第4話

「うん。それじゃあこれにしようかな。着付けを頼むよ、アン」


「承知いたしました」


 シャルル様の声を聞き、私は再度のこの人の前に立った。今着ているゆったりとしたガウンを脱がせていく。


 着替えの準備程度で照れるような間柄ではない。そもそも私はメイドだ。シャルル様が使用人相手に恥じらう道理もなければ、私がそのお姿を見て何を思うことも許されていない。仕事、職務、当り前のことなので、私もシャルル様も何一つ文句を言ったりはしなかった。


 大人しく着替えの準備を受けているシャルル様と、それをお世話している私。黙々と作業していればほどなくして着替えは終わった。


「どうぞ。シャルル様」


 姿見の前に誘導する。シャルル様は上から下まで自分の姿を眺めると、ゆっくりと頷いた。


「流石だ。完璧だよ。ルンペル大公の趣味にも合う。小物の選定も任せていいかな」


「ええ、もちろん。そのためにここに居るのですから」


 クローゼットの中から出て、シャルル様の装飾品を保管している棚を開ける。先ほどからずっと頭の中で考えていた組み合わせを思い出しながら装飾品を手に取った。ベルト、絹の靴下、飾りボタンにブローチ。私が手にしたそれらを見て、シャルル様はその美しいかんばせを緩ませる。


「やっぱりこういうことは全部アンに任せて正解だね。僕を一番きれいに着飾ってくれる」


「……もったいないお言葉です。シャルル様」


「もったいなくなんか。僕は本当に君のことを大切に思っているんだ。ずっとずっと昔から、僕の世話をしてくれて……引っ込み思案で臆病だった僕の手を引いていろんなところに連れ出してくれた。僕は君を愛している」


 ああ、また例の悪癖が出ている。私はぐっと唇を嚙んだ。


 本来のメイドはここまでしない。私のように賤しい身分の女は貴族の子弟のお付きになどなれない。身の回りの世話は下男がし、そして細かい作法や調整が必要な事項については執事が執り行う。今回の衣装の選定などは、それこそ執事の領分だ。


 メイドはあくまで屋敷に付くもの。上司はメイド長たるハウスキーパー。そして仕事は家の管理と、それに伴う雑事だ。お家を取り仕切る旦那様とその家族……ましてとっくのとうに成人した男性であるシャルル様には、本来お目通りなど叶うはずもない。


 だけど、私とシャルル様は特例だ。執事も下男もばっちりいるが、私はその職務を一部担当している。


 それは私の出自に関係すること……よりはっきり言ってしまえばなし崩し、更に言うなら単なる惰性だ。昔からずっとこうだったからというだけ、何かしら特別な意味を持つものではない。この人はきっとそれをはき違えている。


 愛してるの言葉だって、その勘違いにこの人の悪癖が乗っかってしまっただけの、何の意味も持たない言葉だ。


「……ええ。そうですね。そして私もシャルル様をこの世ただ一人の主人と定めて生涯お仕えすると決めております。あの地獄からあなた様が連れ出してくれたあの日から、そして旦那様と奥方様が私をこの家に置いてくださったあの時から。私はこの家に、何よりあなた様に尽くすと決めております」


「じゃあ」


「です!から!こそ!私はシャルル様を立派な貴族として独り立ちさせねばなりません!それがこの大恩ある公爵家、そして何よりも私を救ってくださったあなた様に対する唯一度のご奉公にして私の責任ですから!だからシャルル様……私を使用人として愛していると言うのなら、その思いを受けてご立派に縁談を成立させていただきたく!」


 しゅばばばば、と何だか音が出そうなぐらいの素早さで、シャルル様の身なりを整えていく。


 シャツ、ベスト、ジャケット、首にはジャボ―要するにひらひらした襟飾り―、絹の靴下、仕立ての良いスラックス。ベルトにソックガーター、ブローチにアクセサリー。あくまでさりげなく、それでいてお洒落に。


「……はい。できましたよ、シャルル様」


 そっと背を押してシャルル様を姿見の前にお連れする。金髪、碧眼、すっと通った鼻梁、それらを美しく引き立てる装飾品の数々に特注品のお仕着せたち。美しい。当り前だ。この人を着飾ることにかけて、私よりうまくできる人はいない。シャルル様に言われるまでもなく知っている。だってずっと見ていたのだから。この人のことを。


「うん。ありがとうアン。いつも通り完璧な仕上がりだ」


「ええ、もちろん。なんとしてもご令嬢のお心を掴まなければなりませんから。これぐらいは当然です」


「そうだね。君はいつでも僕を一番よく理解してくれているよ。ありがとう。愛し―」


「はいはいそれはもういいですから!早く行きましょう!」


 外ではもう馬車が待ち構えている。本日の縁談は向こうのお屋敷、大公家での会食の形式をとっている。嫁探しとは言うが階級的にも格的にもあちらが上。こんなところにもそれは現れているのだ。万が一にも遅れるなんて失態を晒してはいけないと、私は身なりが崩れない程度にシャルル様の背を押した。


「アン。聞いて。僕は本気」


「カーティス様!それではシャルル様のことをよろしくお願いいたします!」


「無論だ。任せておけアン。この筆頭執事カーティス、今日こそは無事に縁談を終えて見せる……!さ、行きますよ、シャルル様!」


 ばたん!


 シャルル様のお部屋の戸が閉まる。筆頭執事のカーティス様に連れられて、シャルル様は無事大公家行きの馬車に乗せられているだろう。その途中でもカーティス様や通りすがる使用人、そして馬車の御者にすら告白しているに違いない。ありありと想像できる様に思わず乾いた笑いが漏れた。


『アン。聞いて。僕は本気』


「人の気も知らないで……」


 ポツリと呟いた言葉は、誰にも届かずに部屋に響く。


 愛してるだなんてどの口が言うのか。誰にでも振りまく安い言葉なんか貰っても嬉しくない。だって私は、本当に。


「……不毛だわ」


 メイドと貴族。最初から叶うはずもない。だからこの気持ちは墓場まで持っていくと決めている。もとより一度死んだような身だ。あのお方に拾われた命なら、身も心も全て尽き果てるまで捧げるまで。


 だからこそ、彼の人としての幸せを……公爵家の恙無い存続と、ふさわしい身分のご令嬢との安泰な結婚を。私は全力で支えなければいけないのだ。

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