堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜

ゆちば@「できそこない魔女」漫画原作

第1話 紅茶とスコーン

 暗くて深い闇の底で、男は静かに目を閉じていた。長い時間、いつからそうしていたのか分からない。なぜ自分がここに居るのかも、もう思い出すことができない。

 しかしある時、懐かしく温かい声が聞こえた。


「ランスロット……。私、待っています。ずっと」

「誰だ、俺の名を呼ぶのは?」


 聞き覚えはあるが、誰の声が分からなかった。


 男は、もがくように足を動かし、その声を追って走り出した。


 声の主は、とても大切な人だった気がしたが、思い出す間さえ惜しかった。とにかく、行かねばならないと思ったのだ。


 そして男は、闇の中に浮かぶ、古びたドアにたどり着いた。


「この先に、いるのか?」


 男がドアを開けると、カランカランとベルが鳴り、一人の少女の声が響いた。


「い、いらっしゃいませ!」


 ***


 ルブランは、剣と魔法の国オーランド王国のナイトランド領にあるベーカリーカフェである。

 ノエル・ルブランは、そこの魔法料理人。十六歳の若き女店主であるが、店は閑古鳥が鳴いていた。


 かつてはモーニング、ランチ、ティータイムのどの時間も、香ばしいパンと食欲を唆る料理の香りで満ちていた。穏やかに笑う父マルクと、くるくるとよく働くノエルの二人で、慎ましくも楽しい日々を送っていたのだ。


 だが半年前、父は流行り病で亡くなってしまった。ひとり残されたノエルは、思い出の詰まった店を守るために店を継いだのだが、客足はどんどん遠のいており、ここ一か月に至っては、誰一人として訪れなかった。つまり、廃業寸前の店なのである。


 もちろん、ノエルは試行錯誤した。一人で店を回すのは難しいが、従業員を雇う余裕はなかったため、営業時間をランチとティータイムに減らした。そしてメニューの種類は、人気なパンと食事のみに絞り、提供時間を早く出来るようにした。


「ルブラン家の味は、私がしっかり受け継いでますから!」


 そう、ノエルは自信を持って料理を客に振舞った。

 それは、父を亡くした悲しみから、自分を鼓舞するためだけではない。本当に料理には自信があった。事実、マルクの存命中もキッチンを任されていたことが多く、父の料理と比べて劣ることはないと思っていたのだ。


 だが、今日という日も客は来ない。ノエルは、客が座るはずの椅子にぽつんと腰掛け、テーブルに突っ伏していた。


「なんで……。なんで、誰も来てくれないの? 味は落ちてないはずなのに。 常連さんまで寄り付かなくなっちゃったし」


 ビラ配りや新メニューの考案、値下げなど、もう思うつく限りは試したが、効果はなかった。このままでは貯蓄も底を尽き、店の存続どころか、ノエル自身の生活も成り立たなくなるのは時間の問題だろう。

 ミルクティー色のポニーテールがだらりと顔に垂れてきたが、ノエルはそれを払う気力すらない。


(父さん、ごめんね。私、お店を守れないよ)


 父は、三百年続く店を誇りにしていた。初代店主のアンジュ・ルブランの店と、レシピを守っていくのだと、口癖のように言っていたのだ。ノエルにとって、遠い遠いご先祖様の存在はピンときてはいなかったが、父と過ごしたベーカリーカフェ ルブランを愛する気持ちは同じだった。


 だからこそ、悔しかった。

 ノエルは、数ヶ月前から、「店を売って、屋敷の専属料理人になれ」と、ナイトランド領主のサーティスから迫られていた。

 サーティスは三十代半ばの腕の立つ騎士であり、武力と財力によって、すべてを思うがままにしてきた男である。彼の命令を跳ね除けるため、ノエルは店で奮闘したものの、最早店を売る選択肢しか残されていない状況に追い詰められてしまっていた。

 サーティスは、若い女を金で買っているという噂もある。ノエルの料理など、二の次かもしれないことは、彼の言葉の節々から滲み出ており、ノエルはとてもではないが、命令に従うなんて御免だった。


 次にサーティスが店を訪れた時が、自分が自由を失う時だろうか。考えたくもないが、一人では逃げることもできないだろう。

 ノエルは悲観的なため息をつくと、「ティータイム営業中」の看板を下げに行こうと、のろのろと立ち上がった。


 しかし、同時に、店のドアがゆっくりと開いた。


 カランカランとベルが明るい音を鳴らし、一人の騎士と思しき男が入ってきた。サーティスではない。この辺りでは見ない端正な顔立ちで、金の髪に蒼い瞳をした男だ。古臭いデザインの鎧を軋ませながら、落ち着きなく店内を見回しているが、取り分け目を惹くのは、男の身体中に何本も巻きついている銀色の鎖だった。


(変な鎖……。ファッションかしら。とても重たそうだけど)


 奇妙な格好ではあるが、久々の客には違いないと、ノエルは慌てて男に駆け寄り声を掛けた。


「い、いらっしゃいませ!」

「ここは……?」


 男は、低くよく響く声で言った。生気がなく、虚ろな目をしている。


「ベーカリーカフェ、なんですけど、今はティータイムです。甘いものならすぐ出せますよ!」


 ノエルは、何だか不思議な男とはいえ、久々の客に胸が弾み、にこにこしながら黒板のメニューを指差した。

 メニューは、ルブラン自慢のフルーツサンドにスコーン、日替わりケーキ。そして紅茶を数種類の中から選べるようにしていた。


「スコーン……。スコーンを貰えるか?」

「はい! かしこまりました! 紅茶もお付けしましょうか?」

「頼む。ミルクティーにしてくれ」


 メニューの文字を見た途端、男は考え込むような表情を浮かべた。何かを必死に思い出そうとしているような顔だった。


(かっこいいけど、不思議な雰囲気の人ね。ナイトランドの騎士じゃなさそう。まぁ、お客様の事情には突っ込まないけど)


 ノエルは男のことが気になったものの、すぐにキッチンに足を向け、ポットに水を入れた。

 ベーカリーカフェルブランのスコーンは、緑の里ロンダルク領の農家から取り寄せたソレイユ小麦を使っている。それは、普通の小麦と比べると、スコーンのザクザク感が段違いに良いのである。

 また、スコーンに合わせるジャムは、店で自家栽培しているブルーベリーから丁寧に手作りしており、かつて常連客からは町一番のジャムと言われていたものだ。


(初代のレシピだから、ご先祖様に感謝しないとね!)


 ノエルはご機嫌に微笑むと、パンやケーキを並べているショーケースからスコーンを二つ取り出し、炎の精霊に命じた。


「親愛なる炎の精よ。我に力を貸したまえ――」


 すると赤く小さな光の球が、ポッとスコーンに入り込んでいく。


 ノエルは【魔法料理人】――、火水土風の四精霊の力を操り料理を作る。攻撃魔法ほどの威力はないが、繊細で丁寧な作業に向いた魔法を使うことができる、ルブラン家に受け継がれている特殊な職業である。

 精霊の役割は多岐に渡るのだが、作業の効率化はもちろん、食材との対話を媒介してくれるため、より美味しい料理を作ることが可能なのである。


 そんな炎の精霊によって、こんがりとちょうどいい焼き加減となったスコーンからは、香ばしい香りが漂ってきた。続けて紅茶の準備も整い、ふわりと温かい空気が満ちる。


 あのお客様は、熱いのが苦手そうだから、これくらいの温かさがいいかな。甘党そうだから、ジャムは多めにサービスしとこ。


 すべて憶測に過ぎなかったが、男の顔を見て、ノエルはスコーンセットの内容に変更を加えた。不思議な客だからこそ、とびきり美味しいいと言わしめたい気持ちになったのだ。


「お待たせ致しました。《ルブランスコーンとミルクティー》です」


 ノエルは、静かに男の前にスコーンと紅茶のカップを置いた。

 男は依然として虚ろな目をしていたが、その香りには感じるものがあったらしく、すぐにミルクティーのカップに口をつけた。


「これは、月光花の紅茶か……?」

「よくご存知ですね! もう栽培されていない茶葉なので、手に入らなくて。うちもストック品を使っている状態なんです。でも、このスコーンには一番合うお茶です」

「月光花がない……?」


 男は不可解な表情のまま、今度はスコーンに手を伸ばす。そしてノエルの予想通り、たっぷりのブルーベリージャムを付け、ぱくりと口に運んでいる。


「ん……! これは!」


 その途端、男の蒼い瞳に光が宿り、同時にノエルの操る精霊たちが騒めいた。今にも暴れ出しそうな勢いで、男の周囲に集まっているのだ。


「え! ちょっと、落ち着いて!」


 ノエルは、驚いて精霊たちを鎮めた。しかし男は、俯いたまま、頭を抱えて小刻みに震えている。どう見ても様子がおかしく、ノエルは、自分が作ったスコーンの味が悪かったのだろうかと、不安に駆られた。


「お、お客様……。もしかしてお口に合いませんでした?」


 ノエルが恐る恐る男の顔を覗き込み、彼の肩に触れると――。



 ピキピキピキィィィッと、男の鎖の一本が光を放ち、砕け散ったのだ。


「きゃっ! な、なに?」


 砕けた銀の鎖は空中で光となって霧散し、男の胸へと吸い込まれていった。


 その不思議な光景にノエルは驚いて、思わず数歩後退る。

 しかし、そんなノエルを逃がすまいとするかのように、男は突然立ち上がり、ノエルの身体をぎゅっと抱きしめたのである。


「えぇっ! あの、お客様?」

「美味い! 思い出したぞ! お前のスコーンの味を……。お前のことを」


 ノエルは突然の抱擁に驚き、男を無理矢理突き飛ばそうとした。

 しかし、男の顔を見て、手を止めた。男は涙を流していたのである。


「会いたかったぞ、アンジュ。俺はどれほど留守にしていたのか分からんが、寂しい想いをしていたのではないか? 」

「お客様、ま、待ってください! 私は……!」


(近い! 顔が近すぎる!)


 ノエルは男の泣き顔に、思わずドキドキしてしまった。普通なら、突然見ず知らずの男に触れられることは、嫌悪しかないのだが、十六年の人生で、これほど美しい男性に抱きしめられたことなどない。


 加えて、なぜか不思議と、この男からは懐かしいような温もりが感じられたのである。


 そして、男の涙がノエルの頬にぽたりと垂れ落ち、つうっと流れた。


「どうした、アンジュ?」


 男は困惑した様子だったが、もちろんノエルも同じである。とりあえず、少し男と距離を取り、ノエルは小さく息をついた。


「私はノエル、この店の店主です。でもこのスコーンは、私のご先祖様、アンジュが考えたものです」

「ご先祖だと? 馬鹿な! その姿、その声でお前がアンジュでないなど……。そんなはずは……」


 男は悲しそうに、愛おしそうにノエルを見つめていた。その視線にノエルは、胸がぎゅっと苦しくなった。


 よく分からないが、この男性はノエルのことをアンジュという女性と間違えているようだ。

 しかし、ノエルが心当たりのあるアンジュは、この店――ベーカリーカフェルブランの初代店主しかいない。そして彼女は、とうの昔に亡くなっている。


「お客様、失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」


 ノエルは心がざわつき、おずおずと男に尋ねた。

 それは、父から聞かされていた、一族のお伽話のような話を思い出したからである。


 三百年前、アンジュ・ルブランには生涯ただ一人愛した男性がいた。しかし、男性は国家を揺るがす大罪を犯し、闇の世界に追放されたのだ。その男の名は――。





「ランスロット。ランスロット・アルベイト。お前の婚約者の名だ」


 ランスロットの右手が、ノエルの頬を優しく撫でた。

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