第2話:「西の森の不穏な噂」

 俺が話の続きを促すと、フォックスは頷いてからエールで口を湿らせ、語り出した。


「帝都から出て西の方にしばらく行ったところにある"ディアロフト大森林"、知ってるだろ? 何でも、あの森に依頼で向かったハンターが、そこで不気味な声を聞いたらしい」

「ディアロフト大森林ねぇ……。確かにあそこは陰鬱な雰囲気の場所だが、どんな声を聞いたってんだ?」

「曰く、地の底から響くような低い叫び声と、狼の遠吠えのような甲高い鳴き声だったんだと。それも重なるように同時にだ」

「なんだそりゃ……どうせただの魔物同士の縄張り争いだろ?」


 俺がそうツッコむと、フォックスは首を横に振る。


「俺も最初は普通にそう思ったんだけどな。でも、俺だって長いことこの仕事をやってるんだ。取るに足らない与太話だと思ったならこんな風に話してないさ。なんだか聞き慣れない鳴き声だとは思わないか? 例えばもしかしたら、その……同一の魔物の仕業だとか」

「まさか、それこそありえねぇだろ。前者はともかく、狼なんてあの森にゃゴロゴロいるんだぜ? 何でそう思った?」

 

 唐突にフォックスが語り出した馬鹿げた可能性に、思わず鼻で笑ってしまう。


 そんなヤツがもしいたとしたら、世紀の大発見というやつだ。

 複数の生き物の声を同時に出せる魔物なんて、いるわけがない。


 あの大森林は元々魔物が大量に生息していて、別名"逢魔の森"とも言われている。

 そんな危険地帯だからか、どんな生き物が存在していて、どんな場所があるのかも未だ完全には把握しきれていない、謎の多い土地なのだ。

 だから確かに、どんな魔物がいたっておかしくはないけどな。


 しかし、フォックスはあまり納得のいっている様子ではないようで、


「何だかきな臭いんだよ。不気味な感じがするというか、なんというか」

「いいや、気にし過ぎだ。そもそも仮にその噂やお前の見立てが本当だとして、何かが起きてから動けばいいだけの話だろ? どうせあの森は駆け出しはおろか、ベテランのハンターでさえビビッて近付かない奴が多いんだ。それに近隣にある村だって、近隣つってもかなり距離が離れてるんだからさ」

「それはそうかもしれないが……その何かが起きたとして、もしそれが目撃者の手に負えない存在だとしたらどうする? 逃げきれず、犠牲になってしまったとしたら?  気付かない内に被害が拡大して、取り返しのつかない事態になるかもしれない」

「……つまり、何が言いたい?」

「調査に行こうと思ってる」


 それを聞いて、俺は「またか」とため息を吐く。


 この男、かなり正義感が強い人間なのだ。

 結構ドライと言えるハンター社会においてはかなり異質な存在で、見ず知らずの他人のことも常にこのように気に掛けるし、問題に対してやたらと首を突っ込みたがる。

 それ自体は別に『どうぞご自由に』という感想なんだが、今回のような件の場合は話が別だ。


 ディアロフト大森林は正真正銘バケモノの宝庫。

 

 それだけじゃない。

 さっきも言ったように、解明されていない謎の多い危険な場所なのだ。

 そんな場所に行けば、噂の真偽がどうのと言う前に魔物に貪り食われる可能性が高い。


「やめとけ、無謀が過ぎる。そもそも仲間にはなんて説明するつもりだ?」

「迷惑をかけるわけにはいかない。俺一人で行くさ」

「アホか。ただでさえ頭数揃えても危険な場所なんだぞ、それをわざわざ有利な点まで捨てて単身で向かうなんて、自殺志願者としか思えん」

「なら!」

「落ち着けよ、リーダー。お前は責任を持ってメンバーを預かる身だ。一人で暴走してどうなる? 最悪、お前が死んでメンバー全員が今後の道に迷うだけだ。悪いことは言わないからもう少し冷静に考えろ」

「………………確かにそう、だよな。悪い、少し熱くなりすぎた」

「はぁ……。お前は真面目で正義感がある。それは美点だ、誇っていい。けど、そうやって本分を見失う欠点だけは直した方がいいぜ」


 何故俺がここまで本気でフォックスを止めるのか。

 それは、さっき言ったこともあるが、それ以前にこいつの勘とやらが恐ろしいくらい当たる・・・・・・・・・・からだ。

 別に全部が全部を信じたわけじゃないが、万が一ということもある。


 もし今回も『そう』なんだとしたら、断言しよう。

──フォックスは遠くない内に、命を落とすことになる。


 それに、独断で調査に出向いて、よしんば何か手がかりを見つけたとする。

 けど、そんなことをしたってギルドから感謝の言葉や多少の謝礼はあれど、ロクな報酬は貰えやしない。

 ギルドがきちんとした報酬を払うのは、あくまで依頼を通して結果を出した時だけ。

 そんな状況でくたばってしまったら、ただの犬死にだ。

 なんてアホらしいんだ。まさに目も当てられない。


 そもそも、俺に言わせれば見ず知らずの他人の生き死になんて「どうでもいい」の一言に尽きる。


 ハンターは死と隣り合わせの危険な仕事。

 そんなことは子供だって知ってる事実だ。

 皆、それを承知の上でこの仕事を選んでる。覚悟がないとは言わせない。

 

 仮に件の森に出向いて、運悪くその謎の魔物とやらに遭遇。

 結果として命を散らすことになっても誰にも文句は言えないし、俺の知ったことではない。


 それにまだ噂の段階だ。

 別に何人も同じ体験をした奴がいるわけでもなく、勘違いの可能性もあれば、最初に俺が指摘した通り単なる縄張り争いの可能性だってある。

 

 フォックスにとって何がそんなに気掛かりなのかは知らないが、何にせよ今のところ大した脅威には思えない。


 ……なんて。

 長いこと理屈を並べ立ててはみたが、結局こんなのは俺が行動に移すにあたっての面倒臭さを昇華するための方便にすぎない。


「ったく、困った奴だぜ……」


 ポケットから煙草を取り出して、火を点ける。

 

 そして天井に向かってため息と共に煙を吐き出してから、目の前の心配性の友人に向き直った。


「そんなに気になるなら、俺が確かめに行ってやるよ」

「なっ……一人なんて危険だ! お前がさっき言ったことだろ!?」

「引き際は見極めてるさ。それに、どうせ並の魔物程度なら俺は倒せんよ」

「なら、せめて俺も一緒に行く! 二人なら互いのこともカバーし合えるはずだ」

「だから落ち着けって。俺はソロだ、最悪いなくなっても誰も困りゃしない。けどお前は? そうだな、死んだら困る奴も悲しむ奴もいる。分かったら大人しく待ってろ」

「だけど、この話をし始めたのは俺だ。なのにお前に面倒を押し付けるなんて、そんなこと……──いや、そうだな。ヴァニの強さはよく知ってる。俺なんかとは比べ物にならないことも。……すまないが、頼んでもいいか?」

「はっ、よろしい。任せたまえよ」


 俺はあえてふざけた口調で軽く笑って、フォックスと拳をぶつけ合った。

 こいつとの友情の証として、よくやるサインだ。


 確かに見知らぬ誰かが死のうと知ったこっちゃない。

 だが、親しい人間が死んだり傷付いたりして何も思わないほど、俺も無情ではない。

 なら、喜んで俺がそのリスクを引き受けてやるさ。


「けどな、ヴァニ。一つだけ間違ってることがあるぞ」

「あん?」

「お前が死んだって悲しむ奴はいる。もちろん俺もその一人だ。だからそんな寂しいこと、もう言うなよな」

「……へいへい」


 灰皿に煙草を押し付けて、火を消し。

 それから、湿っぽくなった空気を消すように手をパンと叩いた。


「さてと。んじゃ、この話は一旦お終いだ。今日のところは忘れて飲もうぜ。メシと酒は美味いモンに限るからな!」

「ああ、そうだな。よし、店員さん! ゴリアテポークの腸詰とエールのお代わりを二人前、いや、四人前頼む!」

「あ、今日お前の奢りな」

「…………は? 嘘、だよな……?」


 当然だろ。

 こんな話を聞かされた挙句、実働部隊として駆り出される迷惑料として、こいつにはそれくらいの義務がある。


 それから俺たちはさっきまでの話を忘れて、くだらない話で盛り上がりながら閉店間際まで酒を楽しんだ。

 

 ……もちろん奢りの件については冗談で許してやるはずもなく、きっちりフォックスには全額払わせたことをここに明言しておく。アイツは泣いてた。

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