第49話

「それで、ガイア理論がどうしたと言うのですか」


 口を開けて放心する私をよそに、菅原さんはアーサーに向き直った。

 アーサーは軽く振り返ると、私と菅原さんを見てにんまり笑った。


「それ、正解」


「……は?」


 今度の声は菅原さんのものだった。

 私はと言うと、何についてが正解なのかすらわからず首をひねっていた。


「人間達の中じゃ数ある理論の中の一つ……っていうか考え方の一つみたいだけど。正解なんだよ。可能性の一つじゃなくてたった一つの真実なの。地球は一個体の生き物さ」


 グラス越しの菅原さんの目がこれでもかと見開かれた。私の口は間抜けに開いた。

 ただ一人、状況を理解しているアーサーだけが、してやったりと笑顔で笑っていた。


「いい顔!この顔見れただけで話した甲斐があったなあ!」


「笑っていないで話を続けてくれませんか。どういうことです。……ガイア理論が正解だと?」


「そうだよ。地球は一つの生命体。と言って君たちが想像するような有機生命体じゃないし、いわゆる意思とか自意識みたいなのは存在しないけどね」


 アーサーが肩越しに指を突き出した。真っ直ぐ立った人差し指は何も指し示していない……と思ったのに、直後にその場所にミニチュアの地球が出現した。


 相変わらず主線がネオンサインのごとくぴかぴか光っている。あまり厳密に描かれたものではなく、子供の落書きと言って良い適当さ。

 太い線で欠かれた日本列島が、無残に潰れてただの点になっていた。


「地球にあるのはただ生存の欲求だけ。自己を存続させたい。生命として勢力を増したい。消滅したくない。増殖したい。生き延びたい。欲求というのも不適切なぐらいの、生物としての始原的な行動だよ。単細胞生物を想像したら一番近いんじゃないかな?」


 アーサーの語るその欲求は、確かに単細胞生物らしい短絡さに見えた。


 私は思わず自分の足元を見下ろした。と言って今ここにあるのはただひたすら続く暗闇だけ……ここがどこなのか、地球なのかすらわからない。


 今アーサーに単細胞生物と評された私たちの故郷、地球は、どこにも見当たらない。

 それでも見下ろさずにはいられなかった。


 自分が日々暮らしている大地、地球……それが一個体の生命、だって?


「……その始原的な欲求しか備えていない地球が、どうして生命にとって好都合ともいえる環境を作り上げたのですか。自己の存続だけを考えるなら無駄なエネルギーの浪費では?」


「何言ってるのさ。増殖したいって言ったでしょ。自分の複製体を作ろうと行動するなんて生物として至極自然な行動じゃない。現存の地球本体はいずれ太陽の膨張に飲み込まれて消滅するんだし」


「太陽の膨張に地球が飲み込まれるのは五十億年後と言われていますが」


「だから?地球が生まれて四十六億年だよ?地球の尺度から見たら、五十億年後なんて手が届く未来じゃない」


 頭がくらくらしてきた。何十億年とか太陽の膨張とか、地球の消滅とか。普段目にしないスケールの話ばかりされて頭の回路がショートしている。


 出来の悪いSF映画みたいな話の展開についていけず、私は頭を抱えて唸るしかできない。

 おかげで専ら話をしているのは菅原さんとアーサーだけだった。


「地球にとって消滅が卑近な危機というのはわかりましたが。やはり納得できませんね。生物圏の構築が自己の存続に資する行為だと?」


「そうだよー。だって事実、生物圏の構築は今この未来を連れてきただろう?二十九億年前の光合成生物の発生とそれに伴う酸素濃度の増加。好気性生物の増殖。オゾン層の形成……太陽から届く放射能の影響が軽減して、地上に生物が進出できるようになり、やがてはそれが君たち人類に繋がった」


「……そう、ですが。人類の発生がいったい何に」


「うん?だってほら、君たち宇宙進出とかしちゃってるじゃない。テラフォーミングだのバイオスフィア研究だの人工衛星だの宇宙基地だのロケットだの。それって宇宙空間に地球の複製体を作る行為と変わらないよね?」


「な」


「人類が生きられるよう調節された空間を地球外に作る。それは地球の複製体でしょ。いずれ消滅が運命づけられている本体ではなく、新たに創出した自己の複製体に未来を託す。生命の普遍的な増殖行為じゃないか。人間もよくやってるよね?自己の情報を半分受け継ぐ遺伝的複製体を作ってさ」


「……家族の。子供のことを言っているのですか」


「もちろん。遺伝子の類似性で繋がる家族共同体はいい仕組みだよね。より多くの自己の情報を後世に残す。そのために必然的に構築された本能的で合理的なシステムだよ」


「……」


「ああ、そう考えると君たち人類は地球の遺伝子機能として発達したともいえるのかな。地球本体から散布されて新たな地球複製体を創造する、そのための情報の保存・集積庫。うん。人類は地球のDNAってところじゃない?」


 さしもの菅原さんも沈黙していた。

 私は途中から完全にギブアップしていて、アーサーがしゃべるのをただただ聞いていた。


 人間が地球の遺伝子役だとか、地球の複製体だとか、もう何がなにやらわからない。


 自分のこと……そして人間全体を地球の機能の一部として語られるのもなんだか気持ち悪くてざわざわする。


 人間個人の個性や人格、そんなものは押し並べて無意味で無価値だといわれているようで、どうにも座りが悪かった。

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