第11話:「ハーラルドの不安」

《ハーラルド視点》


 ヴァニが魔物の群れに立ち向かったすぐ後で、ハーラルドはすぐに気を取り直してクリスティナたちに視線を向ける。

 彼女たちがもう戦える状態にないことは流石にハーラルドにも分かる。

 

「一体何が起きてやがるんだよ、ったく……」

 

 それから、立ち尽くしてガクガクと怯えるクリスティナを肩に担ぎ上げ、腰を抜かしてしまったマヤを小脇に抱え込む。

 いつもなら少し体が触れるだけで何か文句を言ってくるクリスティナも、今はただなすがままにされていた。

 未だに何かをぶつぶつと呟いてはいるが、ハーラルドに向けてのものではなかった。


 準備を終えたハーラルドは最後に、未だにヴァニを心配するように彼と森の奥を交互に見つめているフォックス、それからロイに向かって声を張り上げる。


「フォックス! ロイ坊! お前らもさっさとしろ!」

「あ、ああ……分かった……!」

「は、はい…………」


 言った後で、大声を出したせいで魔物の注意がこちらに向いてしまうかもと思ったハーラルドは慌てて魔物の群れの方を見るが、幸いなことにヴァニが宣言通りヘイトを買ってくれているおかげで、一匹としてハーラルドたちの方に意識を向けている魔物はいないようだ。


 五十は超える魔物の大群。

 それも、それぞれブラッドウルフなどとは比べ物にもならない強力な個体群を相手に獅子奮迅の死闘を繰り広げているヴァニの後ろ姿を見て、戦士としてその戦いぶりを目に焼き付けたいという欲求が一瞬、ハーラルドの気持ちを支配する。


 しかし、今はそれよりも仲間たちの安全が最優先だ。

 

 迷いを断ち切り、全力で走って逃げようとしたハーラルドだったが、ロイを連れて逃げようとするフォックスの足取りが覚束ないのを見て舌打ちを一つする。


 そして、


「何を迷ってやがる! お前は俺様たちの大将だろうがッ!!」 

「ッ!?」


 フォックスに向けて喝を入れた。


 先の感じから察するに、ヴァニが魔物の注意を一身に引き受けている今、自分がどれだけ叫んでも問題ないだろうと直感したからだ。

 

 思えば、彼に向かってこんなに声を荒げたのは初めてかもしれない。

 好戦的で、戦いのことになるとやや気性の荒いハーラルドだったが、実は本来の性格としては温厚そのものな人間なのだ。

 ただでさえ見た目で人に威圧感を与えるハーラルドとしては、自分が怒鳴るだけで他人を人一倍委縮させてしまうということを、自分自身が誰よりも一番理解していた。


 だが、今はそうせざるを得ない理由がハーラルドにはあった。


 自分たちを逃がすために独りで必死に戦ってくれているヴァニの決断を無為にすることは、戦士の覚悟を侮辱するという意味に他ならないのだから。


「覚悟を決めろ! 何のためにアイツは囮になってやがる! 全部、俺様たちのためだろうがッ!!」

「……すまない、お前の言う通りだ……!」


 その言葉に、フォックスはようやく顔を正面に固定して走り出す。


 そうして全員で死地からぐんぐんと遠ざかりながら、普段の様子が見る影もないほどに怯え切っているフォックスを見て、ハーラルドはまず真っ先に疑念の感情を抱いた。


 フォックスはいつも、頼りになる男だ。

 それに腕っぷしも立つ。


 若干優柔不断な面はあれど、肝心なときはいつだってパーティの指揮官として最適な指示と判断をしてくれていた。

 あまり頭の良くないハーラルドにとって、それは何よりもありがたいことだった。

 

 それが、今はどうした?


 ただ子供のように怯え、まともな思考すら儘ならないように見える。

 何より、守るべきもののためなら勇気を振り絞って行動するはずの彼が、恐怖に支配されてその勇気を出せない状況にいる。


 おかしいのは何も彼だけではない。


 いつも勝気さと自信に溢れているクリスティナも、好奇心旺盛でどんな困難も楽しむマヤも、ぶつくさ言いつつ、なんだかんだ何があっても最後まで全員を見守っているロイも。

 

 全員が今までに見たことないほどに怯え切っている。


(なんなんだよ、こんなの普通じゃねぇだろ! だが、畜生……。俺様にはいくら考えても、何でこんなことになってるのかさっぱり分からねぇ)


 確かに、ハーラルドもここに来るまでに嫌な予感はひしひしと感じていた。

 

 ベルセルクが"何か"と交戦し、魔物が無惨に殺されたあの現場において、異常な存在がいたことを匂わせる痕跡が残されているのも当然確認した。


 一匹でもそこそこ強い魔物たちが、我先にと逃げ出す異様な光景も目にした。


 とはいえ結局それだけだ。

 確かに驚きはしたが、ハーラルドにとってはそれ以上でも、以下でもない。

 だというのに……クリスティナ、ロイ、マヤ、挙句の果てにはフォックスまでもが何かを目にし、一様に恐怖に呑まれてしまった。


 その理由が、今ハーラルドが挙げたものの中に含まれていないことは明白だ。

 

 だが、ハーラルドには終始、怯えて逃げ惑う魔物の群れやスキンテイカーたちしか見えなかった。


 一体彼らは何を見たというのだろうか?


 思い返せば、ヴァニにもその姿は見えていないようだった。

 彼らに見えて、自分とヴァニにだけ見えない理由。

 その違いはなんなのかと考えようとするも、結局自分にそんな賢いことはできないと直感してすぐに思考をやめる。


 無事に帰れたら、皆にその理由とあそこで何を見たのかを聞こう。


 そこまで考えて、ハーラルドはふと思った。


 確かに、ヴァニのお陰で自分たちは脱出できるだろう。

 無論、道中で何にも出くわさなければという但し書き付きだが、あの異常な事態を見るに恐らく何者も自分達には構わないので大丈夫だと思う。

 

 だが、ヴァニはどうなるのだろうか?

 自分たちを逃がすため、殿しんがりを買って出たヴァニは?


 ギルドでヴァニが言っていた言葉を思い出す。


『俺は今日、あの森の奥の方まで探りに行くつもりだ。もしかしたらスキンテイカーとも出くわすかもな。お前たちとはそれなりに付き合いがあるし、だからこそはっきり言わせてもらうが……どうせ足手まといになるだけだぞ』


 あの時のヴァニの発言は、自分たちのやる気を焚きつけるためだと思っていた。

 なんなら、その通り心が燃えるのを感じた。

 強敵とのぶつかり合いこそがハーラルドにとって何よりの喜びだからだ。


 しかし、結果はどうだ?


 彼の言ったように、ハーラルドたちは予言通りの『お荷物』になってしまった。

 あの言葉は純粋に、こちらの身を案じて言ってくれたものだと今さらになって理解する。


 そしてその事実に、ハーラルドは悔しさと情けなさが怒りとなって胸の内を駆け巡るのを感じた。


 だが、それは今もこうして生きているからこそだ。

 この気持ちをバネに、力に、ハーラルドはこれから前に進めばいい。

 

 けれど、死んでしまった人間はそんなことを反省することさえできない。


 ヴァニの強さはフォックスから散々に聞かされている。

 実際、ハーラルドの目から見てもヴァニの纏うオーラは強者の持つそれだ。

 

 当然ランク的にも経験的にも、ヴァニはハーラルドより遥か高みにいるので正確な実力を推し量ることなど到底できないが、少なくとも並の魔物では相手にならないだろうし、もしかするとそれ以上の存在相手でもヴァニなら勝てるかもしれない。


 ただしそれは一対一、あるいはせめて複数体の場合だ。


 大森林へ向かう道中に話で聞いたスキンテイカーとサベージアーム。

 奴らの特性は"知"と"力"と対称的でありながら、レベルとしては同じくらいだろう。

 そして何より、本物を前にしてハーラルドは悟った。


 「ああ、今の自分ではこいつらには勝てない」と。


 単体でそれなのだ。

 あんな大群という規模、それも両種同時になんて、どれだけ無理な戦いかは考えるまでもない。


 あるいはヴァニなら、奴ら相手に生き残ることもできるかもしれないが……それでも五体満足でとは言えないだろう。

 むしろ仮に四肢や目のほとんどを失ってでも生還できれば、それだけで十分奇跡と言えるくらいだ。


 優秀な戦士を、自分たちのせいで死なせてもらうかもしれない。


 そんな不安を抱き、ハーラルドはヴァニに『絶対に後ろを見るな』と言われていたのを無視して、少しだけ振り向いてしまった。


 そして、


「なっ……! なんだ、ありゃあ……!?」


 異常に低い外気温よりも更に冷たい怖気が胃の辺りを突き抜ける感覚と共に、ハーラルドは慌てて顔を前に向けた。


(……お、オイオイオイオイ。なんだよアイツは!?)


 見てしまった・・・・・・


 今までフォックスたちが見ていて、自分とヴァニだけが見れなかったモノ。


──その正体を。


 何故、今になって見えたのかは終ぞ分からないが。


 幸い、既にある程度の距離が離れていたおかげで遠目だったこともある。

 加えてすぐに視線を前に戻したことも功を奏して、ハーラルドはパニックにならずにしっかりと走ることができた。


 だが、それでも。

 全身に、魂に刻み込まれた感覚はもう忘れることなどできない。

 

 ハーラルドは本能で理解してしまったのだ。


(……すまん、ヴァニ。アレ・・は俺様たちにはどうすることもできねぇ。だが、お前に繋いでもらったこの命、必ず無駄にしねぇと誓う!)


 あんな存在がヴァニの前にいる以上、もし運よくスキンテイカーたちを撃退できたとしても、どう足掻こうが彼の助かる道は無いのだと。

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