第10話:「伝播する恐怖」
大森林の奥深く、見えない暗がりから何かざわざわとした音が聞こえる。
それが無数の足音と悲鳴だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「チッ……」
「全員武器を構えろ! 恐らく敵が来る!」
俺が武器を抜くと同時、フォックスの掛け声で
「……ロイ?」
不安そうな声で隣に立つ少年に声を掛けたのは、マヤだった。
ロイは全身を遠目から見ても分かるほどに震わせながら、「ハッ……ハッ……カヒュッ」と浅い呼吸を繰り返しつつ、森の奥をじっと凝視している。
その顔は死人かと見間違える程に青白く、目は異常なほどに見開かれ、血走っていた。
どう見ても様子がおかしい。
だが、事態は一刻を争う状況だ。
「ロイ! 聞こえてるか!?」
「……………………」
「ロイ! しっかりして! どうしたの!?」
「あ……ぁぁぁ……あ……ぁあ!!」
焦ったフォックスの呼びかけにも、肩を揺らして必死に話しかけるマヤの声にも、ロイは応じられそうにない。
「一体どうしたというの……?」
こんな怯え方は見たことがないのだろう。
クリスティナが不安と心配の入り混じった表情でロイを見つめる。
「クソッ、ちとばかし手荒だが、許せよロイ坊!」
今から戦闘が始まるというときに、動揺はあってはならない。
ましてやそれが仲間にまで伝わるなど。
それを嫌ったのだろう。
ハーラルドが断りを入れて、ロイの横っ面を思いっきり引っ叩いた。
バチンと大きな音がして、愕然と無防備に立ち尽くしていたロイは横向けに倒れ込む。
それでようやく少しは正気を取り戻したのか、ロイは慌てて立ち上がり、仲間たちに視線を向ける。
それでも、時折森の奥の方へと目線を向けているが。
「み、皆さん……」
「話は後だ! ロイ、武器は構えられるか? もうすぐ何かが来る! それもかなりの数だ!」
「そんなことより逃げないと! あんなの……あんなの勝てっこありません!」
「逃げられるわけがないだろう! 奴らはじきにここに来る。今さら逃げたところで追いつかれるだけだ!」
「違います、
「いいから早く!」
「……っ! 分かり、分かりました……」
ロイが何に怯えているのかはよく分からないが、ここまでのやり取りで大分時間を消費してしまった。
震える手で弓を構えるロイから視線を森の奥の方へ戻すと、暗闇の奥にいくつもの赤や黄色に光る眼光が見え始めた。
「ガァァァッ! ゴァァアアッ!!」
「フシャァァァアアアッ!」
「キィィィィィィィイイイイ!」
何種類もの魔物が、一斉にこちらに向かって駆けてくる。
その様相は一言で表すなら"モンスターパニック"。
本来のそれと異なる点と言えば、モンスター側がパニック状態に陥っていることだろう。
奴らは
しかしその事態に考察を挟む余地もなく、第二波としてすぐに別の魔物群が姿を現した。
「ギィッ! ギィアア! ギャァァァアアッ!」
「ウオッ! ウオッ! ウオッ! ウオッ!」
「……マジかよ畜生」
現れたのは最悪なことに、現地に発つ前に話したスキンテイカーの大規模な群れ、更にはそれと同格のサベージアームというゴリラ型の魔物のこれまた大規模な集団。
だが、こいつらも騒ぎの元凶ではないようだ。
どうやら俺たちに出会う前から既に興奮しており、パニック状態になっているらしいことからそう判断できる。
さっきの奴らとは違って俺たちを明確に認識し、敵対視しているようだが、しきりに自分たちの後方を確認している。
この状況なら、これ以上の刺激を与えなければ運よく戦わずに済──いや、無理か。
「ハァ……ハァッ……」
ロイの状態が芳しくない。
ゆっくりと、奴らが見えなくなるまで後退るなんて呑気なことはしていられないだろう。
「フォックス」
「……ああ」
「【白翼の鷲】全員で、なるべく固まる様にして陣形を整えろ」
「それからどうする?」
「それだけだ。とにかく自分たちの身を守ることだけを考えればいい」
「お前は?」
「この状況見りゃ分かるだろ、誰かがやるしかねぇんだよ。んで……お前らは隙を見て逃げれそうなら逃げてくれ。そうすりゃ俺も後は適当にやる」
魔物の群れを威圧するようにゆっくりと前に出ながら、フォックスに小声で今後の動きを伝える。
フォックスも状況的にそれが最善の手だと理解したのだろう。
彼は「分かった」と短く返事をした。
そしてメンバーに指示を伝えようと首を動かして──
「……クリスティナ?」
「……あ……ああ…………何よ、何なのよあれは…………見てない、見てない、見てないから……! 嫌……お願い、私を見ないで……!!」
クソが。今度はクリスティナの番かよ。
クリスティナは意味不明なうわごとを呟きながら、頭を抱えて震え始めた。
どうにもスキンテイカーやサベージアームの集団を見てのパニックではなさそうだが、いかんせん情報が足りなすぎる。
もし交戦の最中に連中のヘイトが【白翼の鷲】に向いたら、彼女の魔法で牽制を入れてもらうつもりだったんだが……この様子じゃそれは期待はできなさそうだ。
「どうしよう、クリスティナまで────ひっ」
更に悪いことは続く。
仲間二人の異様な様子を見て不安そうに顔を俺たちへ向けたマヤが、小さく悲鳴を漏らして短刀を取り落とした。
直後、ぺたんとへたり込んでしまう。
微かな水音と一緒に漂ってくるこの臭いは……まぁ、そういうことなんだろう。
唯一無事なのは、フォックスとハーラルド──
「……フォックス?」
他の奴ら同様とまではいかないが、気付けばフォックスが小刻みに震え、その顔面が蒼白なものに変わっていた。
「……ヴァニ。
「それができる状況じゃないとさっきも言ったはずだ。……チッ、こうなったら数分だけでも連中が俺だけに注目するよう立ち回るから、お前らは動けなくなった奴を連れて全力で逃げろ」
「違う、違うんだよ。皆がこんなことになっている理由がよく分かった。あれは……あいつは、
何を言っているのか分からないが、フォックスは震える指で何かを差しながら必死に言葉を紡ぐ。
しかし生憎、俺の視界には今にも襲い掛かって来そうなスキンテイカーとサベージアームズ、それからフォックスたちしか存在しない。
確かに奴らもさっきからずっと後ろの方に注目しているが、そちらに目を凝らしても何も見えやしない。
だからこそこうして会話ができているわけなんだが、いつまでこの状態が続いてくれるかも分からない以上油断はできない。
これはもう、どうしようもないだろう。
全員が覚悟を決めた様子だったからこそ、ここまで一緒に来た。
全員が理性のある状態なら、多少ヤバい相手が出てきてもせめて自衛はできるだろうと考えていた。
だけど、こうなってしまってはもう立ち向かうことは不可能だ。
俺が
文字通り、死を賭して。
俺は一度だけ、ため息と深呼吸を交えた深い一息を吐く。
そして、仲間の様子に困惑はしつつもただ一人平気そうなハーラルドに指示を出す。……それから、一応フォックスにも。
「ハーラルド、クリスティナとマヤを抱えて全力で来た道を戻れ。後ろは振り返るな」
「お、おう。分かった」
「フォックス、お前はまだ多少動けるだろ。ロイを連れてなんとか逃げろ。時間は稼ぐ」
「駄目だヴァニ、お前も──」
「つべこべ言わずにさっさと行けッ!!」
奇跡的に保てていた拮抗状態もそろそろ限界のようだ。
スキンテイカー達は、奴らの後ろにいるらしい"何か"に怯えつつも、俺たちを殺すことに決めたようだ。
奴らが理性と本能の葛藤を終えて襲い掛かって来る直前、俺はフォックスたちにそう叫んで単身、魔物の群れに突っ込んだ。
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