第157話



ドクンドクンと嫌な音を立てる心臓。

ここまで聞こえるグラウンドからの声援。

そんなものもだんだんと聞こえなくなっていく。






────“仁、愛してる”




────“俺のことを愛してるって言え”








もういないアイツの声が聞こえる。

脳にこびりつく嫌な声。



何度も口内を犯され、繰り返される終わることのない行為。

あの時の嫌な血と汗と精の匂い。



ここは違う。学校だ。

大丈夫、大丈夫。



心を落ち着かせるために言い聞かせる。

しゃがみこみ、腕で自分の身体を抱き締めて震えを止める。



『……うっ』



それでも抑えることの出来ない吐き気。



「おい!どうしたんだ」



誰かの声が聞こえる。

目だけを声のした方に向ける。



怪訝な目をしながらも、俺に駆け寄ってきたのは灰原だった。



「気分が悪いのか?立て」



手が伸びてきて、身体が強ばる。

それに伴って吐き気も増す。



『ううっ』



それを分かっていながらも、俺の腕を引っ張り歩き出した。



階段を下り、向かった先はトイレ。

男子トイレの個室に入れられる。



男子トイレだろうが女子トイレだろうがそんなことどうでもいい。

もう我慢も限界だったから、とても有難い。



『うううっ……うえっ……はあ……うっ』



灰原は意外なことに俺の背を擦ってくれていて、それがすごく心地よかった。



朝食べたものも全て吐き出し、胃液だけになっても吐き気は止まることはなかった。



やっと収まったと思ったら、俺の代わりにトイレを流し、洗面台まで運んでくれた。



うがいをして、水が流れるのを見ていたら落ち着くこともできた。



『ありがとう……助かった』



「ああ。」



トイレを出てグラウンドに戻るが、席とは逆の方へ進んでいく。

立ち止まった俺を振り返ると「ついこい」と一言言ってからまた歩き始めた。



黙ってついていくと、自販機の前で飲み物を買う灰原。

出てきたペットボトルを此方に投げてきた。



「ほら」



『…………お金』



それをキャッチして見ると、お茶だった。

タダで貰うのも悪いし、兄貴から金銭関係はしっかりするように言われている。

ポケットから小銭入れを出して、お金を払おうとした。



「いらない」



『…………ありがと』



わざわざ買ってくれる優しさに、正直今までの奴とは別人に思えて困惑している。



近くにあったベンチに腰を下ろす。

隣には灰原も座る。

貰ったものは有り難く頂いて、ゴクゴクと喉を潤す。



もうすでに長距離走は終わり、パン食い競争が行われようとしていた。






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