第30話:「討伐作戦会議の始まり」
男の手記を読み終えた俺は、窓を開けておもむろに煙草を咥える。
そこに書かれていた内容は今の状況に対してあまりにタイムリーで、そしてあのバケモノの正体を何となく予感させるものだった。
しかし手記の主、グレゴリオが本書に記した日付は"霊歴三一五年"。
今は"霊歴一五七三年"であり、この手記は十世紀以上も前の物ということになる。
これを書いたグレゴリオも、既にこの世を去っていることだろう。
もちろん、他にも分からないことはある。
あのバケモノがその"煉獄"とやらの番人だったと仮定しよう。
だが、番人は煉獄にて罪人を監視する役目を持っている。
そんな存在が、一体どうやって層状の違う現界にやって来たというのか?
その理由には、何となく心当たりがある。
あのアルティエスという情報屋が最後に言っていた言葉。
──『近年……いえ、最近になって、どうにも妙な集団がコソコソと動き出しているらしいですよ。──くれぐれもお気を付けて』
鵜呑みにしたわけじゃないが、あのタイミングであの発言だ。
状況的に、何か関連性がある可能性は高い。
例えば……その"妙な集団"が今回のバケモノを何らかの手段で呼び出した、とかな。
グレゴリオの手記にもそのような記述はあった。
『番人を解き放つ方法が何かあるのかもしれない』と。
考えれば考えるほど、あのバケモノを煉獄の番人と判断できる材料は整っている。
食欲が無いからこその、それを目的としない無益な殺生。
異なる世界層からの来訪者であるからこその、実体の不完全性。
他者の"恐怖"という負の感情を好み、それを煽るような行為。
ああ、ここまで根拠を提示されてしまっては、信じたくはないが信じるしかないのだろう。
本当に面倒くさい事態になったものだ。
だが、それでも。
俺は一人、口の端を皮肉気に吊り上げる。
「世界の終焉の始まり、か」
本当に不謹慎だが、それが事実なら歓喜に小躍りしたいくらいだ。
この数年間、本当に気の遠くなるような長い時間だった。
だがようやく始まったのだ、俺の"
「レーミテシア……あんたが押し付けてきた
俺にこのクソみたいな
その顔を思い浮かべながら、俺は煙を空に吐き出した。
◇◆◇
「ヴァニ様、お忙しいところ申し訳ありません」
翌朝、何となくイザベラに呼ばれる気がしてギルドに併設された酒場で座って時間を潰していると、職員の青年に声を掛けられた。
「いんや、見ての通り全然暇さ。で、やっぱり用件は例のアレか?」
「ええ、仰る通りです。既に皆さん集まってらっしゃいますので、ご同行願います」
「……了解」
職員の青年の先導に従い、階段を上ってつい先日通ったばかりの廊下を進み、会議室の前に辿り着く。
「ギルド長、ヴァニ様をお連れしました」
『ご苦労。入ってくれ』
イザベラの入出許可が下りて中に入ると、前回よりも多いメンバーが待っていた。
その中には、この前顔合わせしたシャノンの姿もある。
職員の青年は自分の役目を終えたことを確認すると一礼をし、退室した。
「急な呼び出しですまないな。とりあえず座ってくれ」
「ああ。昨日あんだけの騒ぎがあったからな、そんな気はしてたんだ」
言いながら、俺は椅子に座る。
そして、イザベラが話を切り出した。
「諸君、忙しい中集まってくれて感謝する。さて、皆に集まってもらったのは他でもない。件のディアロフト大森林に突如出現した怪物についての話だ。早くも犠牲者が出てしまったことは知っているな? もう悠長に構えてはいられない。まずは皆、顔見知りの者がほとんどだろうが、一応自己紹介を済ませよう。私はイザベラ・カルデナント。ここ帝都エグゼアのハンターギルドのギルド長をしている」
続いて、ギュスターヴが座したまま頭を下げる。
「ギュスターヴ・レイエスと申します。副ギルド長の立場に就かせていただいております」
そして、シャノンに番が回ってくる。
「はいはーい。シャノン・ルセンタです。魔物研究部門の室長ですよ」
それから残りのメンバーが続々と自己紹介を始めた。
「次はわたくしの番ですね。ファナシア・サーフェイです。医療部門の総責任者をやらせてもらっておりますわ」
「オレはエリアス・アングロシアだ。まぁ、主に依頼管理官をやらせてもらってるもんだわ」
「……リフリア・ローグメルト。技術開発部門の人間だよ」
「自分はセザール・マクシミリアン。当ギルド直属の専門部隊の隊長だ。今回の件にあたって、討伐に同行させてもらうことになった。よろしく頼む」
各々の名乗りが終わり、全員の視線が俺に向く。
「最後は俺か。……俺はヴァニだ。ランクは白金級。ただの一般ハンターだが、例のバケモノと遭遇して軽く交戦した身だ。よろしくな」
「彼には重要な情報提供者としてこの場に来てもらった。また、この後の討伐作戦にも加わってもらうことになる。それではシャノン、まずは情報の説明を引き継いでもらいたい」
イザベラが俺がここにいる理由を捕捉し、続けてシャノンに説明を促す。
シャノンは頷くと、この場にいる各員に紙の資料を配ってから咳ばらいを一つした。
「それでは、例の存在について現状分かっていることをご説明しますね。まず、対象は実体と非実体を切り替える能力を持っていると思われます。ヴァニさんの証言では、対象はその巨躯を無視して森の木々をすり抜けたそうですが、これは肉体を構成する粒子を自在に操れるか、あるいは
「いきなりだけどちょっと待って。そんな芸当ができる魔物は存在しないはず。それに
リフリアの問いにシャノンは首を横に振る。
「そこまではまだ断定できません。ですが、ご指摘された通り魔物でない可能性は大いにあります。体液の解析結果からは、生物としてあまりに破綻した成分が検出されましたので。それからもう一つ。この対象の厄介なところは、自身の肉体を条件付きで視認できなくすることができる点ですね」
「その条件と言うのは?」
「対峙した者が、"恐怖"を抱いているかどうかです。その"恐怖"の範疇がどこまでなのかは不明ですが、多分ただ漠然と"怖い"と思う気持ちがある者にしか見えないのでしょう。しかし残念ながら、こちらに関しても不確定要素であり、実際の検証ができないため確実性はありません。ですが現場に居合わせたヴァニさんや、今回被害に遭われたハンターさんの証言を聞く限りではほぼ確定事項であると思われます」
「つまり視認できず、非実体の状態を維持されればこちらは何も手出しできないというわけか……厄介だな」
セザールは腕を組みながら、険しい表情になった。
「しかし、視認可否の問題については解決しているものと思いますが。得てして、人は理解できない事柄や存在に恐れを抱くものです。実際に対峙すれば、恐怖を抱いて姿を見ることは可能なのでは?」
ギュスターヴはそう指摘するが、それに異議を唱えた人物がいた。
ファナシアだ。
「見えることと攻撃が通ることは別で考えた方がよろしいかと。資料に書いてありますが、件の存在の体毛の硬度は相当なものです。仮に体表を少し傷付けられたところで、警戒されて非実体化されてしまえば打つ手がないのでは? それに、
確かにその意見も正しい。
それどころか、より凶暴になるか最悪逃亡される恐れもある。
姿さえ見えれば安易に勝てる相手とは考えない方がいいだろう。
「で、話は戻るが結局そいつは魔物なのか? それとも、もっと別の存在なのか? そいつによって話がだいぶ変わってくると思うんだが」
ここまで黙って聞いていたエリアスが、問いを発する。
エリアスはギルドの依頼を管理する立場だと言っていたか。
すぐに例のバケモノの討伐作戦を実行するにせよ、しないにせよ、ハンターの行動をある程度管理する者として知っておく必要があると考えたのだろう。
俺はここで初めて発言をすることに決める。
「悪い、本当は真っ先に話すべきだったんだが、遅くなった。実はこんな情報を仕入れたんだ。あのバケモノが
そして、机の上にグレゴリオが遺した手記を提出したのだった。
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