第2話 堕ちた聖騎士

 この世界には、三つの大国がある。

 一つは、剣と魔法を使う人間の国、オーランド王国。もっとも領土が大きく、国王と各領地を治める有力貴族たちによる政治が行われている。ノエルは、その内の騎士の町ナイトランド領に、店を構えている。


 次に、武闘を得意とする獣人の国、ジュテ国。人間を遥かに凌駕する身体能力を備えた獣人は、獣の耳や尻尾が特徴的な種族であり、強い者が王となる。


 そして、強大な魔術と古代兵器を扱うエルフ族の国、リスダール王国。大陸一長寿なエルフの知識は、世界の歴史そのものと言われている。


 これら三国は、かつて大陸の覇権を争っていた。しかしある時期を境に、平和協定を結び、現在まで均衡を保っている。

 それは三百年前の【魔王大戦】である。人界を手に入れようと企む魔族の王バルハルトとの戦いで、三国は共闘関係となった。


 とくに、オーランド王国の勇者ユリウス、神官システィ、聖騎士ランスロット、ジュテ国の戦士イワン、リスダール王国の魔道姫リナリーの活躍は目覚ましく、彼らの戦いは後世に語り継がれている。


「ランスロット・アルベイト……」


 ノエルは驚いて、目の前の男に向かって呟いた。


 しかし、驚いた理由は、彼が魔王大戦の聖騎士と同じ名前、ということだけではなかった。魔王は見事、勇者たちの活躍により討ち倒されたのだが、その後、国家を揺るがす大事件が起こったのである。


 それは、聖騎士ランスロット・アルベイトによる【勇者殺し】だ。大戦、ランスロットは、勇者ユリウスに対する妬みや憎しみから、彼を惨殺したのである。


 ランスロットは人々から、【堕ちた聖騎士】と侮蔑され、栄誉も名声も失った。そして、大戦の英雄を殺害した罪はあまりにも重く、死罪ですら不足とされた。ランスロットに科された刑は、【常闇の刑】。魔王が生まれ出でた闇の世界に追放し、封印するという永久刑だ。


 そんな大罪人が自分の店に現れるはずがないと思いたいノエルだったが、彼はアンジュ・ルブランのことを婚約者と言った。当時、アンジュとランスロットの関係は密恋であり、そのことは、今となってはルブラン家の末裔であるノエルしか知らないはずだった。


 ランスロット本人を除いては。





「あ、あの、お客様! 本日はもしや、闇の世界からお越しに……?」


 ノエルはすっかりドキドキを失い、怯えながらランスロットに尋ねた。もし、本当に彼が闇の世界から戻ってきた、【堕ちた聖騎士】であるならば、非常に危険極まりない。


「闇の世界? アンジュ、何をつまらん冗談を言っている。俺は……。む、よく思い出せんな」


 ランスロットは何故だか戸惑った様子で、小首を傾げている。入店時の虚ろな表情といい、記憶や状況把握ができていない様子だ。


「だからあの、私はアンジュでは……!」


 ひとまず情報を整理しなければと、ノエルは声を大きくした。


 しかしその時――。

 バンッ、と乱暴にドアが開け放たれ、三人の男たちがズカズカと店に入って来たのだ。


「ノ~エ~ル~! 久しぶりだなぁ!」


 友好的な言葉ではあったが、声の主は、ノエルがまったく会いたくなかった人物だった。ナイトランド領主サーティスが、部下の騎士を引き連れて、店に乗り込んできたのである。


「サーティス様。お客様がいらっしゃるので、日を改めてくださいませんか?」


 ノエルはたいそう不快な気持ちを抑えつつ、サーティスに頭を下げた。今、サーティスと揉めている場合ではないからだ。

 しかし、当のサーティスは、あご髭を撫でながら吐き捨てるように笑った。


「ハッ! 客ぅ? オレの圧力が効いてねぇってんなら、この辺の騎士じゃなねぇな? 古くせぇ鎧だが、どこの田舎モンだぁ? どうせ金もねぇだろ。とっとと出て行け」


 ノエルは、サーティスの「圧力」という言葉に耳を疑った。

 気間違いでなければ、サーティスはこの店に人が寄り付かないように、町中の人々にプレッシャーを掛けていたということではないだろうか。だとしたら、サーティスは、意図的に店を廃業寸前に追い込んだことになる。


 しかし、今はそのことを追求できる状況ではない。


 サーティスは苛々とした様子で近くの椅子を蹴り倒し、ランスロットを威嚇すると、「チッ」と舌打ちをして見せた。サーティスは貴族だが、まるで品がなく、横暴だ。そして、逆らう者には容赦しない。


 だが、ランスロットは臆することなく、寧ろ静かに怒っているようだった。蒼い瞳を炎のように燃やし、サーティスを睨みつけている。


「貴様、何の要件でこの店に来た。客でないならば、出て行くべきは貴様の方だ」

「おいおい、無礼な奴だな。オレはナイトランドの領主様だぞぅ? 領民の潰れかけた店を畳ませてやって、自分の屋敷で使ってやろうっていう、優しい優しい領主様だっ!」


 サーティスは苛ついた声で喚き、力任せにノエルの腕を引っ掴む。


「おら、ノエル! 客も入らねぇような店は、オレが買い取ってやる。だから心置きなく、うちに来い」


「や、やめてください! お店は売りません!」


 こんな下衆な領主の思い通りにされるなんて、絶対に嫌だ! とノエルは泣きそうになりながら必死にもがく。しかし、大の男の力に十六歳の少女が敵うはずもなく、ノエルの身体はずるずると引きずられてしまう。


(助けて! 父さん、母さん! と、ノエルが心の中で叫んだ時、突如、サーティスの手がパッと離れた)


 そして、彼がドスンッと床に伏した衝撃が、遅れて伝わってきたのである。


「いってぇぇぇなぁぁぁっ! 何しやがる!」


 サーティスは、痛そうに左頬を押さえて床に這いつくばっていた。どうやら、ランスロットが彼を殴り飛ばしたらしく、目つきを鋭くして、サーティスを睨みつけている。


「下衆が! 彼女に触るな!」


 ランスロットは、サーティスに対して強い怒りを滲ませながら、ノエルを自分の後ろに下がらせる。

 だが、当のノエルはランスロットの広い背中を見て、自分がまたドキドキしていることに気がついた。ノエルをアンジュと勘違いしているとはいえ、自分を助けてくれた騎士が、とても逞しく、勇敢に映ったのだ。


(この人、とても大罪人とは思えない……! 王子様みたい……!)


「てんめぇ、いい度胸だなぁ、おい! 領主のオレ様に逆らったらどうなるか、教えてやる!」


 ノエルがときめいている間に、サーティスは痛そうに立ち上がり、部下二人に「いけ!」と指示を出した。

 すると部下たちは剣を抜き、勢いよくランスロットに襲いかかってきた。


「【サモンズアーム】! 晴天の槍!」


 ランスロットが召喚呪文を唱えると、右手に身長を優に超える長槍が現れた。


「遅いぞ、下郎ども!」


 ランスロットは槍を一閃させ、サーティスの部下たちをまとめて払い飛ばした。

 その一瞬の出来事に、ノエルは槍先の動きを捉えることもできなかった。なんという槍裁きだろう。


「うぉぉい! お前ら、瞬殺されてんじゃねえよ! 畜生!」


 サーティスは悔しそうに喚き、今度は自ら長剣を抜いた。煌びやかな、如何にも高級そうな代物で、「ぶっ殺してやる! 行くぞ!」とその剣を振り上げながら、側のテーブルをランスロットの方向に蹴り倒す。恐らく、ランスロットの障害になるように倒したのだろうが、この程度で彼は怯まなかった。 


 しかし――。


「くっ……!」


 ランスロットは、テーブル上から飛んだあるものを目で追っていた。

 スコーンである。サーティスが蹴り倒したテーブルには、ランスロットが注文したスコーンが一つ残っていたのだ。


「ぎゃははっ! 馬鹿めぇ!」


 その隙をサーティスは見逃さず、長剣がランスロットに迫った。


「危ない!」


 ノエルが叫ぶと同時に、晴天の槍がサーティスの右肩を貫いていた。


「ぎゃあああっ! 痛てぇぇぇ!」

「馬鹿は貴様だったな」


 ランスロットは素早く槍を引き戻すと、肩の痛みに絶叫しているサーティスを強く蹴り飛ばした。そして、左手でスコーンを受け止め、ホッとした表情を浮かべる。


「なんて強さなの……」


 ノエルは思わず感嘆の息を飲み、ランスロットに見とれてしまった。

 一方のランスロットは、スコーンを片手にサーティスと部下たちが気絶していることを確認して回っている。なんと不思議な光景だろう。


「助けていただいて、ありがとうございました!」


 ノエルはランスロットに駆け寄り、ぺこりと頭を下げた。

 すると、ランスロットは柔らかい笑みを浮かべながらノエルの頭を撫でた。先程まで、サーティスに向けていた険しい表情とは大違いだ。


「騎士である前に、大切な人を守ることは男として当然のことだ」

「あの、だから私は……!」

「しかし、この下衆どものせいで店を荒らしてしまったな。すまない」


 ランスロットは、ノエルの言葉を遮り、壊れたテーブルや椅子、柱などを見回していた。


「いいんです! サーティスをぶっ飛ばしてくれて、スッキリしましたから。どうか謝らないでください! でもこうなっては、ナイトランドに居続けることは無理ですし、どこか別の土地に行かないと……」


 やはり、店を畳むほかないようだ、とノエルは言葉とは裏腹に泣きそうになっていた。

 一族が代々守ってきたベーカリーカフェルブラン。家族との思い出の場所。お客の笑顔。様々な想いの詰まったこの店を、畳まなければならない。

 今となっては自分の実力不足か、サーティスの圧力のせいかは分からないが、お客も来ていなかった。自分が一人で店をやっても、誰も笑顔にすることができなかった。だから、店を閉じることも受け入れるほかない……。


「仕方ない……です。だって、私一人では、そもそも上手くいってなかったですし!」


 ノエルは自分を納得させるために、強い口調で言った。

 しかし、その苦しげな言葉にランスロットは首を横に振った。


「お前の料理は美味い。客の心に寄り添っている。このスコーンは、俺の心に熱を与えてくれたんだ」


 ランスロットは左手のスコーンを一口かじり、笑ってみせた。


「この土地に留まることはできないかもしれないが、店を畳むことは俺が許さん! ……外に下衆どもが乗ってきた馬車があるはずだ。それを奪って、領地を脱出するぞ」

「馬車を奪って、脱出? 待って、どういうことですか? 私がサーティスの馬車を奪って、えっと……」

「ベーカリーカフェルブランは、お前と俺で続ける。二人で、他所の土地へ行くぞ」

「ふ、二人で?」


 ノエルは突然の提案に困惑し、ただおろおろするしかなかった。まったく、理解が追いつかない。

 サーティスに逆らったからには、急いで逃げる必要がある。しかし、まだ正体のよく分からない男と二人で逃走というのは、正直不安しかない。


「急げ! 必要な物を馬車に積むぞ! 領主が目覚める前に発つ」

「う……。うぅぅ~! 分かりました!」


 ランスロットの大声に急かされ、ノエルは意を決して頷いた。


(えぇい! 細かいことは後よ! このままサーティスに捕まるくらいなら、今は逃げた方がマシ!)


 ノエルの中には漠然とした不安もあったが、どこか嬉しい気持ちもくすぶっていた。

 ランスロットが、料理を美味しいと言ってくれたこと。店を続けようと言ってくれたこと。笑顔を向けてくれたこと。

 ノエルは、得体の知れない不思議な騎士によって、失いかけていた自信を少し取り戻せたような気がしたのである。


「行くぞ! いいか?」

「はい!」


 ノエルは、馬車に最低限の料理道具とブルーベリーの鉢植えを積み込み、ランスロットに返事を返した。


 そしてランスロットが馬に鞭を打つと、店はどんどん小さくなっていく。


(父さん、母さん、ご先祖様! ベーカリーカフェ ルブランの意志は、私が持っていきます!)

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