もう戻って来られないけど過去に行けるボタンあったら押す?

茅花

35年前に行くんだが持って行った方が良いもの教えろください

六月末日


 掲示板にスレッドを立てるなんて初めてのことだった。だいたいにして書き込み自体をしたことがないのに、なんて大それたことをしようとしているのだろう。恐る恐るエンターキーの上に指を乗せてから彼此かれこれ3分以上は過ぎていて「やめるなら今だぞ」「押したら戻れないぞ」と、そんな自分の声も聞こえてきていた。



 戻れないんだぞ。



 ―――わかっている。でも進むって決めたんだ。大きな意味で見た時に座標上では戻るのかもしれないけれど。ええい、ややっこしい!


 何度も何度も躊躇ためらった末にエンターキーを“タンッ!”と押した。



【 35年前に行くんだけど、持って行った方が良いものがあったら教えて 】



 どうせもう一ヶ月もすればどんな反応だろうと僕には聞こえてこなくなる。そう開き直れば強気になれた。その割に自分の手はバクバク鳴っている心臓を押さえている。


 そして思っていたよりも反応が早い。一分もせずにスレッドは動き始めたのだから、待った時間は迷っていた時間よりも短かった。なんだかホッとしている自分が不思議になる。もうどうにでもなればいい。



[>1オツ]

[1ゲト]

[嘘やめろ]

[>3 マジレスやめろ]



 次々と人が集まってくることに空恐ろしさを感じる。それなのに心強さもわずかにあった。勇者が仲間を探すのはこんな気持ちなのだろうか。僕は味方が来てくれるのを待っている。


[いつから行くんだ?]

[レトルトカレー]

[カップの焼きそば]

[餅]

[食い物ばっかりかよw]

[35年前ってドンキあったっけ?]

【8月1日】

【それまでこのスレを落とさないでいて欲しいんだ】

【カレーと焼きそばは考えてた】

[35年前でも売ってると思うんだ]

【餅なwありがとう持ってくはww】



[去年そんなスレ立ててた香具師ヤシいたよな。あの時の1か?]


 


 他愛のないキャッチボールにようやく落ち着いたかと思っていた心臓だったが、今度は音を立てて跳ね上がる。



 憶えている人がいた―――――。


 こんなに早く現れるなんて思っていなかった。息を飲む音と脈拍の音で体の中が騒々しい。鎮まれ心臓、控えろう。


[俺もそれかと思った]

[ワイもそのスレにいたで。募集してたんじゃなかったか?]

[あったあった]

[してた!]

[kwsk]

[思い出した、1すぐいなくなっちゃったやつ]

[去年の今日じゃなかったか?]

[今くらいだったのは確か]


 盛り上がっているところに水を差すのは気が引けたが僕は震える指で文字を打ち込んだ。


【あの時の1は俺じゃない】


 声に出していたなら震えていただろう。自分しかいない部屋に居てキーボードを叩く手ですらこんなにも震えている。閲覧人数が表示される機能になんか気が付かなければ良かった。まだ3桁にも満たないのに緊張で気絶でもしてしまいそうだ。


[イッチ、レイシフトすんのか?]

【そうだ。俺の話を聞いてもらえるか?】

【俺はあのスレの1に会ったんだ】

[聞きたい]

[あくしろよ]

 

 返事は色々だったが話し始めることにした。あの時の1にも許可は取ってある。

 

 彼らの言う通り、ちょうど去年の今頃のことだ。日付は憶えていないが梅雨の終わりが近づいていた。暑くなってきたので何日か前からエアコンを使い始めた頃だった。

 有名なその掲示板を覗いたのはそれが初めてではなかった。入り浸ったりしたことはないし、まとめと呼ばれるものとの違いもよく知らなかったくらいだ。今だってよく知らない。その日は確か土曜日だったから夜更かししていたと思う。面白いネタでやり取りしているスレッドがあって、それを眺めていた。


[俺が空を見上げて「バカな、早すぎる・・」って呟くじゃん?]

[そしたら俺が「ついに来たか」って言う]

[屋上から私が「あいつら皆ケンカっ早いんだから」って呆れる]

[老いぼれの俺が「ガキはすっこんでろ。これは俺の仕事だ!」ってお前の肩に手を置く]


といった具合に、いつまで待っても始まりそうにない物語を楽しんでいた。日付の変わる頃、名残り惜しくはあったが間延びしてきたところで見切りをつけた。パソコンを閉じてもまだ眠れそうもなくてスマートフォンを手に持ったまま寝転んだ。


≪ 35年前に行けるけど、もう戻って来られないボタンがあったら押す? ≫


 そんな言葉スレタイが目に留まった。引き付けられたと言うべきか。気が付いたら首を突っ込んでいた。 


【ちな月収、固定で手取り30万。死ぬまでずっと同じ】


[え、闇?]

[アカンやつや]

[何すんの?]


【行ってもらうだけ。好きに過ごして良いよ】


[どうやって払うの?]

【それは会って説明する】

[怪しさしかないんだよなあ]



 危ないな。とても胡散臭い。そう思うのに何故かとても心が惹かれたのを憶えている。金額や待遇に興味があったわけではない。非現実的さが面白いと思ったが会話に混ざるようなことはしなかった。一線を引いていた部分もあるが、僕が感じるような凡庸な疑問は誰かが代わりに質問してくれていたからだ。それに対してスレ主からの明確な回答があったわけでもないが特段気にはならなかった。


[そんなスレ探しても何処にもないぞ]

[嘘マツ]

[だからマジレスやめろや]

[マジで出てこない。俺絶対見たのに]



 それはそうだ、その1が削除したのだから。ということは黙っておこうか。あの時はすぐに「その頃に戻ったら何をするか」という話題で盛り上がり始めて、いつの間にか1は姿を消していた。僕と同じように会話に入らなかっただけで眺めてはいたらしい。


[1は35年前に戻って何がしたいんだ?]


【それをこれから話すよ】

【あと、戻るっつっても俺その頃まだ生まれてないんだ】

[盛り上がってまいりました]

【おまえら、あのスレで話したこと憶えてるか?】


 おまえら、という呼び方を実は気に入ってた。まさか自分が呼びかける日が来るなんて思わなかったからワクワクしている。


[おまえらって不思議な言葉だよな]

[そのスレで話したおまえらと今ここを見てるおまえらって違うんだもんな]


 そんな会話を見て「なるほど」と考えたことがある。僕は会話に参加したりはしないけれど、ここでの一期一会は見ているだけでも十分に面白い。


[>1はあの1とどうやって連絡取ったんだ?]

【すまん、それは言えないんだ。約束でな】

[ほんとっぽくなってきたな]

[イッチ、続けて]


 はっきり言ってしまえるのであれば、その人物とはもっと以前から面識があった。要するに僕の知り合いが立てたスレッドで、僕自身そのことを知らされたのはスレを見た半年も後なのだ。


 これから話すのは今から半年前、もうそんなスレッドに立ち会ったこともすっかり忘れていた頃のことだ。



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