第14話

「いやあー、でもラップって男の世界だと思ってたよ。購買層想定二十代女性向けなのによくその企画通ったよねー」


「最近若年層の間で流行ってるんですよ。火付け役のコンテンツがちょうど盛り上がる時期だったんで、それに合わせてって感じの企画ですね」


「へぇぇ。娘に訊いてみようかなあ。口きいてくれるかわかんないけど……」


 主任はパソコンを前に項垂れた。ちょうど思春期真っ最中の娘さんとの会話に主任は四苦八苦しているらしく、たびたびこういう話を耳にする。私自身も似たような時期には結構やらかしていた自覚があるので何とも言えない。時間が解決してくれるかもしれませんから、の意味を込めて苦笑いするしかなかった。


 うららかな春の陽気に満ちた昼下がりのオフィス。私と主任は窓際のデスクで向かい合って仕事していた。


 私側の窓には薄く隙間の空いたブラインドが下ろされており、対して主任側は陽光が差し込むがまま。


 眩しいのではと聞いてみたこともあるが、これが心地よいらしい。おかげさまで主任の脇からは階下の景色が良く見えた。


 カチカチとキーボードを軽く叩きつつ、主任がまた口を開く。


「いやー、にしても最近は本当に色々様変わりしちゃうよね。情けないけどたまについていけないことが多くて……」


「あー、まあわかります。でも主任は大丈夫じゃないですか?それこそこういうパソコンもあっさり順応しちゃったって言ってたじゃないですか」


「そんなことないよ。パソコンは運よく僕の性にあってただけだし。今だって一ノ瀬さんみたいな若い女の子と話すと何がセクハラかわからなくてちょっと怖……あっ!こういうのもセクハラになっちゃう!?」


 うーん、セーフかアウトかで言うとちょっと危ういかもなーという発言だけど。まあ主任のこういう感じは今に始まったことじゃないし。それに主任や同年代の男性がそういう心配を抱くのもわからないでもないのだ。だから私はただ軽く笑って、大丈夫ですよ、と答えようとした。


 アルがいた。


「……」


「やっぱり俺時代についていけてないのかなあ。こないだも娘にお父さん古臭いって怒られちゃって……一ノ瀬さん?」


 アルがいる。窓の外。主任の隣、ブラインドの降りていない窓の外で、どうしてかその場に突っ立っている。そう。現在ここはビルの五階に位置しているが、その場で静止している。


 アルの視線が私の前に向けられた。


 そこにいるのは当然、私と向かい合ってデスクに座っている主任である。未だになんだかあわあわしながら何事かしゃべっている主任を見て、アルは一度目を伏せると。


 手のひらにエネルギーを集め始めた。


「私に話しかけないでください!!!」


「話しかけるだけでアウト!?」


 はっとした。いかん。やってしまった。主任が青ざめた顔でこちらを見ている……!


「ち、違うんです!これはその、言葉のあやというか、伝え方の問題というか」


「その言い方だと話しかけるのがアウトなのは真実みたいに聞こえるけど……」


「うっ!あ、いやいや、そういう意味ではなく」


 アルの手のひらの中のエネルギーが爆発的に大きくなった。眩い赤色の光が漏れだし、窓から差し込んでくる。


「ん?なんか赤くない…?」


 異変に気付いた主任が顔を横に向け始めた。当然そこにいるのは空中に静止したままのアルの姿……。


「主任!昨日テレビでやっていた超珍しい気象現象の話していいですか!?」


 光の速さで窓に駆け寄り、一気にブラインドを引き下ろす。急な私の動きに主任がぎょっとして身を引いた。


「い、一ノ瀬さん!?なんで急にブラインド閉めたの!?ていうかヤバイ落としたけど壊れたんじゃ」


「嵐が近づく際に見られる激レア現象なんですが雷から放電したエネルギーによる発光現象をスプライトと言うんだそうです!ちょうど赤い光として見られることもあるとか!いやーこんなすぐに見られるなんたる幸運!ちょっと観察してきますね!!!」


「急に早口過ぎない?」


 茫然と呟く主任の横をすり抜けて、オフィスから外に出ようとする。やばいやばい。早くアルを止めに行かないと……!


「ちょっとちょっと待って一ノ瀬さん!?いったいどうしたの!?大丈夫!?」


 背後から主任の声。振り向くと、主任が私を止めようと手を伸ばしていたところだった。

 あからさまに挙動不審な私を心配して、とりあえず手でも掴んで引き留めようとしているんだろう。

 主任が私に触れようとしていることは誰の目から見ても明らかだった。そして。


 ブラインドの隙間からものすごい勢いで赤い光が漏れだした。


「私に触ると死にますよ!!!」


「火傷通り越して死への直送便なの!?」


 オフィスは一時騒然としてしまった。

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