第36話:「見破られた策」

 木々の茂みの向こう側から聞こえてきたディオンの声。

 それは激しく消耗したような声で、必死にここまで逃げ帰ってきたのだと分かる。


「ディオン、なのか……?」

「ディオン!? お前っ、無事だったのかよ!?」


 死んだものだと思っていたディオンが帰ってきたことで、セザールは驚き、ランキルトは嬉しそうな声を上げながらその声の方に駆け寄ろうとする。

 

 だが、俺は鋭い声でそれを制止した。


「待てっ、ランキルト!」


 早くディオンの無事を確かめたいのだろう、若干の苛立ちと怪訝さを浮かべた表情でランキルトが立ち止まり、俺の方を振り返る。


「な、なんだよヴァニ。なんで止めんだよ?」

「そいつ……多分ディオンじゃない・・・・・・・・

「…………は? 何言って──」


 俺の発言にランキルトが疑問を呈しようとしたそのとき、それを遮ってディオンの声が再び聞こえる。


「酷い目に遭った。……ヤツは、ヤツはもうすぐそこまで迫ってきている」

「ほら、ディオンもこう言ってるじゃんか! 本物だって!」

「……いや、俺もなんだか怪しいと思う」

「はぁ? セザールまで何言いだしてんだよ?」

「頼む、酷い怪我でこれ以上動けそうもないんだ。手伝ってくれないか」


 訝しむ俺とセザール。

 状況をいまいち飲み込めていないランキルト。

 そして、そんな俺たちを無視して言葉を紡ぎ続けるディオンの声。


 セオドアは言っていた。

 『消えた仲間の声が聞こえて助けに向かったら、そこには仲間ではなくバケモノがいた』と。

 フォルミードーは人の声を理解し、実在の人物の声帯を模倣する能力を持っている。


 その情報はもちろん討伐作戦会議でも共有されたし、行きの馬車の中でも部隊員たちに説明したから、ランキルトは俺たちがここまで疑っている理由を理解できるはずだ。

 だが仲間の生存を信じたい気持ちの方が強いのか、ランキルトは中々それを認めようとしない。


「いいから戻ってこい。そっちに近付くな」

「俺を疑うのか? 君は、思っていたよりも薄情な人間だったんだな」

「おいヴァニ、いくらなんでもお前それは酷すぎるだろ!?」


 ああ、もう面倒だ。

 もし本当に悪鬼は知能が乏しいというのなら、ここはひとつ引っ掛けてみよう。


「じゃあ聞くが、ディオン。俺たちが今回狙っているヤツの名前はなんだ? そして、何で俺が今回の作戦において緊張してないか、その理由を覚えてるか?」

「……そんなこと、今はいいだろう。それよりも早く手当とヤツの迎撃準備を──」

「ディオン。俺たちはお前を信じたいんだよ。お前が本物のディオンなら答えられるはずだ。それさえ信じてやれれば、俺たちはすぐにでもお前を助けてやれる」

「怪我をして命からがら逃げてきた仲間と、する必要のない質問のどっちが大事だってんだ!? いいからさっさと俺を助けろよ!!」

「ほら、やっぱりな。誤魔化そうとしてるが、知らないから答えられないだけだろ? あいつとは本当に短すぎる付き合いだったが、そんな物言いをする人間じゃなかった。お前はディオンじゃない。お前の正体こそが──フォルミードーだ」


 俺がそう突き返してやると、ディオンの声がぴたりと静まり返る。

 それから間もなくして、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


『ふふふふふ……あははははははははははははははは! あーあ、バレちゃった』

「ひ……っ!?」


 ディオンのフリをしていた悪鬼──もといフォルミードーが、木陰から姿を現して笑う。

 やっぱり俺には姿が見えないが、声にならない悲鳴を上げたランキルトや、信じられないものを見たような表情を浮かべるセザールの視線からしてそうだろう。


 それにしても、初めて出会った時よりも言葉が流暢になっているな。

 何度か人間を襲って、その感情を喰らったことで言語を習熟させたか?

 

 ……いや、それこそ知ったところでどうでもいいか。

 

 こうして出会えたのだ。ここで殺してやる。


「セザール、ランキルト! 作戦開始だ、手筈通りに動け!」

「ああ、分かった!」

「あ……うわ…………」


 セザールが罠のある方向に移動する一方で、ランキルトは実際に目の当たりにしたフォルミードーへの恐怖に支配されたのか、ガタガタと震えている。

 まるで【白翼の鷲】の連中がヤツを見た時と同じ反応だ。


『んー、んー? あはははははははははっ!』

「まずいっ、ヴァニ! ランキルトが狙われてる!!」

「チィッ!」

 

 ヤツの声が聞こえてくるのは正面の木の向こう。

 位置関係としては、まず俺、その少し前にランキルト、更にその奥にフォルミードーがいるであろう木。であれば、フォルミードーの攻撃進路は直線。


 俺は走ってランキルトを抱え、思いっ切り横に跳ぶ。

 装備をしっかり整えた成人男性は驚くほど重かったが、必死だったことと今までの人生で筋肉が強くなっていたことで何とか行動には成功した。


 直後、ランキルトが立っていた位置の少し後ろの大地が抉れる。


「間に合ったか!」

「ご、ごめんヴァニ……! 俺、俺……」

『避けた? 避けたの? 何で? どうして? すごいね? いっぱい遊べそうだね?』


 フォルミードーから不思議そうな声が聞こえてくる。

 だがそれを無視して、俺はランキルトに喝を入れた。


「自分で言ってたじゃねえか、大丈夫なんだろ!? 次は守ってやれる保証はないんだ! 死にたくないなら、いいから動けっ!!」

「わ、分かった!」


 ランキルトは何度も必死に頷きながら、セザールとは別の罠の位置に向かって走りだす。

 フォルミードーが今、誰を最も優先的に狙っているのか分からない以上……油断は禁物。

 

 ファナシアは"恐怖"を抱いている人間が優先的に狙われるはずと考えていたが、必ずしもそうとは限らない。 

 もし自分が襲われてもいいよう、前回のように剣を構えて先程フォルミードーの声がした方向を向く。今回は双剣ではなく、一振りのロングソードだ。


 そうしつつ、偵察に出向いていたオルテガたちに通信を済ませる。

 彼らの了承の返事が鼓膜に伝わってきたのと、フォルミードーの声が聞こえたのは同じタイミングだった。


『あはははは! あはあははははははははは!! あーそびィィィィィィましょ!!』

「クソッ、今度は自分か!」


 どうやら次に狙われたのはセザールのようだ。

 どのような動きで襲われているのかは分からないが、セザールは必死にサイドステップを繰り返して攻撃を避けている。

 まだ罠の位置に辿り着くまでには時間がかかりそうだな。援護してやるべきだろう。


「待ってろよ…………」


 俺はその場で膝射しっしゃの体勢を取り、クロスボウを構える。

 フォルミードーは巨体だ。そして今はセザールに攻撃しているので、不規則ながらも実体化しているはず。ならば当たるだろう。


 冷静にフォルミードーのおおよその位置を計測して──射撃。


「クソッ!」


 狙いは恐らく完璧だったが、丁度ヤツが非実体化している状態だったようだ。

 諦めずにすぐ次のボルトを装填し、再び狙いを付けて射撃。


『ウアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 ヒュンッと音を立てて飛翔したボルトは今度こそフォルミードーの体に突き刺さったようで、フォルミードーが叫び声を上げた。

 隙を与えず、続けざまに二発、三発とボルトを撃ち込んでいく。


『よくも小賢しい真似をォォォォォオオオオオオ……!』


 フォルミードーの体に突き刺さったボルトだけが虚空に浮いて見え、フォルミードーが禍々しい男の声を発する。


「すまんヴァニ、助かった!」


 その間にセザールは退避し、罠が設置してある位置まで走る。

 何とか時間は稼げたようだ。

 だが、鬱陶しい攻撃を繰り返したことでヘイトが俺に向く可能性は十分にある。


 俺はクロスボウを背中に担ぎ直し、再び剣を構えて攻撃に備えた。


「ランキルト! 状況はどんな感じだ!?」

「まだセザールの方を狙ってるよ! けど、もうすぐで罠の場所だ!」


 その情報が確かなら、フォルミードーはもうじきスネア型の罠を踏む。

 そうさえすれば後の流れはこちらのものだ。


 しかし、そんな希望は淡くも打ち砕かれることとなった。


「…………そうくるかよ」


 設置されていたスネアを作動するための紐──それらが全て切断され、更にはスネア本体もが無惨に踏み潰された。

 目視はできないが、間違いなくフォルミードーがやったことだろう。


 フォルミードーの反対側、スネアの前にいたセザールも呆然としている。


「まさか、罠を見破った……? ぐあっ!」


 そしてセザールが大きく吹き飛ばされる。


「っセザール!」


 俺は虚空に見えるボルトの位置からフォルミードーの場所を判断し、距離的に問題ないと見るや即座にセザールの方に駆け寄って安否を確認する。

 幸いなことに、致命的な怪我はしていないようだった。


「……すまん、自分は大丈夫だ。なんとか受け身を取れた。だがアイツ……触手のように何本もの腕で罠を……!」


 先の問答的にも、なまじ言語を理解する能力があるだけだと思っていたが、どうやら想定を遥かに上回る知能のようだ。


「当然っちゃ当然か」

 

 確かに思い返せばグレゴリオの手記にも書いてあったことだ。

 『番人たちは罪人を常に見張っている』と。


 それはつまり、ある程度の知性があるという証左。

 もちろん俺たちは罪人ではないが、仮に罪人と見立てるのならば俺たちの行動も、俺たちが次に何をしようとしているのかも、ある程度把握していたとしておかしいことは何ひとつない。


 今まで考察していた中にも答えはあったではないか。

 ヤツは、他人に"恐怖"を広めるために"生餌"を撒くと。

 

 それはつまり、そういう手段を考えつくほど知恵が回るからに他ならない。

 

「すまん、すれ違ったみたいだ! お前ら、だいじょ──」


 その時、最悪のタイミングで帰ってきてしまったイヴァル。

 彼の言葉がそれ以上続くことはなかった。

 

 何かに反応したイヴァルは素早くグレイヴを構えたが、フォルミードーの持つ圧倒的な膂力の前にはまるで意味を持たず、彼の首はまるで小枝のようにポッキリとグレイヴごと真後ろに折られ、それだけでなく手足が全て真逆の方向に曲がって絶命してしまったから。

 

 ばたりと崩れ落ちるイヴァルの死体を見てか、フォルミードーが哄笑する。


『あははははははははははははははぁ! 死んだ! 死んだ! また一人死んじゃったねぇ!! きゃはははははははははははははははははははははははは!!』


 更に少し遅れたタイミングでオルテガも帰還する。

 オルテガは、自分より少し先に辿り着いたばっかりに変わり果てた姿になったイヴァルを見て凍り付いた。


「…………おい、何だこれは」


 そして顔をバッと正面に向けた途端、咄嗟に横跳びに回避する。

 きっとフォルミードーに攻撃されたのだろう。


「畜生が!」


 せめてオルテガだけは守ろうと、俺はフォルミードーがいる場所に向かってクロスボウを構えて次々と射撃する。

 何本かのボルトが突き刺さり、何本かのボルトは見えない何かに弾き飛ばされた。


 最初は六人だった俺たちのチームは、今や二人減って四人だけになってしまっていた。その上ヤツは知能も高く、巧妙に隠した罠すら見破られてしまうらしい。


 これは相当に絶望的な状況と言わざるを得ないな……。

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