような初めて聞く種類の彼女の声を聞いて俺は嫌な予感を覚える。


 例えば、セザールやオルテガが途中で森の魔物に襲われてもっと酷い怪我を負ったとか、オルテガの処置が間に合わずに死んだとか……。


 続いたファナシアの報告はそんな俺の予想とは全く異なるものだった。


『先程、未知の生物が空を飛んで森の奥へ向かっていきました! 新手かもしれません! ただ──』

「悪い、今交戦の真っ最中なんだ。焦りは分かるが簡潔に頼む」

『……申し訳ありません。ただ、その生物の背には人間と思わしき人影が乗っていました』

 

 情報が突飛すぎていまいち要領を得ないが、とにかく了解した旨を伝える。


「それで、セザールとオルテガは?」

『はい、お二人とも今は無事に戻ってきております。特にセザールさんは軽傷ですし、オルテガさんの方も止血と応急処置は行ったので現状は問題はないかと。ただ、一刻も早く帝都に戻ってしっかりした治療をしないと危険ですね』


 そうか。とりあえず一命は取り留めたか。

 ファナシアの報告を聞いて、俺はひとまず安堵の感情を抱いた。

 

 ……しかし、人間を背に乗せた新手の魔物、ね。

 

 いや、ファナシアは魔物ではなく"未知"という前置きをしながらも"生物"と言っていた。彼女だって仮にもギルドに属する地位の高い人間だ。

 その彼女がそんな呼び方をするということは、魔物には見えなかったということか?


 その疑問の答えは早速上空からやってきた。

 同時、その背にのる人物を見て俺は激しい困惑と"恐怖"を覚える。


 何故なら──


「ヴァニさんっ! 無事ですか!!」


 翼の生えた巨大なユキヒョウ。

 その背から降りてきた少女はノエルで、彼女こそがまさに今ファナシアが報告してきた生物に乗っていた人物だと分かってしまったから。


 まずユキヒョウは無害な存在と認識して大丈夫なのかとか、なんでそんな存在に乗ってるんだとか、そもそもどうしてここに来てしまったのかとか色々疑問はあるが……とにかく結論は一つだ。


「お前──どうしてここに? そいつは一体……いや、そんなことはどうでもいい。この状況見たら分かるだろ、ここは危険だ。今すぐ帰れ!」


 まるでフォックスが俺を助けるために戻ってきてくれた時のような既視感を覚え、語気を荒げて逃げるよう促す。


 だがノエルは首を左右にブンブンと振ると、今まで見てきた気弱そうな印象からはかけ離れた声で言い返してくる。


「絶対に嫌です! 伝えたいことは沢山ありますけど、とにかくヴァニさんは私にとって大切な人で、だから絶対に助けたいんです! 私は私のこの"心"を信じます!!」


 その様子からは何を言われても一歩も退かない覚悟が伝わってくる。

 これ以上言い返しても無駄だと悟った俺は言葉を発することができず、舌打ちしかできなかった。


 それから深いため息をひとつ吐くと、通信魔道具に手を添える。


「ファナシア、今すぐ医療部門とセザールたちを連れて先に帝都に帰ってくれ。さっきお前が見た生物は大丈夫だ、多分こっちの味方だと思う。帰りは途中で馬車を拾うなりなんなりするから、今はとにかくオルテガの救命を」

『フォルミードーをお一人で倒せる算段がおありなのですか?』

「ああ、それもあった。……だが今は・・一人じゃない。説明は省くが、間違いなく殺せるから安心してくれ。それと、イザベラにまで連絡してる暇はないから、今話した内容も代わりに伝えといてくれるか?」

『承知しました。ご武運をお祈りいたします』


 そうしてファナシアとの連絡通信を切り、俺はノエルに向き合う。


 失い傷付くことに怯えて逃げることはもう止めた、なんてご立派なことは言えない。だが、少なくとも今目の前にいるこの少女に対してだけはその考えを改めよう。

 

 ノエルも俺と同じ結論を持っているようで、まっすぐに俺を見つめる。


 覚悟を決めた俺たちが口を開いたのは同時だった。


「お前だけは──」

「あなただけは──」


「「絶対に守り抜く」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る