第29話:「あの世を知る者からの手記」
その日の夜、宿の自室で俺はベッドに腰かけて、アルティエスに渡された封筒の封を切っていた。
その中に入っていたのは、塩漬けで保存された羊皮紙に書かれた三枚分の手記。
そしてその内容を通して、俺は今回の事件──例のバケモノの正体に大きく迫ることとなる。
◇◆◇
≪手記≫
霊歴:三一五年 八月二十三日 筆記者:グレゴリオ・ラトヴィレイ
まず私のことを知らない人物に向けて、軽い自己紹介をしようと思う。
私はグレゴリオ・ラトヴィレイ。
古の時代の神秘の研究家であり、超常的なモノに魅せられた偏執者という言葉が私を表すに最も相応しい呼称だろう。
私は長年の研究において、この"ニルムング"と呼ばれる世界に四つの世界層があることを突き止めた。
残念ながらこれは世界に大混乱を巻き起こす物なため、まだ世には発表できていない。しかし、不測の事態に備えてひとまずその研究課程をここに記すものとする。
私がまず最初に着目したのは、世間一般に言われる天国・地獄という場所の存在だ。
では、それらの定義は一体何なのだろうか?
俗説的には、我々人間にとっての天界とは、生前に善き行いを積み重ね、徳を積んだものが行けるとされる楽園のことである。
そして地獄とは、罪人の魂を清算した後に天界へと送るか、あるいは清算しきれぬ罪咎を背負った者には永遠の責め苦を与えると伝えられている恐ろしい場所だ。
しかし私はスピリチュアル論者ではないので、これらの俗説には懐疑的だった。
生きたままそこへ至り証明する方法もなく、ただ人に秩序と規範を守らせようという意図の元に創られた警句のようなものだと思っていたのだ。
よって、それらの場所の真偽に関する疑問を解消する方法はただ一つ。
天界や地獄が本当にあることを証明し、学界的にも納得のいく証拠を提出することしかないと考えるものである。
次に私が注目したのが、人々の信仰についてだ。
この世界を生きる大多数の者にとって、死後の世界というのは『当然あるもの』として認識されている。
この世界の天意と宿因を司ると言われる女神"レーミテシア"。
この世界では彼女の信仰は特に篤く、彼女の信託や彼女が伝えたとされる言葉の数々は絶対的なものであるという認識が常だ。
しかし、私はそこに『待った』をかけたい。
もちろん、女神レーミテシアの存在や彼女への信仰を軽んじているわけではない。
しかしそうするあまり、彼女の信託や信仰の在り方、果ては己の思想を放棄して盲目的になるのは如何なものかとも同時に思うのだ。
さて、ここまで読んでくれた諸君は、きっとこう思っているはずだ。
『それで結局、この男は何が言いたいんだ?』と。
安心して欲しい、当然この手記には結論がある。
次へ進もう、今度は世界の在り方についてだ。
この世界には、人族・亜人・魔人・妖精……様々な種族が存在しているというのは、誰もが知っている常識だと思われる。
では、そこに生まれる信仰は果たして統一されたものなのだろうか?
例えば、人族は先にも挙げた『この世界を創った』と言われている女神レーミテシアを特に信仰している。
しかし反面、魔人族は魔神である"レギアメルド"を信仰しているし、亜人──その中でも主に獣人族は、全ての獣の神とされる"ガルクライブ"を信仰している。
エルフに関しては精霊の主でもある"エーデルマーナ"を信仰しており、それらのことから分かる通り、この世界に生きる者たちの信仰対象とされる神や宗教観は様々なのものだ。
そのように信仰対象が様々な以上、そこにある死生観・死後の世界というのは果たして同一のものなのだろうか?
種族や宗教の垣根を越えて、同じものを信じることは可能なのだろうか?
私が注目したのはまさにそこだ。
古来より人々の信仰というのは自由なものであり、そのような神々への信仰もあれば、唯一それと両立すると言われる、我々の世界において最も身近な存在である精霊信仰というものもある。
何度も繰り返すように、各々が信仰する神や宗教は千差万別だ。
一説で言うのならば、中には『罪から逃れるための死』──特にその方法として最も顕著である『自死』は罪であり、悪であり、結局罪人として地獄に落ちるという教義の宗教もある。
そして魔神レギアメルドを信仰する魔人たちの教義では『愛する者を残した死』こそが最も許されぬことであり、故に魔人族は生涯、友も伴侶も、子供も作らずに孤独に一生を終える者が多いとされている。
しかし獣人たちが信仰するガルクライブの教えでは、戦いや狩りにおいて勇敢に散った者には最高の栄誉として、天上にある獣たちの楽園とされる"クアロメアル"に招かれるという話は有名なところだろう。
このように"死"に対する考え方や、それによって向かうとされる場所は各種族・各人種によって様々な宗教観があるのだ。
ここまで長々と抽象的な死後の世界について話してしまったが、いよいよ本題に入ろうと思う。
これより先は、どうか古龍の
何故ならば、今まで私が記述してきた死後の世界──この場合で言う天国や地獄というものは『存在しない』からだ。
これは多くの者にとってこれは絶望を抱くに足る内容であると思うし、あるいは死後の世界を恐れる者にとっては安堵するものかもしれない。
だが、厳密には死後の世界そのものは存在する。
それも我々の想像や常識を遥かに超えるものが。
まず、私がこの手記の冒頭において記載した内容を思い起こして欲しい。
この世界には、四つの世界層があると私は提唱した。
それは、我々生きとし生ける者が住まう"現界"、精霊たちの住まう"精霊界"、現世に未練や強い怨念を遺した者たちが彷徨う"霊界"、そして極罪の
現界について説明することは特にないだろう。
私を含め、諸君が最もよく知っている場所なのだから。
そしてその他の世界層は、現界とは層状が異なっている。
まずは精霊界。そこは多種多様な精霊が住まい、自由気ままに暮らすものや時折現世に何らかの干渉……主に奇跡や自然災害を起こすものたちが存在する世界である。
そうした精霊たちこそが、まさに我々の信仰対象となる存在なのだ。
稀に精霊術と呼ばれる、本来の魔法体系とは異なる魔術を用いる者がいるが、これは現界を気に入った精霊に特に好かれた者や、何らかの条件付きで契約を結んだ者のみが使用できる稀有なものとして認識されている。
次に、霊界は死せる者たちの住処だ。
我々現界の人間も、霊界の者も、基本的に互いに干渉することはできない非実体の存在が住まう世界。
では何故、霊界という場所の実在性を証明できるのかと思う者もいるだろう。
それは霊視能力を持った人間の存在や、ポルターガイストという現象を起こすことのできる霊体が存在するためだ。
中には軽い意思疎通を図ることが可能な霊体も存在しており、古来より霊界は人々の間で広く知られてきた。
そして──煉獄。
それこそが、私がこの手記で最も伝えたかった忌々しく恐ろしい世界である。
人は死後、本来は生前に行った善悪問わず魂のみの存在となって"
そこで魂を癒し、新たな生命として新生するのだ。
故に、先程私は『天国は存在しない』と述べた。
しかし、そうあるべきはずの正しき輪廻から逸脱してしまう魂たちが存在する。
あまりにも重い
煉獄では絶えず極罪を犯した亡者たちの呻吟が鳴り響き、終わることのない永遠の惨苦に苛まれることになる。
救済は一切なく、幾星霜の時を経て罪を悔い改めようとも解放されることのない、真の悪夢的な獄所。それこそが煉獄だ。
実はこの煉獄という世界層自体は遥か昔、今よりもっと旧い時代で人々に既に知られていた。
その当時、煉獄は天国と地獄の狭間にある場所とされていたという。
その時代における煉獄の認識は私の主張とは異なり、死者がその罪を浄化することにより"
残念ながら現実は違う。
あの場所は、
元より肉体を喪い、重い魂を背負った者たちであるから、当然そこから逃れる術はない。
それでも、少しでもその環境や苦しみから逃避しようとする者は多くいる。
だが、その試みが叶うことはない。
煉獄には数多の"番人"が存在するためだ。
番人たちは常に罪人を監視している。彼らの目を誤魔化すことはできない。
番人は、罪人たちに何ができるとも言えないはずなのに、その一挙手一投足を片時も目を離すことなく見張っているのだ。
実は私がこの煉獄という世界層を発見するに至った、とある古い書物がある。
残念ながらその書物は既に燃やして灰燼に帰してしまった。
何故ならばその書物に書かれていたものは、とてもではないが多くの人々の目に触れて良いものではなく、悪しき考えを啓発し、またそのような思考の持ち主が読めば取り返しのつかないことになると判断したためだ。
だが、そこに書かれていた煉獄の番人の説明についてのみ、私はここへ私の記憶を頼りに記すものとする。
『番人は悪魔の使いであり、あるいは悪鬼そのものである。
彼らの姿は千差万別だが、そのどれもが本能的恐怖を抱かせる醜悪な見た目をしている。
番人は食欲や睡眠欲、性欲などの基本的な欲求は持たず、彼らを満たすのは他者の抱く負の感情ただそれだけである。
彼らが番人としてその役目に忠実に従うのは、彼ら自身にも利があるからなのだ。
彼らがもしも現世に解き放たれるようなことがあれば、それはまさしく世界の終焉の始まりであり、彼らの飽くなき渇望によって、ほどなくして全てが終わりに包まれるだろう』
もしかすればここに書かれていたように、番人なる存在がいつか我々の世界に解き放たれる日が来るのかもしれない。
だが、番人を煉獄の番人たらしめさせることで、少なくとも番人の意思を煉獄に留めさせておくことは可能だと私は信じている。
故に、我々は他者を尊重し、慈しまなければならない。
故に、我々は正しく輪廻の輪に還れるような生き方をしなければならない。
故に、我々は罪を犯してはならない。
煉獄に墜ちるような行いをすることだけは、絶対にあってはならないのだ。
煉獄の罪人が多くなれば多くなるほど、彼ら番人はその罪人の悪感情に味を占めてもっと多くを求めるようになるからである。
最後に、恐らくここまで読んでくれた者たちが最も抱いたであろう疑問の答えを簡潔に述べて、今回の手記を終わりにしようと思う。
そう、何故私が今まで誰も知らなかった死後の世界のことを詳細に知っているのか、という疑問についてだ。
私はかつて──煉獄をこの目で見たことがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます