第六話 謎の美ショタに言い寄られてるけどこいつヒモなんだよな

第22話

本日夕刻。私とアルは正体不明どころか実体不明の怪人物(人かどうかも怪しい)に襲われた。

 目的も何もかもわからぬ謎の人物はそのまま逃走。


 このまま二度と会うことはない…もし仮に会うとしてもすぐにとはいかないだろうと思っていたのだが。


 そいつは今、何故か目の前でニコニコ手を振っている。


 ぎょっとして大きな声で叫んでしまった私に対し、目の前の少年は上機嫌に鼻を鳴らした。


「いい反応!さっきぶりの邂逅でそこまで驚いてくれるなんて、おねーさんいい人だね!」


「いや、驚くに決まってんでしょ!?なに、何で!?どっから入ってきて」


「そこはほら、不思議な力ってやつ?俺たちに建物とか物理的な障壁とかって無意味なんだよね」


 少年はあくまで明るく笑い飛ばした。明朗快活、なんて言葉が似合いそうな朗らかな笑顔である。


 顔の造作が恐ろしく整っていることも相まって、なんだか天使のようにすら見えた。窓から差し込む月明かりもその神秘的な空気を後押ししているように見える。


 だが、だ。いくら神秘的に見えようと可愛かろうと、こいつは私の同僚の体を乗っ取り、アルを魔王と呼んで接触を図ってきた、得体のしれない怪人物なのだ。


 少年の顔は変わらなかった。先ほどと同じ朗らかな笑顔のまま。私のことをその鮮烈な碧眼に収めて、ゆったりと微笑んでいる―。


 違う。


 笑っている。それはそう。変わらない。だけどその表情は。あの時と同じ。

 少年とは思えない、年月を経た人間の持つ凄みを感じさせる、あの。


「うっ」


 ざわりと体中を怖気が這いまわった。汗がこめかみを伝い、体が小刻みに震えはじめる。

 心臓の鼓動がいつもよりはっきりと聞こえた。少年の唇が少しずつ開いていく。何を言われるのか。私はその動きを凝視して。


「リストラされちゃったんだよね」


「……」


 なんか空気にそぐわない発言が聞こえたような。


 おかしいな。今結構緊迫した空気だったと思ったんだけど。


 緊張の糸がぷつんと切れた。宇宙猫のような顔をしているだろう私をよそに、少年が窓枠から軽やかに降り立った。


「ていうか自主退職?他にやりたいこと出来ちゃってさ。任務もひとまず終わったし、出張からそのまま私事旅行しに来たの。だから今の俺は完全フリー、ていうか食う当ても寝るところもない!」


「あ、そう……」


「というわけでおねーさん!俺をしばらく置いてくれると嬉しいな!」


 こてんと小首をかしげて、少年が上目遣いに私を見上げる。後ろ手に腕を組んでいかにもかわい子らしく。


 その様子には先ほどのような恐ろし気な雰囲気も、少年らしからぬ威圧感もなく……ただただ天使のように可愛らしい少年の姿があるだけ。


「……えっと?」


 何だ。なんだこれは。一体。


「うん。つまりは養ってほしいなーってお願いです」


「やしなう」


 リストラ?自主退職?この年の少年が雇用契約結んで働いていたのか?


 いや、先ほどの様子を見るにどう考えても人間じゃないから、見た目通りに少年じゃないんだろうけど。


 それを抜きにしても。この子は今なんて言った?ええと、確か俺を置いてくれると嬉しいとか、養ってとかなんとか。


 ……もしかして私、ヒモに言い寄られてない?


「む、無理です」


「ええ~。だめ?」


「だってうちにはもうすでにアルがいるし……」


「じゃあ魔王を説得出来たらいてもいいんだよね!やったあ」


 ……いいのか?


 いやよくない。絶対良くない。何がどうしていいと思った。良い要素が一つもない。


 そもそも。


「何しに来たの」


 少年が不思議そうに眼を瞬いた。その顔を見た瞬間、私の中で何か、緊張の糸のようなものがぷつんと切れた。


「秋山の体を乗っ取って、私たちを攻撃してきて。そんな相手が何しに来たの!」


 目を剥いて、目の前の相手に吠え掛かる。

 およそ少年を相手にする時の態度ではないが止まれなかった。


 だってこいつどう見ても少年じゃない。見た目こそ可愛らしいけれど、そのうちにあるのは―もっと底知れない何かだ。


 全身を強張らせて、私は目の前の少年に迫った。


 少年は相変わらず不可思議そうな顔をしている。かわいらしく小首をかしげる仕草もそのままだ。月光に揺れる碧眼が、まばたきするたびに瞬いた。


「ええー。俺は別に君たちを攻撃してないよ。君たちが一方的に襲い掛かってきたから逃げただけで。実際俺からは仕掛けるどころか反撃すらしなかったでしょう?」


「何を……人の身体乗っ取っておいて攻撃する気はないなんて、どの口が!」


「本当だよ。あの体だって一時的に間借りしてただけだし。その証拠にすぐに解放したじゃない」


「それはアルに攻撃されたから、仕方なく……」


「いやいや、よく考えてみてよ。本当に君たちを害するつもりなら、むしろあのままあの体を人質に取ってたはずだよ。大人しくしろ、この体の持ち主は操られているだけだ、どうなっても知らないぞって」


「な…」


 絶句した。言いよどむ私を前に、少年は軽く肩をすくめる。


「俺としても無関係の人間を不用意に傷つけたくはないからね。だからすぐに解放したのさ。実際彼には操られていた以外の傷はなかっただろ?気を失ったのだって一時的なことで、今頃すっきり目を覚ましてるはずさ」


 少年の語る言葉に嘘はない。ように聞こえる。事実少年の口から出る言葉も菅原さんから聞いていた情報の通りで、齟齬はなさそうだった。


 ……信じていい、のだろうか? それ以外の情報も一応筋が通っている。秋山の体を即刻解放したことと言い、それ以降一切こちらに攻撃を仕掛ける様子がなかったことと言い。確かにこの少年にこちらを害す意思はなかった……のかもしれない。


 でも、じゃあ。


「何が目的なの」


 私たちを攻撃するのが目的じゃないというなら、何のために秋山を操ったのか。そしてどうして私に接近したのか。あの秋山の不可解な行動も、全てはこの少年の意思だと言うことだろう。


 わからない。いったい何を目当てに、この少年は私に接近してきた。


 そして、何より。


「なんでアルが魔王だって知っているの」


『なーんだ。そういうこと。……はは、傑作だよ魔王!』


 最初からそうだった。この少年はアルのことを魔王だと呼んでいた。


 アルは魔王だ。世界終焉自然発生型呪厄災害十三号。紛れもない事実だが、それを知っている人は少ない。というより機関と私以外にはいないはず。


 何せアルの見た目は普通の人間と変わらないのだ。身体能力や不思議な力は人間離れしているけど、ぱっと見は普通の人と変わらない。見た目だけで区別がつくはずがない。


 そもそも、だ。超常の力を目の辺りにしたとしても、それを『魔王』などと正しく呼べるはずがない。


 普通の人は『魔王』が存在するなんて信じていない。『魔王』はおとぎ話かファンタジーの存在で、実在するなど理解していないはずだ。ちょうどアルに出会う前の私のように。


 それなのに、どうしてアルのことを『魔王』と呼んだのか。

 そもそもなぜ『魔王』が存在すると知っているのか。


 そして、何より。


「あなた、何者なの……!」


 薄闇の中で少年の瞳が輝く。宝石と見紛うばかりの美しいきらめき。それ自体が発光しているような。

 そう。これと同じ瞳を見たことがある。ここの所ずっと、その瞳ばかり見つめている―。


 アルと同じ輝きを持つ瞳が、うっそりと細められた。


「アーサー」


 少年の唇がうごめく。口の端が不気味に吊り上がり、雰囲気が一変した。


 まただ。さっき見たのと同じ。とても少年とは思えない威圧感がその相に現れる。

 思わず一歩下がる私を、少年は愉快そうに見つめている。


「君たちにとって一番なじみ深い名前と言ったらそれになるかな。他の名前で呼んでくれてもいいけど……聞きたい?俺の他の名前」


「何言って……というか、聞きたかったのは名前じゃなくて」


「うん。もちろん何でも聞いてくれていいよ。ああ、それこそ交換条件でどうかな。君が俺を近くに置いてくれるなら、知ってることを話してあげる」


「なっ……」


 何でも聞いてくれていいい。知ってることを話す。

 なんでこんなにあっさり。どうして。私にとってはありがたいことだけど、その交換条件が近くにいることだって?


 いったい何が目的で。


 その時だった。緊迫した空気が一瞬で緩む、賑やかな声が上から降ってきた。


「ユキー!ただいま!」


 ぎょっとして上を見上げる私とアーサー。当然この部屋は部屋として完全に閉じているので上からなんか入り込めるはずはないのだが……物理法則もこの世の道理も何もかも無視して、それは降ってきた。


 アル。


 テレポートのような能力だろうか。空中に突如出現した大魔王が、私の前に降ってくる。


「あ、アル!?」


「うん、ユキ。僕だよ!ユキの服を持ってきたよー!」


 私の前に降り立ったアルが勢いよく私に抱き着いた……かと思えば、その場に降り注ぐたくさんの衣服の山。

 山というのは比喩ではなく、それこそ雨あられと私の洋服が辺り一帯にぶちまけられる。


 アル。まさかこれ、タンスの中身を丸ごと転移させたんじゃあ。


「どれがいいかわかんなかったから全部持ってきた!」


「だよねー」


 なんかもう注意する気も失せた。まあ実際ありがたいのも事実だし。

 ありがとね、という私のおざなりな感謝の言葉にアルはご満悦だ。


 嬉しそうにまなじりを下げると、更に強く私の体にすり寄ってくる。うんうん。可愛い。犬みたいで。


「へえー、魔王ってばテレポートにこんな規模の物体転送までできちゃうのか。本格的に力が覚醒してるんだね~」


 アルの動きがぴたりと止まった。


 ものすごい速度で回転した首が、まっすぐアーサーに向けられる。

 アーサーは余裕ぶってひらひらと手を振っていた。


 アルの目がすっと暗くなった。あ。やばい。


「アル、ちょっと待っ」


 私の言葉は間に合わなかった。あの時と同じ。目にもとまらぬ速さで変形したアルの腕が伸長してアーサーを貫いた。


 いや、正確にはアーサーのいたところ、だったが。先ほどまで彼の立っていた位置にある床が盛大にえぐれて、絨毯どころかその下の建物の基盤がのぞいている。


 アーサーは横の壁面に移動していた。間一髪逃れたのだろう。相変わらず重力を無視して垂直に壁に立っていて、なんだかそういう映画でも見ている気分になる。


「危ないなあ。俺のスペックじゃそう何度も君の攻撃をかわせないんだから、もう少し手加減を……うわ!」


 アーサーが思いっきり横に飛びのく。今度は私たちの正面の壁に降り立った。


 やっぱり先ほどの壁面にはアルの黒い腕が伸びていて、そして今度は止まらない。一瞬たわんだかと思えば、反動でより鋭く早く横に振り抜く。


 しなりを利用した強烈な横凪ぎ。このまま部屋ごと真一文字に切り裂いて、もろともに潰してくれると言いたげな。


「待ってってば、アル!」


 しなる黒腕が途中で止まった。

 片腕で私を抱き込んだまま、アルが視線を私に寄越す―不可思議な美しさを持つ赤色の瞳。

 薄闇の中で光るそれは、やはりどこかアーサーの持つそれに似ている。


「アル、待って。ここで暴れちゃダメ。それにあいつ、一応敵意はない、みたい」


「…」


「おまけに私たちを襲った理由を教えるとかなんとか言ってる。ここで闇雲に倒したりしないで情報を聞き出したほうがいい……と思う」


 アルは私をじっと見下ろしていた。何も言わない。


 アルが私の前でこんなに静かなは初めてで、落ち着かなかった。なんで何も言わないんだろう。真っ赤なアルの目が、らんらんと光っている……。


「わかった。ユキがそう言うなら」


 しゅる、という音がして、アルの黒腕が縮んだ。何かを擦るような音を立ててアルの腕は元に戻っていく。


 息をついた。いつの間にか呼吸を止めていたらしい。そっと開いた拳の中は、じっとりと冷や汗で濡れていた。


 そして、私はゆっくりと向き直る。アルが私のすぐそばに、付き従うかのような格好で立った。


 アーサーはもうすでに壁に立つことをやめ、普通に地面に立っていた。相変わらず美しい相貌が摩訶不思議な光を発している。


「話してもらうよ。あなたの知ってること」


「もちろん。今の俺は何にも縛られてない身ですから!いくらでも聞いてくださいな」


 にやりと見た目に似合わぬ笑みを浮かべ、アーサーは不敵に微笑んだ。

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