第三話 テヅルモヅルはウニみたいな味がするらしいですよ
第10話
ところで、皆さんも不思議に思ってはいないだろうか。
あまりにも当たり前のように言われるからスルーしてたけど、そもそも魔王って何?
至極真っ当な疑問である。魔王。この言葉から連想するものと言えば……世界の半分をお前にやろうとか、恐怖でこの世を支配してくれるとか、そういうファンタジーなセリフである。
そう。ファンタジー。空想なのだ。あくまでも想像上の存在であって現実ではない。現実に魔王が存在するなんてありえない。『魔王』に対する認識は大体こんなものだと思う。
しかしアルは現実だ。突然私の前に現れて、私の隣に住み着いた災害。声をかければ振り返り、呼びかければ駆け寄ってきて、触れると熱があり実体がある。そして私に抱き着いてくる。苦しい。やめて。
話が逸れた。とにかく、アルは現実に存在する私の隣の大災害だ。
名前に魔王とついてはいるが、事実目の前に存在している。
空想上の生き物でもファンタジー世界の住人でもない。人知を超えた力を持ち、謎の思考回路で私を慕い居座っている、現実の存在なのだ。
だったらそれは何なのか。生物か災害かそれ以外か、どういう力を持っているのか。どこから来てどこへ向かい、そして何を目的にしているのか。
未知の物事を前にして、それを知りたいと思うのは至極自然な欲求だろう。
当然私も知りたくなった。魔王とは一体何なのか、アルは一体どこから来たのか。超常の力を備え人間の理解を超えた規格外の存在。しかも自分の隣に住み着いている。これで知りたくならない方がおかしい。
私は疑問を抱き、そしてそれをそのままぶつけた。
魔王について一番詳しく知っているだろう、機関の人-要するに菅原さんに。
しかし。
「わかりません」
菅原さんから帰ってきたのはその一言だった。
「わからないんですか!?」
「ええ。わかりません。我々は魔王について何にも知りません。まだテヅルモヅルの生態の方がわかっているぐらいです」
「テヅルモヅル」
「こちらです」
「うわこっわ!これが魔王ですか!?」
「違います。魔王はあなたの隣にいる災害です」
菅原さんは手にとった本を閉じた。
なんでそんなのがすんなり出てくるんですかと聞いてみたが、何事も聞こえなかったのかのような涼しい顔でスルーされてしまった。相変わらず表情筋が死んでて本気か冗談かわからない。
「この国の場合、遡れる最古の記録が千三百年ほど前でしょうか。当時の木簡に魔王によるものと思しき被害の記録があります。その後も魔王は歴史上様々な文書に記録されている。明治に入り機関の研究者がそれら記述を蒐集しましたが……千三百年前から現代にいたるまで、この国においては魔王災害が幾度か発生しているようです」
「幾度か?そんなに魔王って発生してたんですか?」
「ええ。と言ってそれは平均して一世紀に一、二回。ちなみに魔王災害は世界中で発生していますが、他の地域での発生頻度も似たようなものです」
菅原さんはよどみなく語った。流石魔王に対処するための専門機関であるだけに、知識はすでに頭の中に入っているらしい。と言って特段それを誇るでもなく、菅原さんは淡々と話を続けた。
「一世紀に一、二回と聞くと少ないように感じますが……機関の長い歴史から考えれば、会敵の機会は決して少なくなかった。魔王との因縁は遥か古代にまで遡る。観察のチャンスはいくらでもあったのです」
「え?じゃあなんで情報がないって」
「研究しようと近づくとその人間からまず蒸発するんですよね」
「ヒッ」
思わず本気の悲鳴が漏れた。冗談ですよねという期待を込めて菅原さんの顔を覗き込むが、菅原さんの表情は変わらない。
死んだを通り越して腐り始めた魚のように輝きの無い瞳と目が合い、より一層顔面が引き攣った。
「どれだけ会敵の機会があったところで、近づけなければ観察もできない。サンプル採取などもってのほか。視認できる距離に近づいた途端人の原型を留めていられなくなります。というわけで我々の持つ一番詳細な記録は『魔王に近づいた人間が如何にして死ぬか』のデータです。聞きますか?」
「結構です結構です結構です」
「そうですか。残念です」
何が残念だ。むしろよかったと言ってほしい。興味津々でそんなものを聞きに来たとしたら、そいつの精神に何かしら重大なエラーが起こっている証だろう。
残念と言ったわりに少しも残念がっていない顔のまま、菅原さんは話続ける。
「我々はわからないなりに解明の努力をしようと情報の共有を始めました。それにあたっては固有名詞に情報を紐づけ集積・管理したほうが都合がいい。というわけで機関の発足時、前身となる神秘研究集団ごとにばらばらだった呼称を統一、わかりやすい表記に改めました。それが……」
「ああ、あの長い名前。世界終焉……自然薯……違う……えーと」
「世界終焉自然発生型呪厄災害十三号です」
それそれ。長すぎて出てこなかった。菅原さんも長いということに同意するかの如く、うんうんと頷いた。
「正式名称を決めたはいいものの、長いうえにわかりにくいので全く浸透しませんでした。今の一ノ瀬さんのように。結果として十三号はその有り余る破壊力から『魔王』というあだ名をつけられ、それが定着してしまった……というのが現在の魔王に関する全てですね」
「全てですか」
「ええ。全てです。これ以上のことは何もわかりません。魔王に近づいた人間が如何にして死ぬか以外は。聞きますか?」
「それはほんとにいいです」
どうして菅原さんはやけに魔王に近づいた人間の死にざまを教えようとくるのか。本気で聞きたくない。それで喜ぶヤバい奴だと思われているのだろうか?
「一応我々もその正体や起源について仮説らしきものを立ててはいますがね。かなり突飛な説にはなりますが」
「さ、最初からそういうのを教えてくださいよ!死にざま総集編ではなく!」
「そちらの方が一ノ瀬さんにとって有益かと思いまして」
「菅原さんの中の私どういうイメージなんですか!?」
「ノリと勢いで魔王を保護し人間性を半ば奪われかけておきながら平然と馴染んでいる特級災害レベルにヤバ……すごい女性です」
「今ヤバいって言いかけましたよね?」
大体取り繕う前から言葉に棘があるんだよ、棘が。そりゃ私があんなことしたせいで今こんな状況になってるけど、もう少しこう、手心をですね。
しかし、菅原さんの顔は永久凍土よりなお頑なだったため、私は途中で食い下がるのを諦めた。人間あきらめが肝心である。多分菅原さんの表情を変えると書いて不毛と読むのだろう。
溜息を吐いて姿勢を戻すと、私は菅原さんに話の続きを促した。
菅原さんは一度かすかに頷くと、メガネの蔓を持ち上げて位置を正した。
「かしこまりました。魔王の正体、それについて機関で立てられている仮説。我々はこれを『アーキタイプ仮説』と呼んでいますが……今から解説いたします」
「アーキタイプ仮説?」
なんだか随分と仰々しい言葉が出たな。まあそれも今後解説してくれるんだろう。私はそんな呑気なことを考えていた、のだが。
「さて、一ノ瀬さん。まずは大洪水の話から始めますが」
「えっ?」
大洪水?
突然どうしたんだろう。今は魔王についての話をしていなかったっけ?なんで突然水害の話が。私がそう口を挟む暇もなくそれは始まった。
「キリスト教に見られるノアの箱舟の逸話ですね。世の荒廃を嘆いた神による地上の一掃と、唯一難を逃れた人間の逸話。しかし、この逸話というのは何もキリスト教に固有のものではないことが近年の研究でわかってきました。大水と難を逃れる人間というモチーフは各地の神話伝承に頻繁に見られるものです。インド、ギリシャ、ゲルマン…中でも特にメソポタミア・シュメールの伝承はキリスト教のそれとの共通点が多く報告されています」
滝のように流れる菅原さんの早口。突然始まった怒涛の神話学講義に私の頭はフリーズした。その私の反応をどうやって解釈したのか知らないが、菅原さんは止まらなかった。
「この傾向は何も洪水伝説だけに限った話ではありません。日本神話の中にはイワナガ姫とコノハナサクヤ姫の二者択一により人間の短命が決定づけられるエピソードがありますが、東アジア周辺で同様の類型の神話がみられる。これらはバナナ型神話と呼ばれています。そのほか、神の死体から食べ物が生まれるハイヌウェレ型神話、定期的に女性のいけにえを要求する蛇の怪物とその討伐譚のペルセウス・アンドロメダ型神話……。我々の想像以上に、各地の神話と言うのは共通項を持っているのです」
「は、はあ。そうなんですか。あの、これ魔王になんの関係が…」
「神話と言うのは時代や地域を超えて奇妙な符合を見せることがある。一般的には当時の人々の交流や貿易により伝承・神話が伝播していき、それが各地での伝承に取り組まれて変質したのでは、と考えられています。しかしそうではなかったとしたら?例えば当時の人々が同じものを見て、その結果神話が似通った、という可能性も考えられるのではないでしょうか?」
「えーと……」
「もちろんそれは荒唐無稽な仮説です。世界中の人が同じものを見た、などとそんなことは通常あり得ない。そもそもこの説が正しい場合神話の大洪水が世界中を襲ったと言うことになりかねませんからね。じゃあなんで人間が生き延びてるんだよとか、超常現象の数々をどう説明つけるつもりだとか、ざっと考えるだけで馬鹿馬鹿しくなるほどの数の反論が考えられます」
「……」
私はこの辺から話についていけなくなってしまった。いやだって、急にこんな一気に流し込まれると思わなかったのだ。そもそもなんで魔王から神話の話が?
この話の着地点が分からず、私はとにかく流し込まれる情報の波に耐えていた。
「ところで神話につきもののものといえば……“悪”ですね。こと神話においては打ち倒すべき怪異、妖魔、敵対する神の類など、とにかく悪に事欠きません。まあ怪異妖魔の類を一面的に悪と即断するのはあまりにも愚かな無理解ですが、この場ではわかりやすさを優先しましょう。世界中の神話に見られる悪-キリスト教におけるサタン、日本神話に登場するヤマタノオロチ、ヒンドゥー教やその後仏教にも取り入れられていったマーラ、ギリシャ神話におけるメドゥーサにヒュドラ。神話はとにかく大いなる力を持つ怪物妖魔の類に事欠きません。もっと直接的に善神と悪神が対立している神話もある。勇者が大いなる怪異妖魔を打ち倒すという英雄譚的な筋書きの神話は、世界中に数多く存在します」
「ああ、はあ、そうなんですか……」
「ええそうです。というわけで世界中の神話伝承に見られる悪、その元ネタが魔王ではないか?というのが機関の出している仮説です」
「はっ?」
声が裏返った。ぎょっとした顔で見つめる私に対し、菅原さんはいたっていつも通り、冷静沈着なままだった。
「先ほどの通りです。各地の神話伝承には奇妙な共通点がある。世界中の人々が同じようなものを見て神話を形成していったためではないか。そして世界中の神話には悪と呼ばれる存在がつきもの…ということはその元ネタが魔王なのでは?それが機関の提唱する『アーキタイプ仮説』です」
「え……へっ!?せ、世界中の神話の悪の元ネタ、が、アル!?」
聞き流していたけどとりあえずそこだけ理解できた。世界中の神話に見られる悪-怪異、妖魔、悪神に悪魔。それらすべてのモデルがアルだと言う。
いや、いやいや。
「いくらなんでもありえないでしょう……世界中の神話の元ネタがアルなんて、そんなわけ」
「一ノ瀬さん。先ほど言った通り、魔王現象は今回一度きりの災害ではありません。そして一つの例外もなく甚大な被害を巻き起こしている。となれば、古代の人々が同じものを見、同じような被害に遭い、そして同じような伝承を残したとしても不思議ではないと思いませんか」
「ええ、と……」
ありえない、と確かに思っていたはずなのに。断固とした菅原さんの声音を聞いていると否定がし辛くなる。菅原さんは顔色を変えないまま、淡々とした声音で続けた。
「最初に言った通りこれはかなり荒唐無稽で突飛な説です。世界中の神話における悪にしたってバリエーションがありすぎて類型化できるものではない。共通点を探したところで無理やりなこじつけとなるでしょう。ですが……そんな説が大真面目に議論されるほどに、魔王というのは圧倒的な脅威なのですよ。アーキタイプ仮説が信じられなくとも、それだけは理解していただければ」
そう言って菅原さんは前を向いた。目の前にあるガラスの向こう、そこにある存在を見、強く眉をしかめる。
私は驚いていた。この人が感情を動かす場面を初めて見た。いつ見ても凍り付いたように動かなかったこの人の顔に、初めて感情らしきものが乗っている。それほどまでに魔王というのは脅威なのか。この人の感情を揺り動かしてしまうほどに。
驚きに打たれたまま、私もつられて目の前に視線を移した。私がここに来ることになった理由がいるはずの目の前を。
「……」
「……」
「菅原さん。さっき言ってましたよね。アルが世界中の神話の悪の原型だって」
「ええ。言いましたね。それこそがアーキタイプ仮説の中核なので」
「それを踏まえてもう一度聞くんですけど……。あの、菅原さんはこの人がそうだと本当に思いますか?」
そう言って私は目の前を指さした。そう。自分と菅原さんの前に立つガラス戸に向かって。
そこにアルが張りついていた。
ガラスにべったりと顔を張り付け、ぎりぎりと歯を食いしばりながら、菅原さんをこれでもかと睨みつけている。
背後から機関の人々が焦ったように駆け寄ってきているが、まあこの状態の魔王を止められるはずもない。皆顔を青くして手をさまよわせるしか無くなっていた。
……実は今日、今、この瞬間。私たちはアルの定期検査のために機関の研究所に来ていたところだったりする。
離れたくないとごねるアルをどうにかこうにか騙し、失礼、説得し、検査に応じてもらったのがついさっき。ガラス戸の向こうで検査を受けるアルを見ながらこの問答が続いていたのだが。
私と菅原さんが長いこと話しかけているのがお気に召さなかったらしい。
アルは不機嫌そのものの顔をして菅原さんにガンをつけていた。
ひらひらと軽く手を振ると、アルの顔が途端に嬉しそうに綻んだ。
先ほどあれだけ凶悪にしかめられていた目と眉は一斉に緩み、重力に従ってだらりと垂れる。
嬉しそうに緩んだ口が何度も同じ形に開閉する。多分、私の名前を連呼しているのだろう。
本当にわかりやすい。にっこり微笑んでもう一度手を振れば、アルの顔が喜びで満開になった。
そしてアルの顔はまた菅原さんの方を向く……と、すぐにまたその顔は不機嫌に逆戻り。
本当に先ほどと同一人物かと思うほどの勢いで、ガラス戸にべったりと額を押し付け、鼻息荒く菅原さんを睨んでいる。
アルの吐いた息のせいでガラス戸は一部激しく曇っていた。
ガラス戸を壊していないことが最早奇跡に思える。以前カフェの件で私にきつく言いつけられたことを守っているのだろう。
うんうん、偉い、ちゃんと我慢出来て偉い。大人しく検査を受けることはできなかったけどね。
背後でうろうろしている機関の研究員さんたちの顔がいよいよもって蒼白になり始めた。
私は改めて、隣の菅原さんに問いかけた。
「菅原さん。もう一度聞きますが……本当にアルがそうだと思ってますか?心から?この状態を見ても?」
菅原さんは静かだった。色付きメガネのその奥でも瞳は全く変わらない。
先ほど見せた強烈な顰め面もいつの間にか引っ込んで、今はいつも通りの無表情。
菅原さんの手がゆっくりと持ち上がる。かちゃん、と音を立ててメガネの蔓を持ち上げた後、菅原さんは徐に口を開いた。
「今日の社食は豚バラ定食なんですよね。楽しみだなー」
「現実逃避しないでください」
あの菅原さんでも動揺することがあるのか。正直ちょっと笑ってしまった。
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