第45話
疑問のままに、アーサーを問い詰めようとした時だった。
「ひっ……!」
「ユキ!」
アルが私を抱きしめた。それでも震えが止まらない。歯の根が合わずがちがちと不愉快な音が鳴り響く。
怖い。
理解や納得よりも先に、本能的な恐怖が去来した。
怖い。恐ろしい。ここに居たくない。
何が起こっているのかもわからぬまま、その感情だけが湧き上がる。
体中を小刻みに揺らして全身から冷や汗を出しながら、私はひたすら震えていた。
「ユキ、ユキ!しっかりして!」
アルの声が遠く響く。だけど無理だ。ここに居たくない。逃げ出したい。そして、それと同時にわかる。
逃げ場がない。
どうしようもない。私はどこにもいけない。この恐怖から逃れる術はなく、ただここで震えて待つしかないのだ。
ぱちん。
何かを弾く音が響いたと同時、急速に恐怖が霧散した。
いや、未だに怖いのだけれど、先ほどのような錯乱状態からは脱した。
顔をあげれば、私の肩をしっかりと抱いたアルが顔を覗き込んでいる。
私の顔色が普通になったのを悟ってか、アルはほっとした様子で私を強く抱きしめた。
「よかった……!」
心から安堵した声音だった。アルのその声を聴いていたらわずかに残った恐怖心も消えてしまった。
ぼうっと宙に浮いたような心地のまま、アルの背中を二度三度撫でる。
アルは一層縋りつくように私にすり寄った。
「はいはい。お熱いことで何よりだけど、状況何も改善してないからねー」
呆れた様子で私たちを見るアーサー。
先ほど急に平気になったのはアーサーのお陰だろうか。
私の不思議そうな視線に気づいたのか、アーサーがにやりと笑った。
「ま、俺は人間の精神体への干渉に特化した個体ですからね。ほんのちょびっと君の内面に立ち入って、恐怖心を書き換えてきたってわけ……怒るなよ魔王!この場凌ぎの応急処置だし、それ以外何もしてないってば!」
威嚇するように睨むアルと、辟易した顔で言い返すアーサー。
アルの怒りはそれでもやまず、辺りの砂や小石が力に反応して浮き上がっていた。
「ああもう!そうでもしなきゃこの後の話進められないだろ!不可避の絶滅に対する本能からの恐怖なんて、俺の干渉でもなきゃ除去は不可能だよ。お前、最期に話せなくてもいいってのか?」
「え?」
最期?
アーサーの言葉で、ようやくアルの力が止まった。
辺りに小石やら木の枝やらが落ちる音がする。
「ねえ。さっきから、これは何なの?爆発が起こったり、訳も分からないのに怖くて動けなくなったり……それに最期、って?どういうこと?何が起こってるの?」
アーサーがちらりと私を見て……しかし彼は私に何も言わなかった。
ただ平坦な口調で、魔王、とアルに呼びかけた。
アルの方はすでにアーサーを視界にいれていなかった。紅蓮の瞳が私だけを映す。
「ユキ。あのね……ユキは生きたい?」
「え?い、生きたい?」
「うん。生存したい?今のユキのままで、今のユキの形を保ったまま、ユキという生物の概念を満たしたままで。完全な形での生存を臨む?それとも一部欠けてもいい?」
「ま、待って待って!?生存?完全って、一部欠けるって何!?なんでこんな質問を」
「答えて」
アルが私の言葉を遮った。
こんな強い口調で言い切られるのは初めての経験だった。
アルの瞳が私を射抜いている。怖いくらい真剣な瞳。
唇がわなないた。うまく動かないそこを無理やり動かして、質問に答える。
「完全……って言うのが何かはわからないけれど。生きたい。そりゃもちろん生きたいよ。死ぬのは怖い。怖くて怖くて仕方ない。私、まだ死にたくない。それに生きていくって言うなら、何も失ったりしない今の私のままがいい……」
アルは静かに聞いていた。赤色の瞳は少しも揺らぐことがなかった。
最後まで私の言葉を聞いて、アルはそっと目を伏せる。
瞼の端から淡い光が漏れだして、まつげをキラキラと照らして美しかった。
「うん。わかったよ。ユキの望み」
そう言ってアルは笑った。
多分、だが。今まで見たアルの中で一番綺麗な笑顔だった。
いつもの弾けるような笑みとも、甘えるようなそれとも違う。
満ち足りた、というにふさわしい完成した微笑だった。
胸がざわついた。嫌な予感がする。さっきの恐怖心は消え去ったはずなのに、別の予感が鎌首をもたげ始めていた。
アル、と呼びかける私の声。
アルは、私の声に振り向いてくれなかった。
アルは立ちあがった。私をそこに座らせたまま、起き上がって地を踏みしめる。砂利と灰が混じって鈍い音を立てた。
「もういいのかよ」
アーサーの驚いたような声にも答えない。
アルは歩いてどんどん先に進んでいく。
一度立ち止まって空を見上げたのち……やっと私の方に振り返って、こう告げた。
「ユキ!大好きだよ!……さようなら!」
瞬間、突風が吹き荒れた。
アルの身体が一瞬縮んだ……と思ったら、今度は伸びた。体を沈み込ませたのち伸長。
まさしく全身を使ったばねの動きで、アルは空中に飛び上がった。
恐ろしいことに、一瞬で見えなくなってしまった。
「え?」
虚脱した私の声。
頭の中でアルの言葉が巡っている。
大好きだよ。さようなら。
なんだかアルが口にするにはそぐわない言葉だ。
そう言えば、つい最近見たドラマでそんなシーンがあったかもしれない。
夕日の中手を振る女性が、ずっとずっとさよならを言っている。
立ち去っていく男は振り返ることもなく歩き去って。
あれで覚えたんだ。さよならが別れの挨拶だって。
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