第0―8話 反故④

「おい、何してっ!」

「掃除が大変ですから血を吸わせているのです。この刀は生命を血液を魔力を吸い取る。魔力殺し、無還の刀でありながら、別名、吸血の刀でもあるのです」


 その刀はまるで生き物のように男の血液を一滴残らず吸い尽くした。白銀の刀剣は僅かに赤みがかっていて妙に生々しい。残ったのは皮に包まれた骨と肉だけになっていた。


「それで、何か不服に思うことでもありましたか?」


 無残な肉団子になった死体を見つめて少女が言う。


「それで、何か気に障るようなことをしましたか?」


 少女は鞘に収めるかのように具現化させた刀を消し去った。


「いや、だって……それは君と僕が決めた約束事だっただろう!」


 雄臣は声を荒げ、煮え切らない表情を露わにする。

 大きな矛盾を抱えているのは少女の方。この少女は裏切るような子じゃないと思っていたからこその失望感は大きかった。


「……白雪、これから一体、契りはどうするんだ。他人には順守させておいて、君は勝手に破ったんだぞ」


 胸につかえた蟠りを、最大の核心を突いた。


「……ですからこの際、五条の契約の一つである【自身の命が危うい場合を除いての殺生は許されない】を破棄します」

「は?」


 なんて都合の良い話。


「私がとうに破り捨てていたのですから、もっと早くあなたに伝えておくべきでした。あなただけに課す義理もない。悪い人間はその場で殺してしまって構いません。そこはあなたの独断に任せます。……それに今回のように魔力回収のために捕縛し、この場所に罪人を連れて行っては助かる命も助からないでしょう。今日はあなたの異変に気付いて戻ってきましたが、私が毎度この場にいるとも限りません。ですから、殺してしまって結構です。その方が貴方も楽に戦えるでしょう」

「いや、なんでっ。なんでそうなる?」

「? なにか、おかしなところがありましたか?」

「……」


 驚きの余り、雄臣は絶句した。何のための契約だったのか。不殺主義を破り捨て、これからはあんなに嫌っていた滅殺主義を掲げるなんてどうかしている。


「じゃあ、なんだ。今日連れてきたこいつが命乞いをして改心すると誓ったら、白雪はどうしたんだ。どの道殺すつもりだったのか?」

「はい。見境なく殺すつもりでした。本当はあなたにその役をやっていただこうと思っていたのです。ですが目障りは最期まで目障りでしかありませんでしたので、私の刀が先に出てしまいました」


 雄臣は沈黙したまま、だが内心はかつての彼女に戻って欲しい気持ちしかなかった。


「なあ。どうしちゃったんだよ、白雪!」

「どうもしません。私は普通です」

「普通って……見境なく悪は悪だと……それじゃあ、悪は善にはなれないことを自分で証明しているようなものじゃないかっ」


 雄臣は必死に説得するが、鉄のような表情は変わらない。


「私は人間の善性を信じています。信じているから戦っているのです。ですが人の心を読み取ることはできないと分かりました。魔法使いとは言え、根底は人間。そう思っていました。ですが人の心を信じすぎたのがいけなかったようです。嘘をつく者。善人のふりをする者。その場しのぎの者。罪を擦り付ける者。生まれた時から外道な者。人間はミソノのように純粋で誠実で、貴方のように優しく思いやりのある生き物だと心のどこかで思っていましたが、どうやらそうじゃないようです。善には聡いと、悪には疎いと、そんな固定概念で無関係な人間の命をこれ以上危険にさらすことはもうしたくないのです」


 次第に声は悲しく、表情は何だか辛そうだった。


「分かりましたね? タケオミ。契約の自由は貴方にありません。貴方は従者です。私の指示に従ってください」

「……」

「返事をしてください」


 雄臣の沈黙に少女は疲れたように合意を求める。


「……ああ」


 否定は許されない状況下で、雄臣は同意する他なかった。


「憔悴しきった顔……今日の巡回はもうお役目結構です。家に帰り、英気を養ってください。貴方の見回り区域は私が引き受けますから」

「いや、僕は……」

「もともと私一人でしたから、貴方がいなくなったところで問題ありません」


 白雪は巾着袋みたいになった男の死体を拾い上げ、立ち尽くした雄臣の横を通り過ぎた。


「では、私の命令をよろしく頼みますね。タケオミ」


 振り返ると白雪はもうその場にはおらず、制裁は契約解除における一人の男の死で幕を閉じた。

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