第32話

「え?」


 思わず目を瞠る。霞か幻のようにアーサーの身体は一瞬のうちに消えてしまった。


 慌てて周囲を見回す。しかし、アーサーはどこにもいない。


 泡を食う私をしり目に、事態はどんどん進行していく。


 青い光が周囲を飛んでいる。まるでおとぎ話の中に出てくる妖精のようだ。幻想的なその青色は、どこかアーサーの瞳に似た色をしていた。


 小さな光の粒は二度三度その場で揺れたかと思うと、黒い靄の方に吸い込まれていった。


 いったい何が。目の前の事象を理解する間もなく、それが始まった。


 黒い靄は何やら不気味な音を立ててうごめき始め、少しずつ内側に向かって収束していく。

 やがてそれは明白な輪郭を持ち始めた。


 とらえ難い霧状の物質だったその靄は、見る見る間に確かな実態を持つ個体へと変貌し……一つの確かな実体を形作っていく。


「人……?」


 つるりと凹凸の無い肌色の表面、二本足で地に立つその姿勢……どこからどう見ても人だった。


 靄は体だけではなく、服にまで変化するらしい。体にまとわりつくそれらは布の質感を持つ存在へと変貌していった。


 ……のは、いいのだが。


「……」


 いやなにあれ。


 先ほど感じて恐怖心や未知のものに対する恐れが一気に霧散してしまった。

 もしかして私の目がおかしいのかとよーく目を凝らしてみたが……目の前にある現実は変わらなかった。私は思わず首をかしげてしまった。


 その人の格好は、なんていうか……。こしみの?って言うんだろうか?藁を編んで作ったスカート状のものを身にまとって、すね毛を堂々と出してその場に立っている。頭にはつる草と思しき冠飾りが。


 中央にある太陽の中には人の顔が書き込まれて……ちょっと待ってこれ見たことある。私が持ってるギャグマンガの中にこういうファッションのおやじさんがひとり。


「ねえ、ユキ。あれなに?あんな人間みたことないけど」


「こ、こら!人を指さしちゃいけません!」


 いやぶっちゃけツッコミたい部分はそこじゃなかったけど、そこまで手が回らなかった。あと何より私もアルの疑問に答えられなかった。


 なんだろうあれ。見た目はすごく、その辺に居そうなおじさんなのに、見た目で異彩を放ちまくっていてどう反応していいのかわからない……。


「もし。少しお聞きしたいのだが」


 びくりと肩が跳ねあがった。アルの声ではない。となると当然一人しかいないのだが。


 ちょっと、いやかなり、どう反応していいのかわからない。


 恐る恐る声の発信源へと視線を向けると、そこにはまあやっぱり、その異様なおじさんが。


 おじさんは堂々とその場に仁王立ちして、腰に手を当てている。その瞳には少しも揺らいだ様子はなく堂々たる自信に満ちていた。


 繰り返すが服装は上裸の腰みの(withすね毛)だが。


「こちらの声は聞こえているか?意思疎通に問題はないか、お前たちの世界での通信規格に適合しているか?」


「えっと……。私に話しかけてます……?」


「然り。何分俺は今アーサーの模造人格機能の貸与を受けてこの場に実体化しているにすぎぬ。あやつの翻訳精度が如何様なものかわからぬ以上、まずは通信規格の適合性を伺うしかあるまい」


「ほ、翻訳精度?」


「すまないが言語の枝葉はひとまず置いておいて答えてはくれぬか。何分俺自身は俺の状態を地球の認識表面レベルに即した状態で確認することが出来ぬ。そちらと俺の存する表層が違う故な」


「よくわかんないですけど、意思疎通『には』問題ないです……」


 意思疎通には、だが。それ以外の問題点を指摘してもよいのだろうか。


 正直出てくる単語が耳慣れないものの組み合わせすぎて何を言っているのかよくわからない。何がどうしてああなっちゃったんだろう、あの人。


 私の言葉を聞いてその人はうんうんと満足げに頷いた……が、すぐに眉をしかめて私を見た。


「人類。何故眼を逸らす?地球上のコミュニケーションの基本は視線と視線を合わせたものだと聞いているが。君たちは言語なる通信規格の運ぶ情報の実態以上に、非言語領域に属する身振りや手ぶり、表情に視線、そう言った物事から多くを得るのではなかったのか?」


「あの、えっとその……」


「あんたの服装が変だからに決まってんじゃん」


「こ、こらアル!そんなハッキリ言っちゃダメ!傷つくでしょ!」


 今言われただろう。人間のコミュニケーションは非言語領域に属するものを多分に含むって。要するに空気だ。


 空気を読むって言うのは強要しすぎはよくないけど人間の優しさでもある……んだから、それをそんな風に直截的に言ったらだめだ。傷つく。


 目の前のおじさんが、片眉をぴくりと跳ね上げた。


「変、とは」


「あのそのえっと変というか、まあ確かにちょっと一般的ではないなあとは思いますけどでもあのそういうのも個人の好みですから気にされなくても」


「おいどういうことだアーサー!我は一般的な地球人の規格に適合した外見を模造しろと申したはずだが!?」


「え?」


 その人は目の前でどこかに向かって怒っている。


 当り前だがアーサーはどこにもいない……先ほど消えたままだ。


 しかし、その人はまるで自分のすぐそばにアーサーがいるかのように怒り狂っていた。


「どんな出力にするかなんて僕の勝手?貴様、そのように放埓な発言が許されると思っているのか!そもそもお前の報告のあの適当さはなんだ!帰還命令にも従わず逗留していたかと思えば、魔王は未だ異常な勢力を保持したまま健在!貴様の報告ではほどなく自然消滅のため危険性なしとの見立てだっただろう!」


 もしかして、アーサーが模擬人格機能とやらを貸し出して、この男の人と私たちが話せる通訳をしてくれている、のだろうか。


 しかしそこはやはり“あの”アーサー、いたずらごころで外見や話し方の出力をいじってこんな成人異常男性が出来上がり、と。


 やっぱりアイツ感情がないとか嘘でしょ。めちゃくちゃ面白がってるじゃん。

 どう考えたってこれはアーサーの意思で、嫌がらせで、ただの趣味だ。


 私は心の中でそっとこの目の前のおじさんに同情した。

 あのアーサーなんかのせいでひどい目に……。心情は察するに余りある。


 おじさんはしばらくアーサーと何やら言い争っていたが、やがて何を言っても無駄と悟ったのか、あきらめが付いたのか。


 結局その異常成人男性の格好のまま、私たちに向き直った。


「失礼。無様を晒してしまった。即刻忘れて頂けると助かる」


「あ、はい。事情はなんとなくわかりました」


「かたじけない……」


 そう言っておじさんは深く頭を下げる。相変わらず語尾は謎の武士チックな感じで面白かったが、とりあえず突っ込んだりするのはやめた。

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