第39話:「己の心に従って」
《ノエル視点》
時刻はヴァニたちがフォルミードーと遭遇する数時間前に遡る。
その日も、ノエルは日銭を稼ぐために朝早くからギルドを訪れていた。
いつものように多くの依頼が張り出されているボードの前に向かい、自分にこなせそうな依頼を吟味する。
所属していた【烏蛇】から脱退し、ソロになって早くも一週間を迎えようとしていた。
(うーん、何か良い依頼あるかなぁ……)
張り出されている依頼書一枚一枚に真剣に目を通している内に、ノエルはいつものように自身の能力の低さを痛感してしまい、その不甲斐なさに俯きながらボードの近くにあった椅子に座った。
メインとする魔法も満足に使いこなせず、接近戦においても非力なノエルが安全に挑戦できる依頼は少ない。
依頼の多くは魔物の討伐であり、採取系の依頼についてもあくまで"依頼"という形で代行を頼まれるくらいなのだから、危険な場所に赴くことがほとんどなのだ。
ありがたいことに、ヴァニがプレゼントしてくれた治癒系の薬の数々のおかげで多少の無茶はできている。
しかし、いつまでもそれに頼るわけにはいかないのはノエルとしてもよく分かっていた。薬の数は無限ではないのだ。依存していれば、ストックが切れたときに何もできなくなってしまう。
だからこそ、ノエルは甘えることなく毎日魔法や近接戦闘の練習をするという努力も続けていた。
もうこれ以外に道がないからと選んだハンター業だったが、やるからには全力で取り組みたいと思うのがノエルという人間なのだ。
それに、自分に力が無ければ亡き両親のような人々を助ける立派な魔法師にはなれないのだ。
「このままじゃ駄目だ……もっと、もっと頑張らないと……!」
ノエルが魔法を使えないのは、生まれつきそうだったわけではなかった。
五歳の頃、ある日を境に急に使えなくなったのだ。
その日がいつだったか、そしてその日に何があったのかは何故か覚えていない。
唯一記憶に残っているのは、魔法が使えなくなったその日に、母がいつものように優しい笑顔でショックを受けている自分の頭を撫で、『あなたはあなたの幸せを見つければいいのよ』と言ったことだけだ。
それでも、ノエルにとっての幸せは憧れの両親のような人物になることだったので、終ぞその言葉の真意は分からないままだった。そして、それは今も変わらない。
だからこそ、魔法が使えなくなっても懸命に魔法に対して向き合ってきたつもりだった。魔法学院に入り、落ちこぼれの烙印を押され、周囲の同級生や先輩に陰で笑われようとも諦める気にはなれなかった。
(でも、私には結局ダメだったんだよね……)
初めて心が挫けかけたのは、魔法学院を退学処分になった時だった。
あの時、教師に言われたことは今でも覚えている。
──『君には確かに素質があるが、能力が全く足りていない。それはつまり無能であることと何ら変わりない。君に魔法師の道を歩むことは不可能だ。素直に諦めるべきだよ』
それだけだったなら、まだ自分の将来を案じて言ってくれたのだと諦めも付いただろう。だが、その教師はノエルが今までのお礼を言って部屋を退出する瞬間にボソリとこう呟いたのだ。
──『まさか、各地で名を馳せていたあの夫妻の娘がとんだ落ちこぼれだとはな……。両親も今頃、"
それを偶然聞き取ってしまったノエルは自分の無才を恥じ入るばかりか、大好きな両親をがっかりさせ、その期待を裏切ってしまったのではないかと常に負い目を感じるようになった。
それから紆余曲折あって暮らしていた街にはいられなくなり、半ば逃げるような形でここ帝都エグゼアに来たのが最近のこと。
ほとんど着の身着のままで出てきてしまったノエルはとにかく早くお金を稼ぐ必要があり、なし崩し的にハンターになり──そこで【烏蛇】の面々と知り合ったのだ。
──『へぇ、アンタ魔法師なの? 凄いじゃない! ぜひウチのパーティに来て、一緒に頑張ってくれない?』
──『使える属性魔法が一つだけだろうが、それでも貴重な戦力です。あなたと共に活動できるなんて喜ばしいことですね』
──『俺たちもまだ銅級だからよー! 同じランクでソロの魔法師ってマジでありがてぇわ! よろしく頼むなー!』
彼女たちは最初は好意的にノエルを迎えてくれた。
低いランクの内から魔法を使えるのは大きなアドバンテージだし、実際に大きな期待を寄せてくれていたのだろう。
だが、何度か依頼を共にこなすことでその期待もどんどん失われていき……一週間前のあの日、遂にノエルは【烏蛇】の全員から誹謗中傷のような糾弾を受け、結果的にパーティを脱退することになってしまったというわけだ。
偶然居合わせたヴァニという青年が庇ってくれて事は丸く収まったが、既にその時には、ノエルの心の大半は絶望で占められていた。
魔法はロクに使えず、戦闘ではほとんど役に立たない。
薬草などの知識はあるが、そんなものはハンターならほとんどの者が知っていることだから何の有利にもならず、自分はまともに金銭を稼ぐこともできずにここで野垂れ死ぬことになるのかもしれないとさえ覚悟したものだ。
──『それでもいいや。私なんて、どうせこんなものだったんだよね。……ごめんなさい、二人とも。私……結局、何者にもなれなかった。でも、やっぱり二人みたいな凄い魔法師になりたかったなぁ……。もう一回だけでいいから、会いたいよ……お父さん、お母さん』
もはや自分を支える心が崩壊しかけていたそんな時──迷子の少女だったリネアを保護したところで、偶然あのヴァニという青年と再会したのだ。
今でこそ『絶対にそんな人じゃない』と断言できるが、当時ヴァニに抱いた第一印象は目付きが悪く、怖そうな人というイメージだった。
だが実際に話して関わる内に、彼本来の優しさや人への気遣いの気持ちに気付き、その印象をすぐに改めることになる。
ヴァニは良い人だ。それに、何故だか彼と話していると安心できるような感じがして……本当に理由は分からないのだが、心の底から落ち着くのだ。
先日食事に誘ってもらった時も気付けばいつの間にか自分の境遇や心境を吐露してしまっており、引かれるかと思ったのに、彼はノエルを決して悪し様に扱うようなことはせず、それどころか本心から温かい慰めの言葉を掛けてくれた。
今まで両親や両親の世話になった人々以外にあのような接し方をしてもらったことはなく、だからこそそれが嬉しかったというのはもちろんある。
けれど、あの時勝手に流れた涙は何かそれとは違う理由のような気がして、必然ノエルはヴァニのことが気になっていた。
気になると言ってもそれは決して恋心の類のものではないが、知人や友人、親類に抱くような種類のものでもなくて、結局それが何なのかもノエルには未だ分からずじまいだ。
(ヴァニさん……私、もっとあなたのことが知りたいです。あなたと一緒に色々な所に行って、色々な経験をして、色々なことをお互いに知っていきたいです)
だから、ノエルはヴァニとパーティを組めたらなんて願望を抱いてしまう。
実力にも経験にも天と地ほどの差があることは理解しているし、もしかしたら迷惑に思われるだけかもしれないとも理解しているけれど。
……それに、今はまだ自分にその資格はないことも知っている。
それでもいつか胸を張ってヴァニの隣に並び立てる自信が持てたら、その時は彼の相棒として彼を支えたい。そしてその傍らで、自身の夢である両親のような素晴らしき善き魔法師になるのだ。
そんなことを考える程度には、ヴァニのことを好く想っていた。
「そのためにまずは、しっかり着実に力を付けていかないとだよね……」
自分を鼓舞して再びボードに目を向けようとしたその
「…………なんだろう?」
ふと、ノエルに対して誰かが強烈な意識を向けているような気配を感じ、辺りを見渡す。
しかしギルドの中にいるハンターたちに、ノエルのことを見ている者などいない。
どうやら気配はギルドの外から来ているようだ。
だが、建物の外からどうやってノエルのことを見ているのだろう?
そもそもそれ以前に、ただのノエルの勘違いの可能性もある。
それでも何となく直感的にこの気配の元に向かわなければと感じたノエルは、ギルドを出て気配のする方へ向かう。
辿り着いた場所はギルドの裏手であり、丁度路地裏のようになっている薄暗いところだった。
気配を感じた場所は間違いなくここなのだが、やはり周囲には誰も存在しない。
(やっぱり気のせい、だったのかな)
ノエルが諦めて踵を返そうとした時、
「ノエルさん、お待ちしておりました」
背後から女性の声で自分に話しかける者が現れ、ノエルは驚いて振り返る。
先程までは確実に誰もいなかったはずだ。
狭い路地には隠れる場所などどこにもなく、女性は文字通り忽然と現れたのだ。
女性は深い夜空に浮かぶ星明りのような美しい髪と、それと同色の神秘的に輝く瞳に優しさと慈愛を湛えてノエルを見つめていた。
「えっ、えっ? 私を、ですか……? というか、一体いつからそこに?」
「………………」
困惑するノエルに、しかし女性は何も返すことなくただじっと微笑んでいる。
その立ち姿は神秘的で、どこか神々しさすら感じさせたが、女性の人となりや『ノエルを待っていた』という発言の意図が分からない現状ではただ戸惑うばかりだ。
どうしたものかとノエルが視線をあたふたと泳がせていると、女性は一度スッと目線を下げた後で再び顔を上げ、ノエルを正面に捉える。
「私はアストル──そうお呼びください、ノエルさん。色々とご説明してさしあげたいのですが……あまり時間が無いのです。どうかお許しください」
アストルと名乗った女性は笛のように綺麗で透き通った声でそう言うと、微かに頭を下げてノエルに謝罪を示した。
「いえ、それは大丈夫ですけど……。それで、私に何のご用件が?」
「西の森で大いなる災いが産声を上げようとしています。
「西の森……もしかして、ディアロフト大森林のことですか?」
ノエルがそう尋ねると、アストルは静かに頷く。
しかし分からない。ノエルの大切な人というのは、一体誰のことを指しているのだろうか? "彼"ということは男性であり、そうなると真っ先に思い浮かぶのはヴァニだ……確かにノエルも彼とは良き関係を築いていきたいと思っているが。
アストルはノエルが頭を悩ませているのを知りながら、尚も続けて言う。
「今、彼に最も必要なのは貴女の存在です、ノエルさん。貴女こそが"鍵"となるでしょう」
「ま、待ってください。急にそんなことを言われても、何が何だかさっぱり分からないです。それに私なんかが重要って……私は何の力もない、役立たずな人間なんですよ?」
「そんなことはありません。ああ、もう時間がなくなってきてしまいましたか……。ノエルさん、とにかく貴女にしか頼めないことなのです。どうか急いでください、"逢魔の森"へ……!」
その時アストルの体が僅かに光り出し、彼女の姿が徐々に薄くなっていく。
その光景を見て焦りを覚えたノエルは、せめてこれだけはと必死に言葉を紡いだ。
「で、でも! その人に会うにはどうすればいいんですかっ!?」
あの森はあまりにも広大だ。
急いで森に着いたところで、その彼を見つけ出せなければ何の役にも立てない。
「ただ、貴女の心に従うままに。ご自身を信じてください……」
アストルは最後にそう答えると、光の粒子となって空へ消えていった。
彼女の正体も、その言葉の意味も、なぜ彼女が自分を選んで話しかけてきたのかも、結局何も分からなかった。
だが話を聞かされてしまった以上は、それを無視することなどノエルにはできない。
それに何より、ノエルの直感が叫んでいるのだ。
『彼女の話は本物だ』と。
「私の大切な人……やっぱり、ヴァニさんしかいないよね」
元々交友関係のほとんどないノエルだ。
今の彼女に深い接点があるのは、今も魔法学院にいるたった一人の友人と、ヴァニだけ。
「ヴァニさんが、危ない……?」
この前の彼との会話を思い出し、そういえばその中に『ディアロフト大森林に危険な魔物が現れた』という話があったなと記憶を呼び起こす。
その魔物を倒そうとする彼の手伝いを何かしたいと申し出たノエルにヴァニからは『ノエルを危険な目に遭わせたくないんだ』と止められていたが、どうやらアストルが言うには、ノエルにしかヴァニを助けることはできないらしい。
ならばもはや、ノエルに迷いなどなかった。
「…………行かなくちゃ」
己の心に従うままに。
ノエルは決意し、ディアロフト大森林へ向かうのだった。
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