第20話:「バケモノの考察」
イザベラが【白鷲の翼】から聴取した異形の見た目は、想像を絶していた。
とてつもなく巨大な黒い犬のようなフォルム。
無機質な白濁した眼でこちらを捉えたかと思えば、その口が大きく開き、その中から人間のような女の顔がゆっくりと現れたそうだ。
異常なほどに青白く、白目の部分がほとんどない大きな黒目。
爛々と輝いたその目で、あいつらはずっと見つめ続けられていたらしい。
よく見れば手足は獣のものではなく、体毛に覆われてはいるが血に染まり、肉が露出した細長い人間のものだったという。
そして、それと同じものが何本も背や腹から生えていたと。
肉の部分には蛆や小さな虫が集っているにも関わらず、女はそれを意に介さず満面の笑みを浮かべていたと証言したらしい。
"そいつ"はずっとそこに佇んでいた。
微動だにせず、見ているだけで気が触れそうな笑みを湛えて。
顔と腕の部分以外はよく見ていないらしい。というか、あんな顔で見つめられていてはその他に意識を割くことなど不可能だったと。
「一応聞くが、集団幻覚……の可能性は無いんだよな?」
「お前も後ろ姿は見たのだろう? ならば、その可能性は限りなく低いだろうな」
「……
「まずありえないですねー。
ということは、やはりあのバケモノはこの世に存在しているものだ。
「ハルピュイア、セイレーン、ラミア……人の姿形に近い魔物は数多く存在する。だが、話を聞いた限りその怪物は既知のどの魔物にも似通っていない。いや、そもそもそいつは本当に魔物なのか……?」
イザベラは眉間に皺を寄せ、深く考え込む。
その疑問を抱いたのは俺も同じだ。
「研究者としての観点から見ても、そんな姿形の魔物の存在は初耳ですねー」
そう言うシャノンも同様に、「うーん」と唸りながら天井を見つめている。
「それに、姿が見える者と見えない者に分かれているのも謎だ。特にお前は、最後の瞬間にようやくその姿を見たそうだな」
「ああ、そうだな。……と言っても後ろ姿だけだが。フォックスが奴に狙われて、急いで駆けつけようとして、その時初めて見えた。その後はまた見えなくなっちまったけどな」
「だが【白翼の鷲】のメンバーは、最後までその姿が見え続けていたそうだ。この認識の相違の謎を紐解かない限り、攻略は大きく困難になるだろう。シャノン、君の意見も聞きたい」
「そうですねー。とは言っても、さっきもお伝えしたように正直私にもさっぱりで。一応それらしい予測を立てるなら、まず一つ目にその魔物は"自分の姿を見れる対象を選別できる"という可能性。……でもでも、この線はまずないかなー。だってそれなら、ヴァニさんに一瞬だけ姿を見せた理由も、ヴァニさんが姿を見たことに喜ぶような反応をした理由も分かんなくなっちゃいますからね」
シャノンは人差し指をピンと立てながら、自分の推論の穴を突いて否定する。
それから続けて二本目に中指を立て、
「二つ目は、見えるようになる条件が"対象の何らかの感情に起因する"という可能性です。まー、感情と言っても色々ありますから。何が正解なのかは分からないですけど、その場にいたほとんどの人が抱いたであろう感情に絞るなら──"恐怖"とか? なんて、流石にそれはちょっと馬鹿馬鹿しすぎますかねー! 理論的にも滅茶苦茶ですし!」
シャノンは苦笑してそう言うが、それを聞いた瞬間、俺の頭の中には電撃が走った。
「それかもしれん」
「……はえ?」
「あの時、俺は確かにフォックスが殺されるという"恐怖"を抱いた瞬間にヤツを見た。今になって考えれば、他の奴らだってそうだ。ロイはずっと気味悪がっていたし、クリスティナはそんなロイの姿を見て不安という形の"恐怖"を抱いていた。そしてヤツを見てしまった二人の様子からマヤに"恐怖"が伝染し、フォックスは恐らくパーティ全滅の可能性に"恐怖"を覚えたからヤツが見えたんだろう」
「なるほど、そう考えるならば確かに辻褄は合うな。そんなことが一介の魔物に可能なのか、という点にさえ目を瞑ればだが。しかし相手は話を聞く限り、既存の知識に当てはまらない存在だ。ありえないと論じて切り捨てることはできないか」
イザベラは納得した様子を見せた後で、「だが」と言葉を続ける。
「確実性は保証されていない。検証しようにも、多くの犠牲が出る可能性を考慮すれば実行は難しいだろうな。今のところは『そういう可能性もある』という程度に抑えておくべきだろう」
「ええっ!? いやー、でも、ほんと適当に言っただけですよ? もしそれが勘違いだったときに、私責任取れませんからね?」
「無論そんな追及はしない。だが、君のおかげで一つ謎が解けかけているのは事実だ。感謝する」
イザベラは優しい表情でシャノンに微笑みかけると、すぐに真剣な顔つきに戻って今後の方針を語りだした。
「さて、一歩を踏み出すことはできたが、例の怪物の生態含め現状は不明な点がまだまだ多い。対策は可能な限り早く打たねばならないからな。シャノン、怪物の解析は魔物研究部門に一任するぞ。あまり焦らせたくはないが、なるべく急いでほしい」
「いえいえ、むしろ望むところですよ。私の研究者魂が、一刻も早くこの不思議ちゃんを隅から隅まで調べ尽くしたいと叫んでますからね!」
シャノンはふんすと鼻息を鳴らしながら、意気込んだ。
「ヴァニ、お前はひとまず普通に活動してくれ。事は急を要しつつも、慎重に動かなければならない。詳細が決まり次第追って連絡を寄越すから、それまでは早まらないように」
「断ると言いたいところだが……無策で突っ込んでも意味が無いことは、一戦交えて理解したさ。その代わり、なるべく早めに頼む。あのクソッタレには借りを返さなきゃならないからな」
「……そうだな。元よりそうするつもりだ」
イザベラは何かを言いたそうな顔をしていたが、すぐにそれを飲み込んで頷いた。
ギルド長にこんな口の利き方をするのは本来叱責モノだろうが、俺だって冷静に話していながらも、煮えくり返りそうな腹の中は未だ変わらずなんだ。これくらいは許してもらいたい。
「それでは、今日のところはこれにて終了としよう」
イザベラの一言を合図に、俺たちはそれぞれの出口から解散した。
「恐怖、か……」
彼女たちは半信半疑だったが、俺の中では半ば確信に変わってきている。
あのバケモノの姿は、"恐怖"を抱いている状況でしか見えないのだと。
しかし、それが分かったところでどうすればいいっていうんだ?
俺の中にあるのはあのバケモノへの殺意だけ。今さら恐怖など抱くはずもない。
結局は、ヤツの姿が見えないまま戦うしかないのだろうか……。
どのような動きをしているのか、そしてどのようにしてまるで二体以上いるかのような攻撃をしてくるのかというカラクリも謎なままだ。
今後イザベラが打ち出す対策方針にもよるが、それによっては
「~~~~~!」
「…………何だ?」
どのようにして戦うかを想像しながらメインホールに降りると、何やら騒々しい声が聞こえてくる。
なんとなくそちらの方に目をやると、若いハンターたちが言い争っている光景が飛び込んできた。
……いや。言い争っているというよりは、数人で一人を一方的に責めている様子だな。
「ほんっと使えない! あんたのせいで危ないところだったのよ!? あーあ、当てにして損したわ!」
恐らくリーダー格の赤髪の少女が、顔を怒りに染めて唾を飛ばしながら罵る。
「まぁまぁ、私達のランクではまだ優秀な魔法師は雇えませんから。銅級では所詮この程度ということでしょう」
僧侶のような服装の金髪の女は、一応リーダー格の少女を宥めようとしているが、その表情に相手への嘲りの色を隠しきれていない。
「ケッ、それにしてもだろ。一属性しか使えないとはいえ、魔法師だってんでいざパーティに引き入れてみたら、まさかその属性魔法すらロクに使いこなせねぇなんてよ? ほーんと勘弁してほしいぜ。なぁ?」
軽薄そうな茶髪の男は、ニタニタと人を見下す笑みを浮かべながらまるで周囲に吹聴するかのように大声で貶す。
そして、彼らに責め立てられている少女。
あどけなさの残る顔つきには涙で濡れそぼった瞳が見え──
「すみません……皆さんにご迷惑をおかけしました……」
深く頭を下げながらひたすらに謝罪の言葉を繰り返すその少女を見た途端、俺は言葉を失った。
「な──………………?」
──その少女が、遠くなってしまった記憶の中の"あの少女"に何故か重なって見えたから。
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