第38話:「加重叫喚」
ありとあらゆる絶望や哀しみ、苦しみを擁したような女性の
耳を
『あああああああああああああああああ! うあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ! あああああああああああああああああああああああああああああ! どうして! どうしてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!』
フォルミードーは身を滅茶苦茶に振り乱しながら暴れまわる。
それでいながら、やはりこちらのことを正確に追ってくるのは前回と変わらないようだ。
あの時は狂乱しながらも冷静さを保っていると思っていたが、どうも意固地になってこちらを排除しようとしているだけのようだ。
だから今回ばかりは希望的観測ではなく、絶対に罠に掛かると確信している。
「全員準備しておけ、俺がこいつを引き付ける! 罠に掛かったら一斉に攻撃するぞ!」
「ああ!」
「分かった!」
「了解だ!」
セザールたちに準備を促しながら、罠の方へとフォルミードーを誘導する。
狙う罠はスネアではなくトラバサミだ。
もしこの一回で仕留めきれなかったとしても、確実に足にダメージが残るからな。
そうすればヤツ自慢の機動力を削いで、大幅にやりやすくなる。
しかし本当に、姿が見えない人間にとっては珍妙な光景だな。
突き刺さりきらなかったクロスボウのボルトが中途半端に何本も空中浮遊していて、しかも出鱈目な軌道で動いている。念動力やワイヤートリックとも違う、不可思議な動きだ。
フォルミードーは今、どんな表情をしているのだろう。
あいつらには見えているんだろうが、見えない俺としてはとても気になる。
……って、こんなことを考えられるくらい余裕を取り戻しつつあるんだな、俺。
フォルミードーは完全に俺にだけ意識を向けているので、誘導するために追加攻撃を加える必要もない。
ボルトの目印のおかげで大体の距離感も分かるから、以前より遥かに攻撃も躱しやすい。
罠はもうすぐそこだ。
俺は逸る気持ちを抑え、トラバサミを迂回してフォルミードーと俺とで罠を挟む形に位置取りをした。
『ああああああああああああああああっ! 殺す! 殺す殺す殺すコロスコロスコロスゥゥゥウウウ!! うあああああああああああああ! あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』
完全に頭に血が上って怒号を上げつつ泣き叫ぶという器用な真似をしながら、フォルミードーがトラバサミにどんどん接近し、そして──
──バチン!
鋭い閉塞音と共に、獣の絶叫が聞こえる。
同時、トラバサミから火花が弾けて硫黄のような焦げ臭い匂いが漂い始めた。
フォルミードーは煩わしい罠を破壊しようと抵抗しているのだろう、呻き声を発しつつトラバサミをガチャガチャと鳴らしている。
しかしリフリアの言っていた通り、今あのトラバサミには強い電流が流れている。
そのせいで相当苦戦しているのが、姿は見えずとも伝わってきた。
「よし、掛かった! 今だお前ら!」
俺の合図で全員が一斉にフォルミードーに攻撃を開始した。
各々がどの部位に得物を突き立てているのかは分からないが、俺は確実にヤツの脚の部分があるであろう、トラバサミのやや上辺りを剣で斬り付ける。
硬い体毛と、それから予想ではあるがその下にある皮膚も分厚いため電気抵抗は高いはず。ならば電流そのものによる火傷や骨折は期待できない。
だからこそ、せめてより少しでも損傷を与えるためにただ脚を集中して狙うのだ。
「うおおおおおおおおおおおおッ!」
「死ねやバケモノッ! オラァァァッ!」
「ディオンたちの仇だ! 思い知れッ!」
セザールたちも気合を入れて攻撃しており、その刃はシャノンをして『並の攻撃じゃダメージが通らない』と言っていたフォルミードーの体毛を貫いてダメージを与えていき、その度にフォルミードーは叫び声を上げる。
流石はギルドの専門部隊だ。
『グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ! 痛い! 痛い! 痛い! いたい! いたい! いたい! イタイ、イタイ、イタイ! 止めて! 嫌ぁぁぁ! 止めろ! 止めやがれェェェエエエ! ガァァァァアアアアアアアアアァァァァァァアアアアアアアア!』
獣、女、男……種々な声で苦痛を訴えるフォルミードー。
当然それを聞き入れてやる道理はない。
こいつは悪鬼で、人に害を為す存在で、俺の数少ない友人を殺そうとした怨敵だ。
そして同時に、今回死んでいったディオンやイヴァル、直接の接点は無いがセオドアの仲間たちの仇でもある。
全霊の殺意を込めて攻撃し続けていると、不意にフォルミードーの声が止んで巨体が倒れる風圧が顔を撫でた。
聞こえてくるのは、俺たちの荒い息遣いとトラバサミに流れるバチバチという電流の音だけだ。
「……死んだのか?」
俺には今のフォルミードーの状態が見えないため、セザールたちに問い掛ける。
「ああ、どうやらくたばったらしい。完全に白目を剥いて斃れてるな」
「これだけやられれば、どう頑張っても生き残れるとは思えないさ」
それを聞いて、俺は一安心した。
てっきりこの後はトラバサミから脱出され、そこをブービートラップに引っ掛けて更に弱体化させつつ、もう一度最後にトラバサミかスネアに掛けてトドメを刺すつもりでいたんだが。
……こうしてみると、案外呆気ないものだったな。
確かに一時はマズいと思ったし、実際に犠牲者も出てしまった。
それでも、きちんと対策を立てて型に嵌めれば世界に終焉をもたらすと言われている悪鬼でさえ殺せると分かったのは大きな収穫だ。
今後もし同じような敵が現れても、対処はできるということだろう。
「ふぅー……終わったか。マ~ジで怖かったわぁ」
ランキルトは恐る恐るといった様子でフォルミードーの死体を爪先で蹴って死んでいるのを確認した後、討伐に成功して気が抜けたのか、その場に座り込んでため息を吐く。
セザールはフォルミードーの周囲をぐるりと回ってその体を観察し、オルテガは「……ディオンとイヴァルの遺体を回収してくる」と言い残してこの場を後にしようと背を向けた。
──が、その時だった。
「………………え」
ランキルトが、唖然としたような間抜けな声を上げる。
そして、
『グオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『アォォォォォオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオオン!』『ヒヒィィィィィィィッィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!』『ギョァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『イヤァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』『ヴォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』『痛いよォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオ!』『助けてくれェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!』『何故このような仕打ちをォォォォォォヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ!』『ウガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『キャァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』『どうしてこんな目にィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!』『もう許してくれェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!』『ゴァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
嵐の如き幾重にも重なった大絶叫が上がった。
それはまさに、天を轟かせるような"加重叫喚"。
あまりにも数多な絶叫に、それぞれが何と発しているのかは聞き取れない。
それどころか爆音のせいで激しい頭痛と耳痛に苛まれ、鼓膜が破裂しそうだ。
俺も、セザールも、オルテガもランキルトも。
全員が耳を抑えて蹲る他ない。
特に酷い様子だったのはランキルトだ。
彼はフォルミードーの目の前にいたため、最も近い場所で正面から大咆哮を浴びてしまったせいか耳と鼻から血を垂れ流していた。
完全に想定外の出来事だった。まさか死んだ奴が生き返るなんて、俺と同じような存在がいるとは流石に考えたこともなかったんだ。
いや、もしやフォルミードーは生き返ったのではなく、そもそも不死身なのか?
元々霊界と似た死後の世界層である煉獄に住まう存在だ。死という概念の象徴たる"番人"であるフォルミードーには存在しないのかもしれない。
「な、何も聞こえない! どうしよう、どうしよう!? それにこいつ、何で生き返って────あぴゃ」
ランキルトは顔を真っ青にしてガタガタと震えながらパニックを起こし、そして妙な声を発したかと思えば……頭部から胸部辺りにかけて突然その肉体が消失した。
まるで肉食動物に噛み千切られたような断面から、深紅の血液が噴水のように断続的に噴き出る。
「ランキルト!? こ、の……クソがァァァァァァアアアアアア!!」
硬直から一足早く立ち直り、ランキルトが喰い殺される瞬間を目の当たりにしたオルテガが激昂し、ファルシオンを片手にフォルミードーに突撃。
しかし次の瞬間大きく吹き飛ばされ、中空を経て地面に崩れ落ちた。
『イギァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
そしてフォルミードーが叫怒を上げ、オルテガは捕まって投げ飛ばされる。
握力のせいか、勢いのせいか。とにかくオルテガは投げられた際に右足がその付け根から捩じ切れ、そのまま木に激突して再び地に落下。
フォルミードーの勢いはそれでも止まらず、倒れ伏すオルテガを更に追撃しようと迫っているのがヤツの体に刺さったボルトを通して確認できる。
「畜生、止まりやがれ!」
当然みすみすその行動を許すわけにはいかず、俺は剣を構えながらフォルミードーに接近。ボルトを目印にその体を斬り付けようとするが、厄介なことに移動中のフォルミードーは非実体化しており俺の剣は空を切るだけだった。
「オルテガッ!」
幸い脚に大きなダメージを与えていたことでヤツの歩みは遅く、フォルミードーがオルテガの元に辿り着く前にセザールが彼に駆け寄って担ぎ上げ、そのまま退避した。
『絶対ニ、絶対ニ許サなイ!』『殺シテやるゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウ!』『オォォォァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!』『ギィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!』
フォルミードーはまたもや何重にも連なる声を発して暴れまわり、周囲の地形を手当たり次第に破壊する。
樹木がへし折れ、大地が抉れ、土煙が上がって絶叫が大気を震わせる。
ヤツは死んでいなかったどころか、最も凶悪な形態に移行したようだ。
ランキルトは死亡し、オルテガはもう戦えない。
セザールもオルテガを庇う必要があるので戦力にはなれず、動けるのは俺だけ。
「なるほど、またこうなるってわけか。全く毎度毎度、最高な待遇だな? あぁ?」
俺は悪態を吐きながらフォルミードーの動向を警戒し、そうしつつセザールに声を掛ける。
「セザール、お前らはもう逃げろ! こいつは俺一人で何とかやってみる! 森から出たらファナシアを通じて連絡だけ頼む!」
「っ分かった、悪い! 後は託した! 連絡の件は任せてくれ!」
「……ほら、許せねえんだろ? 殺したいんだろ? かかってこいよ! 全部そのままそっくり返してやるからよ……今度こそテメェをブチ殺してやろうじゃねえか、このクソ野郎!!」
あの"力"を解放するなら、絶対にセザールたちを巻き込むわけにはいかない。
だからそうしないために連絡で伝えてもらう旨だけを頼み、俺はセザールたちが無事に戦線を離脱するところを見送る。
そしてその後、未だに地団太を踏む子供のように木や地面に八つ当たりして暴れ散らかしているフォルミードーへ向かって怒鳴った。
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