第43話

「アル!」


 地を蹴る。大急ぎで駆け寄った。

 アルは地面に座り込んでいた。

 満身創痍の疲れ切った表情で、その場でうずくまっている。


 それでもアルは、私が駆け寄ってきたのを見るとこの上なく嬉しそうに笑うのだ。


 肉体のダメージも精神的な疲労も関係ないとばかりに、私を見つめて愛しそうに笑う。


「ユキ!よかった、無事で……」


 何を言っているんだ。無事だなんてあたりまえじゃないか。あの壁の中にいたんだから爆発が届くはずがない。


 爆炎も爆風も、どころか衝撃も音も何一つこっちにはやってこなかった。その壁を張っていたのは。


「うん。だから言ったでしょ。ユキを守るよ、って」


 なんで。

 どうしてそんなに屈託なく笑えるのか。


 自分の体の状態が見えていないのだろうか。体中ボロボロで傷だらけで、煤けて埃塗れで立っているのも辛くて。こんなにボロボロになってまでどうして私を守るのか。


「あの壁、なんで……?」


 いや。それだけじゃない。アルは私だけじゃなく、この機関も丸ごと守っていた。


 機関本部に病棟、その他施設。ざっと見たところどこも無事だ。

 火の手が上がっているとか、どこか崩れ落ちているとか、そういう様子は見られない。


 どうして。私を守るだけでよかったのなら、それこそ私を連れて逃げでもすればよかったはず。


 だってアルはそうしたのだ。健太君と私を天秤にかけて、迷いなく健太君を切り捨てたのだから。今回だってそうするのが当然だったはずなのに。


「ユキがこいつらも大切だって言うから。守らないとユキ、悲しむでしょ」


 絶句した。目を見開いて、アルを凝視する。

 アルは私の様子も意に介さずに、ニコニコ笑って私を見ていた。


「ごめんね。ユキ。君を失いたくなくて、あの時はそれしか考えてなくて。でも今回は守ったよ。ケンタも、メガネジジイも、それ以外も。それがユキの望むことなんだよね。ねえユキ、僕を許してくれる?また一緒に居てくれる?そのためならなんだってするよ」


 アルが私を見る。哀願するような視線。

 下から私を覗き込んで、許しを請うように見上げている。


 たった今、あまたの爆発を一人で捌ききった異能の超生物とは思えない姿だった。


 その生物がここまでした理由。それが、私のため、だと言うのか。


 私のことを考えて、私のことを思って、私の許しが欲しくて。

 そのためならどんな無茶もどんな怪我もどんな痛みも、我慢することができる…。


 足から力が抜けた。


 爆炎に晒された地面は黒く煤けていて、砂利と燃えがらのようなものが肌を刺激して不愉快だった。


 それでも今この場に立っていられなかったし……アルにこれ以上、私を見上げさせたくなかった。


「ユキ、大丈夫!?どうしたの!?どこか……おなか、痛い!?」


「ううん、大丈夫。ありがとう。ありがとう、アル。守ってくれて……」


 アルの顔がこれ以上ないぐらいに輝く。よろよろと手を伸ばして、私の体に縋りつく。甘えるようにその頭が私の肩にすり寄った。


「うん。ユキが喜んでくれて嬉しい!」


 アルの声は明るかった。今この場で自分が負った労苦など、微塵も堪えていないのだと言いたげに。

 私のお礼の言葉ですべては報われた―。そうでも言いそうな雰囲気だった。


 本当に、私のことしか考えてない。


 誰かを守らなければ、じゃない。私が嫌がるから守ったのだ。

 アルにとって、判断基準はそれしかない。アルには私しかいない。


「アル。聞いて」


 アルが顔をあげた。あどけない表情が視界に映る。


 今ここで、私が死ねと言ったらこの生き物は聞くだろうか。私の言葉を。ありのままに。


 聞くのだろうな、と予想がついた。


 そっとアルの手を取った。

 暖かい。私と同じ、血と骨と肉のある生き物の温度。

 そう、少なくともそう感じられる体。


 両手でアルの手を包み込んで、祈るように口に出した。


「今回、私を……私たちを守ってくれて本当に嬉しい。ありがとう。すごく、すごく感謝してる。でも、でもね。私が喜ぶとか喜ばないとか、そういうことじゃなくて……」


 言葉が上手く出てこない。自分が何を言いたいのか。いや、それ以前に。自分が今抱えている感情は何なのか。それすらうまく理解できなかった。


「アル自身に感じてほしいの。健太君や、菅原さんや、それ以外の人たちのことを。守りたいと思って、自分自身の意思で行動してほしい。そうじゃないとまた……」


 アルは不思議そうに眼を瞬いていた。私の言葉を考えて、どうにかこうにか理解しようとしている。


 ややあって、窺うようにゆっくりと、アルは私に問うた。


「それは、他の人間もユキのように思ってほしいってこと?」


「そう。そうなの。アルが私を好きになってくれたように、他の人たちのことも好きになってほしい。アルも思ったことはない?健太君と一緒に居て楽しいとか、もっと遊びたいとか……その気持ちが好きってことなの。大切ってことなの。私のことを好きだって思ってくれてるなら、他の人のこともそうやって大切にしてあげてほしい」


「無理だよ」


 風が吹いた。辺り一帯を寒風が吹きすさび土埃が立ち上る。

 目に入る煤に灰、砂利に燃えがら、黒く焦げついたアスファルト。

 散々な破壊の残骸が辺り一面に転がっている。


 目の前の生き物は、物憂げに目を伏せることも、何かを考え込むこともなく。躊躇う様子を微塵も見せず、断固とした口調で告げた。


「無理だよ。君とそれ以外を選ぶ場面で、僕は絶対君だけを選ぶ。一緒の扱いなんかできない」


 何も言えない。ただアルを見ている。私を射抜いて揺らがないその赤い瞳を見ている。

 夜闇の中にあっても華麗に光り輝く相貌。この世ならざる魔性の輝き。


 私と違う生き物は、私の考えを拒絶した。


 握った手だけが暖かい。

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