第34話

「え、え!?どーしたのこれ!?ていうかアル、その腕……」


 健太君が驚いて目を瞠る。視線がアルの変形した黒い腕に注がれて、少しだけ怯えた表情を見せる。


 それとは違う黒い腕が、健太君の身体が絡めとった。


「なっ……健太君!」


 こちらの叫びもむなしく、健太君の身体が宙に浮く。げほ、と苦しそうに健太君があえいだ。


 健太君の体に絡みついた腕の主は、そのまま自分の身を大きく下がらせた。そして腕を自分の前に出す。


 健太君の体を盾に、おじさんは大きく吠え声をあげた。


「魔王!この者の命が惜しくば、言うことを」


 しかし。その声は最後まで続かなかった。


 唸りをあげて飛来した黒腕が、体を刺し貫いた。


「え?」


 全く、完全に無意識に、声がこぼれた。意識の外から落ちた完全に虚脱した声……驚きも恐怖も感じる暇すらなく、私の脳みそにはただ空白が差し込まれた。それぐらい、目の前の状況を処理しきれなかった。


 アルの腕がその人を貫いた。健太君ごと。


「かはっ……!」


 苦し気な声をあげて、その人がどうと背後に倒れる。健太君の体に絡みついていた腕が外れた。


 健太君は拘束を解かれて一緒に背後に転がり……そして、ぐったりしたまま動かなかった。


 じわ、と広がる赤色。マンションの廊下を赤く染め上げてしとしとと広がっていく。

 夕暮れの明かりに照らされて、わずかな光沢を見せて光っていた。


 健太君の血だった。


 アルの腕に刺し貫かれて、腹から血を流している健太君の血だった。


「-」


 何かが口から漏れている。悲鳴だろうか。嗚咽だろうか。もはやそれすら判別できない。


 完全に平静を欠いて、私はアルの腕の中で暴れた。

 健太君に近づこうともがきのたくって……それでもアルの腕は決して私を離そうとはしなかった。


「く、そ……魔王!貴様、よもや子どもごと!人間の感情が芽生えたのではなかったのか!?」


 その人がずるりと身を起こす。


 腹を刺し貫かれたと言うのに、その人の体からは血は流れ出ていなかった。

 ただ、黒い靄のようなものが漏出して、床のあたりに漂っていた。


 そして、その人間の姿も突如としてはじけた。


「〇▼×××―!?」


 いつぞやのアーサーが唱えた呪文のような音のような何か。それとよく似た何かが辺りに響く。その人がいたはずの場所には、黒い靄が集っていた。


 どこからともなくアーサーが姿を現した。


「余計なことしてくれやがって。どうすんだよ、おい」


 普段のアーサーらしからぬどす黒い声音だった。不機嫌なのが一発で伝わってくる。黒い靄が蠢いて、アーサーの周囲に覆いかぶさろうとする。


 しかし、アーサーの身体は瞬きの間に移動してしまった。天井に張り付いて、さかさまになりながらしゃべっている。


「やだね。もう模造人格は貸してやんない。どうせお前、この機能の貸与なしじゃ力の解除は許可されていないんだろう?すごすご逃げ帰るがいいさ。そしていくらでも報告してくるがいい。何もかも全て、ありのままにな!それで全て終わるだろう!」


 忌々し気に歯噛みするアーサー。奥歯を嚙みしめる音が響いてこちらにまで聞こえてくるようで、アーサーの忸怩たる思いのほどが伝わってくるようだった。


「もう詰みだ。僕の趣味もここで終わり。ああもう……本当に余計なことをしやがって!おかげで全部台無しだ!」


 アーサーの気迫に押されたのか、それとも他に理由があったのか。黒い靄はそのまま一気に薄れると、空気に溶けるようにしてどこかへ消えた。


 アーサーは乱暴に唾を吐きつけた。

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