第19話

なんだかどぎまぎするとはいえ、と言って私と秋山だ。一食三百円の某居酒屋でドカ食いとか、日本酒飲み放題の店でまけまけ一杯とか、そんな感じも十分ありうる。

 私は適度に気を抜きながら店に向かった。


「……」


 かちゃ、と目の前に置かれる前菜のスープとサラダ。本日のポタージュは季節のごぼうをつかったものになります、とかなんとか。


 店員さんは綺麗に微笑んで席から離れていった。


「ぼーっとしてるけど、どうした?」


「い、いやごめん!おしゃれなお店だなあって思ったもんでつい」


「はは、俺がこういう店来るのは似合わないってか?」


「そういうわけでは……あるけど……」


「あるのかよ」


 秋山は肩をすくめて軽く笑う。かなり失礼な私の言葉にも気分を害した様子はなく、その表情は笑みを浮かべたままだ。


「秋山にこういう店が似合わないと言うより、私たちでこういう店来るのって初めてじゃん?それでちょっと驚いたというか」


「あー、確かに。普段だったら一本向こうの居酒屋でとりあえず生だもんな」


「そうそう。じゃあまずはあんきも一つ、みたいなさあ」


 私はちょっとほっとしていた。なんとなくいつもの秋山との会話の雰囲気に戻ってきた気がしたからだ。


 こんなお店に秋山と二人でいると言うのはどことなく落ち着かないし、最近の秋山の素振りもなんだか勘違いしてしまいそうになるし。


 だから、今ここでいつも通りの秋山と会話して、その不安のようなものを払拭したかったのだと思う。なんだ私の勘違いか、自意識過剰で恥ずかしいな、みたいな。


 けど。


「普段と一緒じゃ意味ないと思ったからさ。……どういう意味かわかる?」


 私は咽かけた。天井から釣られたお洒落なランプがほんのり照らして、ジャジーな音楽がしっとりとした空気を演出するこの店で。この場にあるまじき行為をしようとしてしまった。


 すんでのところでなんとか口をつぐみ、慌てて対面に座る秋山を見る。


 秋山は食器を手に取っていなかった。さっきまでサラダを食べるためにフォークを手にしていたはずなのに。今カトラリーは全てナプキンの上で折り目正しく整列している。


 秋山の目が、まっすぐに私のことを見つめていた。


「え、……」


 咄嗟に言葉が出なかった。視線を逸らして俯く。仕事に追われてばかりでそういうことはご無沙汰だった。久方ぶりの雰囲気に、目が盛大に泳ぎだす。


 秋山が私の名前を呼ぶ。


 私ものろのろと顔をあげようとした。


「わっ」


 途端、ブーッと振動。鞄の中から音がする。バイブレーションに設定したスマホが電話の着信を知らせていた。


「あ、と、ごめん」


 携帯を手に立ち上がる。秋山は気にした様子もなく、ただ笑うだけだった。


 そっと秋山の横を通り抜けて、レストランの出口へ向かって歩いていく。


 すれ違う瞬間、秋山の横顔と目が合った。


 先ほどの真剣な瞳。熱を帯びた光が、まだ少し残っている。


 先に眼を逸らしたのは私の方だった。


 店員さんに会釈をして、戸口からいったん外に出る。夜のひんやりとした空気が体を覆った。いそいそと店の前を過ぎ、脇の路地へと身を進める。


 なんだろう。秋山をそういう目で見たことがなかった……というのを差し引いても。期待と好意、ではないものがじりじりと湧き上がってくるのを感じる。


「秋山の目……」


 あんな色だったっけ?


『ユキ―!!!』


 思わずスマホを思いっきり耳から遠ざけた。しないはずのハウリングが頭の中で鳴り響いたような気がして、なんだか頭が痛くなってきた気がする。


「アル……」


『うんそう!ユキ!アルだよ!ちゃんと電話できた!』


「そう、ヨカッタネ……」


 電話口の向こうでアルが嬉し気に笑う気配がする。本当に、どんな小さなことでも私に報告してくるのである。様子がまるきり子供なので少しおかしい。


 アルのスマホはつい最近、菅原さんから(というかつまり機関から)買い与えられたものらしく、ここ数日は随分と悪戦苦闘していた記憶がある。それこそ健太君にからかわれながら教えてもらっていたような。


 テレビの操作も最初は不慣れだったし、案外機械の類は苦手なのかもしれない。魔王らしからぬ素朴な弱点がちょっと微笑ましい。


 それはいいとして。一体今この時の用件はなんだ。苦手な電話をしてくるほどとなるとよっぽど火急の用でも緊急事態でもあったのか。


『暇!!!』


「なんかそんな気はしてた」


『ほんと!?僕の考えがわかっちゃうなんて、やっぱりユキはうんめいのひとだね!』


 アルの語彙が少しずつ増えている。これは多分韓国ドラマの影響かな。ネトフリをテレビに映すスティックを最近設置したので絶賛視聴中のはずだ。


 こないだはバーフがバリってるあれを見て弓矢のアレ(廊下の戦闘じゃなくて巨大なファイヤーの方)を再現しようとしてたから本気で止めた。実現できるだけにやりかねん。


 まあ、いろんなものを見まくって昼ドラ語彙を押し流してくれたらいいと思う。閑話休題。


「あのね、アル。今ちょっと忙しいの。用がないなら切るよ」


『やだ!今すぐ帰ってきてよユキ!じゃないと僕きょうはくしんけいしょーになっちゃうよ!』


「どんな脅し文句よ」


 某潔癖症探偵のドラマでも見たな。溜息を吐いて、アルにゆっくりと言い聞かせる。と言っても内容はさっきと同じで、今すぐには帰れないし、しばらくいい子で留守番していてほしいと言うことだけ。


 しかしアルは案の定私の言葉に嫌を繰り返すばかり。なんだか段々イライラしてきて、思わず少し強めの言葉が口から出そうになる。


 が。


『だって、さびしい……』


 口を閉じた。まさしく迷子の子供のような、頼りない声音で返事をされると、さすがに何も言い返せなくなる。


 口から出るのはため息ばかり。いつもならそんなもの気にせずしゃべるだろうアルが、こちらを伺うように沈黙しているのが勝手にこちらの罪悪感を煽る。


「……アル。あのね」


 今日はちょっと帰れないけど、明日は絶対早く帰るから。それでいっぱい遊んであげる。どうかな。


 今この場で出せる私の精一杯だった。その提案を口にしようと、私は電話口に向かって口を開きかけた。


「一ノ瀬、大丈夫か?」


 突如として肩に感じる手の感触。かけられた言葉。

 いつにないくらいに動揺して、勢いよく振り返る。


 雑踏の光を背に、秋山が立っていた。


 心配になって様子を見に来てくれたのだろうが……そこまで気にするほど長時間、電話をしていただろうか?通話時間を見るとまだ精々二分ほどしか経っていないのに。


『……今の声だれ?』


 別の意味で背筋が凍った。


 耳に電話を押し当て、通話口を手で覆う。


「ダレモイナイヨ!今ここ騒がしいから通りすがりの人の声が入っちゃっただけだヨ!!!」


「おい、一ノ瀬どうしたんだ?何か揉めてるのか?」


『……おとこ』


 やばい。アルの電話口の方からみしって音が聞こえたような。また握りすぎで壊す気じゃないだろうな。配給初日でぶっ壊してたから気を付けなさいって言ってあるのに!


『ユキ。男の声だよね。どこにいるの。誰といるの?』


「機関!機関の人!ちょっと大事な打ち合わせ!というわけでもう切っ」


「なあ、一ノ瀬。それでさっきの話の続き……お前と特別な関係になりたいって話、考えてくれたか!?」


「おぼろろろろ」


 そんな話してましたっけ!?


 ちょっとそれっぽい雰囲気は出てたけど、そこまで五百足飛びに発展した話まではしてなかったと思うんだけど!


 ていうかそもそもなんで今言った!?どう考えてもタイミング的にそんな空気じゃないし!秋山ってこんなに突拍子もないことするやつだっけ!?


 目を剥いて振り返った先、秋山はやはりそこに立っている。雑踏の明かりを背にしたせいで、顔には暗く影が差していて……。


 目が青色に光っている、気がする。


「……秋山、目」


 そんな感じだったっけ。


 私が疑問を口にするより先に、手に持ったスマホから声がした。


『ユキ。-動かないでね』


 何が、と確かめる間もなかった。突如ぴりっとした軽い振動が体に走った……と思った、次の瞬間。


 背後で破砕音が鳴り響いた。


 路地は小さく人通りが少ない……というよりない。ビルとビルの隙間、夜になると暗がりがより一層不気味に恐怖を誘う。


 その深淵な闇のはざまに、突如として降り立った影。


 どういう仕組みか。どういう御業か。まさしく跳んできた、としか言えない動作で、足から地面に降り立って、膝を曲げて衝撃を吸収し、そして吸収しきれなかった衝撃はコンクリートに流れて壊れていった。


 影がゆっくりと起き上がる。暗闇の中でも鮮烈に輝く赤色の瞳。


 言わずもがな、アルであった。


 ―あっ。終わった。


 思わず乾いた笑い声が出た。何かもう泣きそう。


 私魔王さん、今あなたの後ろにいるのってか。メリーさんだってもう少し段階踏んで近づいてくるのに。


 警告から一秒足らずでまさしくひとっ跳びしてくるとか、相変わらず規格外にもほどがある。


 アルは赤いその瞳をぎょろりと蠢かせた。まず私に視線を向けて、そしてその向こう…私の向かいに立つ人影を認めた。


 アルの顔が盛大に歪む。もちろん不愉快さを表す表情へ。そして。


「え」


 風が吹いた。私の顔のすぐ真横、何かが高速で通り抜けたような感覚が。


 感覚じゃなかった。


「……」


 アルの身体から腕が伸びている。伸ばしている、ではない。伸びている。


 文字通り通常の人間が出せるはずの長さを超えて、アルの腕が伸長していた。


 最早腕、と言っていいものか。アルの顔は未だ白磁のような美しい肌に覆われているが、私の体の横に伸びているこれは真逆の色をしている。


 黒い。路地の暗さに紛れるような黒さ、というかまさしくまぎれていて全体像が把握できない。


 一体如何なる形状をしているのか、どんな表面の質感なのか、その他諸々。何もかもが感知できなかった。だが、それでもわかることが一つ。


 この腕は私の顔の横を通り抜けて伸びている。

 私の体のすぐ後ろで途切れている……なんて訳がない。アルが何を狙って体を伸ばしたのか。私の後ろに誰がいたのか。答えなんて一つしかなかった。


 まさか。


 私は無我夢中で振り返った。路地の先、雑踏に繋がる道の境目。


 秋山がそこに倒れていた。


「あああああ秋山―!」


 慌てて秋山に駆け寄った。案の定アルの腕は私の体のずっと先、秋山の体の近くまで伸びていた。まずい。まさかこれが秋山の体を貫通して……!


「あ、あれ?なんともない?」


 駆け寄った先の秋山には特段何の外傷も認められなかった。腹にぽっかり風穴があいているとか、顔が半分なくなっているとか、そういう最悪の状態ではない……どころか、何もない。


 口元に手を当ててみたがかすかながら確かな呼吸が感じられる。うつぶせの胸も上下運動を繰り返していて、命に別状はなさそうだった。


「え、なんで。アルの腕にも何もついてない……」


 アルの腕は予想通り、私を通り越し―ちょうど秋山が立っていた位置にまで伸びていた。


 だけどただそれだけだ。血どころか服の欠片だの破片すらついていない。どう考えても秋山の体を攻撃したとは思えない。


「ユキ。動かないで」


 アルの腕がしなった。


 ぐにゃりと、良くしなる竹のように一度大きくたわんだと思うと、その後は見えなくなった。


 私の目じゃ追い切れない速さで動いたんだろう。関知できたのは危険を知らせるアルの声と、頭上で何かが打ち付け合う音だけだった。


「ひえっ!?あ、アル!?なに!?」


 何が何だかわからないまま、私を守るように立ちふさがったアルに呼びかける。いつもならすぐに私の声に答えて振り返るはずのアルは、何故か強く路地の先の影を見つめていた。


 路地の暗いくらい闇の中、鮮烈な青色が輝いている。


 あれ。


「秋山の目……」


 そこにあった色に似ている、ような。


「あーあ、バレちゃった。なんでわかったの?」


 聞いたことがない声だった。


 いや、声と言うのもおかしいかもしれない。言葉なのかもわからない。


 何を言っているのか理解できないのに、何が言いたいのかわかる。

 頭の中に直接意味を叩きつけられているかのような感覚。


 そうだ。これはアルと初めて会った時の。


 目の前で青い光がより一層強く輝く。眩しさに目を瞑ったあと、次に開いた時。


 目の前に謎の少年が出現していた。


 きらきらと輝く金のおぐし、傷なんて一つもない玉のような肌。人間とは思えないほど対照的に整った顔のパーツは、かえって恐ろしさすら掻き立てる。


 そして、その顔の中心に据えられた、青く輝く宝石のような瞳。


 空と海と花と宇宙と、この世全ての美しいとされる青色をかきまぜたような鮮烈な青色だった。


 秋山の瞳からちらちらとのぞいていた光に、似ている。


「こっちを確認するまでもなくノータイムで攻撃してきたじゃん。電話の時にすでに気づいてたってこと?おかしいなあ、しゃべってたのはあの体の声帯だし、俺だってバレる余地はなかったはず」


 少年はアルに向かって何かを喋っている。しかし、それを最後まで聞くことは叶わなかった。


「うわ」


 また見えなかった。気が付いたらアルの腕が少年の立っていた地面に突き刺さっている。


 少年はビルの外壁に立っていた。


 完全に重力を無視して壁に垂直に立つ少年は、その青い瞳を瞬かせている。


 そして、次の瞬間にはにやりと微笑んだ。


「なーんだ。そういうこと。……はは、傑作だよ魔王!」


 少年らしからぬ老成した、年月を感じさせる笑い方だった。それがあどけなさを残す少年の造作の上に現れるのだからアンバランスでたまらない。


 少年の人間離れした美しさと相まって、その顔はより一層凶悪に見えた。


「おっと」


 また見えなかった。今度は少年の立っていた位置にアルの腕が突き刺さる。みし、とビルが鳴いた。


「怖い怖い!仕事は終わったし、それじゃあ退散させてもらうよ!じゃあね、魔王。おねーさん!」


 少年はそう呟くと、一段と強い光を放った。何かが空気を掠める音。またアルの腕が降りぬかれているのだろうか?


 次に目を開けた時には、もうそこに誰もいなかった。


「今の、何……?」


 答えてくれる声はなかった。

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