第33話

「さて。話が逸れてしまったが。女人。……自らの隣にいるのが何者か、承知しておられるか?」


「え?」


 自らの隣にいるのが何者か。


 思わず自分の隣を見た。と言っても、そこにいるのなんてさっきから一人しかいない。


「……」


 アル。


 目の前のおじさんを強く、きつく睨みつけ、私の隣で直立している。


「えっと。アルが魔王、ってことですよね。知ってます」


 正直にそう答えれば、目の前のおじさんの目がこれでもかと見開かれた。


「な……馬鹿な!?たかが一介の人類が魔王のすぐそばでのうのうと暮らすなど、正気の沙汰とは思えん!貴殿には危機感というものがないのか!?」


「……」


 どうしよう。思ったよりダイナミックに罵倒されている気がする。


 何とも言い難い怒りのようなものをとりあえず抑えつけながら、平常心で私は口を開いた。


「いや、まあ、魔王が危険な存在なのは知ってますけど。とりあえず今のアルは私の言葉を聞いてくれてるので危険はありません。それこそアーサーの方がよく知ってると思いますが……」


 そう言えば、先ほど目の前のおじさんはアーサーに向かって言っていたな。お前の報告がどうのこうの。


 アーサーの役割は地球上での情報収集だったと言うし、私とアルの現状をまとめて地球防衛軍とやらに通達していたのだろうか?


 まあ、このおじさんの様子を見るに正確な情報は伝わってなかったみたいだけど。


 案の定、おじさんは驚きのあまり顎が外れそうなほど口を開け、そしてまた虚空を見つめて怒りだした。


「アーサー!貴様、意図的に虚偽の報告を出したな!?あの女人のことなど影も形も……はあ!?そんな屁理屈が通用すると……あっこら!勝手に黙り込むんじゃない!」


 なんか親子喧嘩みたいになってるな。


 完全に蚊帳の外になってしまったので、私とアルはその様子をぼーっと眺めているしかなかった。


 そもそも何なんだろうこの人。


 突然マンションに現れた……上に、アーサーとやけに近しい。地球防衛軍(仮)の一員なんだろうか?


 とりあえず、何を目的としてここにやってきたのか皆目見当がつかない。


 その人は結構な間アーサーと言い争っていたが、どうにかこうにか決着を迎えたらしい。


 肩で息を切らしながらこちらに向き直ると、ぴしりと背筋をただす。

 失った威厳を取り戻そうとしてるみたいだ。正直すね毛のせいで威厳もクソもないけれど。


「事情は大体把握した。魔王の身に何が起こっているのかも。不肖の身内が随分と舐めた真似をしてくれていたことも」


「あ、はい。そうだったんですね」


「何度も醜態を晒してしまった後ですまないが、こちらとしても仕事を遂行させてもらわねばならぬ。というわけで女人よ。死んでくれるか」


「はあ……へっ?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。今、なんて言った?なんだか世間話の延長みたいな声音で、確か、死んでくれるかって。


 目の前で盛大な火花が散った。


「わぁっ!?」


 遅れて音がやってくる。はじける火花、撃ち合う音、空を切り裂いて何かが素早く通り抜ける音……。

 もうどの音が、どの現象が最初に起こって、何を知覚したのかわからない。

 私の認識能力では捉えられない異次元の事象が今目の前で起きている。


「ユキ!」


 唯一私がわかったのは、私を抱き留める腕だけだ。


 アルだ。片腕で私を抱き込んで、かばうように半身を前に出す。

 おかげで私の視界は遮られてよく見えない。


 と言っても、どうせ見えたところで何もわからなかったと思う。


「邪魔立てするな、魔王!」


 またも音が。何かと何かがぶつかり合ってはじけて、それがものすごい速さで繰り返されている。半身を出した側のアルの腕がまた伸びている。


 向かい合うおじさんの身体が大きく後ろに揺らいで、悔し気に歯噛みしていた。


「使命を忘れたかのか魔王!お前のすべきことはこんなところで茫洋と時間を浪費することではない!ましてお前、どうして感情などと……いったい何があった!?何がお前をそうまでさせる!」


 おじさんの腕もまた何かどす黒い色をした異形の腕へと変形していた。腕の周囲に靄のようなものがまとわりつき、全体像が把握できなくなっている。


 背筋に怖気が走った。あの腕。何が何だかわからないけど、破壊力は本物だ。撃ち合っているときの音の衝撃で否が応でもわかる。


『死んでくれるか』


 本気だったんだ。あの人、本当に私を殺そうとしていた……。


「うるさい」


 緊迫した空気の最中、凛とした声が鳴り響く。


 私は顔を頭上に向けた。


 アルが、その紅蓮の目を真っすぐと見据えて、当然のように言い放った。


「何言ってるんだかわからないしお前たちなんか知らない。命令なんか聞く気もない。僕が訊くのはユキの言葉だけだ。そして絶対にユキを殺させはしない」


 唐突に体の力が抜けた。気が抜けた、のではない。安心したのだ。心の底から安堵して、先ほど感じた死の危険などどこかに消え去ってしまった。


 アルの腕の中にいる限り、私は絶対大丈夫だ。そう確信してしまった。


 ぎゅ、とアルの服の裾を掴んだ。

 アルが私に視線を向けて……そして優しく微笑んだ。


 今しがた、正面の相手に向けていたのとは似ても似つかない、包み込むようなあたたかな笑顔だった。


「大丈夫だよ、ユキ。絶対守るから」


 アルの腕がまた唸った。目の前で火花が弾ける。風を切る音。それすら遅れて響いているような。


 何が起こっているのかわからない。だけど大丈夫。私はきっと、ここにいれば絶対に大丈夫……。


「……ユキねーちゃん?アル?」


 周囲が水を打ったように静まり返った。


 私もアルもそちらを凝視した。目の前のおじさんも、勢いよく背後を振り返った。


 エレベーターから降り立った影が、きょとんとしてこちらを見ている。


「……ケンタ?」


 健太君がぱちぱちと目を瞬いていた。

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