第8話

私は頑張った。とにかく頑張った。


 もう本当に本当に嫌で嫌でしょうがなくて、視界にすら入れたくなかったけど、歯を食いしばって耐えた。


 だって同じ空間に存在してる方が嫌だった。一刻も早く目の前から消え去って欲しい。同空気地雷、いや同次元存在地雷である。


 やつばらの死体を入れた袋を有無を言わさずゴミ捨て場へシュート。超エキサイティング。んなわけあるかむしろファッキンだわ。お前自身をシュートしてやろうか。


 流れるように掃除機ぞうきんがけクイックルワイパー消毒リセッシュまでの一連の行程を終えて、私は額の汗を拭った。


 よかった。魔王は去った。世界は平和になったのだ。

 朝の爽やかな日差しに祝福されながら私はほっと息を吐いた。


「ユキ、ごめんなさい…」


 いや魔王まだ居るわ。本物の方が。あいつとは全く違うというか、一緒にしちゃうと可哀想すぎるけど。


 言わずもがなアルである。


 私の隣に住み着いた災害、世界を破滅させる破壊の大魔王……そんなアルは今、私を見てしゅんと項垂れている。


 恐る恐る私の顔を上目遣いで伺いつつ、アルはこんなことを言った。


「前にあいつを撃退したとき、ユキすごく嬉しそうだったでしょ。だから今回も見せたら喜んでくれると思って……」


「……」


 あ、あー……。


 頭の中では運命のオーケストラが盛大に鳴り響いていた。かつて大学への進学を駆けて親と一世一代の大喧嘩をした時と同じ心境である。


 四つん這いの状態で床に手を突いて、私は深く深く項垂れた。


「ゆ、ユキ!どうしたの!?あの、あれだっけ、お腹痛いの!?」


 急に座り込んだ私をアルはおろおろしながら見つめている。つい最近、人間は不調でお腹が痛くなったりすることを学んだらしく、しきりにそればかりを繰り返している。


 身長180センチを優に越える長身の成人男性(見た目だけだが)がこんなふうに動揺しているのは相変わらず見慣れなくてむずむずする。私は早々に顔をあげた。


「怒ってないよ……。退治してくれたのはすごくすごく、すごーく嬉しいから!」


「ほ、ほんと!?ユキ怒ってない!?」


「怒ってない怒ってない。ありがとうアル。すごく助かった」


「やったー!ユキ、褒めて褒めて!」


「よーしよしよしいいぞーアルかっこいいぞー」


 私と同じく屈んだままのアルの頭をわしゃわしゃとなで回す。

 アルは至極嬉しそうに笑った。


 折角の絹糸のような髪が乱れていくが、全く気にした素振りがない。


 元々人間じゃないし、私の脳内領域から抽出した好みの姿を模しているだけだから、自分の見た目はどうでもいいんだろう。アルのこういう所を見る度人間じゃないことをひしひしと実感する。


「でも出来れば私に見せに来るのはやめて欲しいかなー。死骸も苦手なのよ」


「じゃあユキ、あいつ殺すなら跡形も残らない方が良い?」


「そうだねー。塵も残さず!みたいなの出来たら最高だなって思うよー。まあそんなの無理なんだけどねー」


 言いながら、ひとしきりなで回したアルを解放した。アルの髪の毛は随分とぼさぼさになって乱れているが、やはり全く気にならないようだ。満足そうにふんすふんすと鼻を鳴らしてご満悦である。


 ああよかった。機嫌は直ったらしい。なにぶんアルが不機嫌だと何をしでかすかわからないので、私の心と体の安全を保つためにも常に上機嫌でいてもらいたいものである。


 その観点からすると、アルはすぐに機嫌が直るので扱いやすくて結構だ。ちょっと褒めればころっと上機嫌になって、適当に一緒にいればすぐに幸せオーラ全開になり始めるし。


 アルが単純でよかった。私は密かに安堵の息を吐いていた。


「とりあえず朝ご飯食べようか。今日のご飯は何がいい?」


「めだまやき!めだまやき!パンに載せて食べる!」


 興奮するアルを手で制しながら、朝食の準備をする。

 とりあえずよかった。朝にとんだ騒動にあってしまったが、今日は一日平和に過ごせそうだ……。


 窓から差し込む暖かい日差しを眺めながら、私はそんなことを考えていた。

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